アンコールはリビングで
2. 25時の住人

会社に辞意を伝えるのは、来年度の人事が動く前――12月に入ってからと決めていた。
それまでは、絶対に悟られてはいけない。

俺は完璧に仕事をこなしながら、水面下で引き継ぎの準備を進めた。

自分の担当案件を整理し、後任者が困らないようにマニュアルを作成し、3月までに綺麗に去れるよう根回しをする。
定時まではバリバリ働き、残業を極力減らして退社。

その足でスタジオへ向かい、ボイストレーニングやレコーディングに打ち込む。

帰宅するのは日付が変わってから。
そこからまた会社の資料を作り、歌詞を書き、仮眠をとって出社する。

睡眠時間は削られ、食事はコンビニのおにぎりで済ませる日々。

季節は梅雨から初夏へ、そして盛夏へと猛スピードで移ろっていった。

(……きついな)

深夜25時。

自宅のデスクでパソコンに向かいながら、俺は独りごちた。
身体は悲鳴を上げている。

けれど、それ以上に辛いことがあった。
凪さんに会えないことだ。

路上ライブをする時間はなくなり、飲みに行く余裕もない。
彼女に会う口実は消滅していた。

スマホの画面に表示された彼女の連絡先を見つめるだけで、胸が締め付けられる。

(……会いたい)

その一言が、指先まで出かかっては消える。

今の俺には、彼女をデートに誘う資格も、時間もなかった。
中途半端な気持ちで会えば、甘えてしまう。

プロになると決めた以上、今は歯を食いしばって進むしかなかった。

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