アンコールはリビングで
彼がサビを歌い上げる頃には、すでに異変が起きていた。
最初は遠巻きに見ていた他のお客さんたちが、一人、また一人とピアノの周りに集まり始めていたのだ。

スタッフの方も、「お、なんかすごいぞ」という顔で手を止めている。

無理もない。
これだけの容姿を持った男性が、プロ顔負けの(というか未来のプロなんだけど)歌声を披露しているのだ。目立たないわけがない。

(……ちょ、ちょっと待って。人だかりができてる……!)

私は焦り始めたけれど、演奏に入り込んでいる彼は気づかない。

『To make you feel my love...』

最後のフレーズを、彼は囁くように歌い上げ、静かに鍵盤から指を離し、ふぅ、と息を吐いたその瞬間。

パチパチパチ……!

誰からともなく、拍手が起こった。

「すっげぇ……」
「かっこいい……!」

ため息のような歓声。

我に返った早瀬くんが、目を瞬かせて顔を上げた。

「……え?」

「……早瀬くん、後ろ!」

私が小声で告げると、彼は振り返り、自分たちを取り囲む人垣を見て目を丸くした。
スマホを構えようとしている女子高生たちの姿も見える。

「……うわ、マジか」

彼はバツが悪そうに苦笑すると、素早くピアノの蓋を閉じた。

「……凪さん」

「え?」

「逃げるぞ」

彼は立ち上がると同時に、私の手首をガシッと掴んだ。

「あ、すみません! 試弾ありがとうございましたー!」

爽やかな営業スマイルで周囲を煙に巻くと、彼は私の手を引いて、人混みを縫うように出口へと歩き出した。

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