アンコールはリビングで
(……もしかして湊、食欲なんて全然なかったんじゃ……)

酷い疲労とだるさで、立っているのもしんどいはずだったのに。

私が「寂しい」顔をして、体調を整えてほしかったなんて言ったから。
せっかく作ったスープを食べられなかったことを、彼がひどく気にしたから。

明日のジャケット撮影まではなんとしても耐え抜くと決めていた彼は、無理やり朝早く起きて、体調不良で食欲もない中、なんとかスープを流し込み、この置き手紙を残していったのではないか。

「……大丈夫じゃないよ、湊……」

シンクに残された食器と、彼が急いで出て行った気配の残るリビング。

置き手紙の温もりとは裏腹に、私の心の中には、どうしても拭い切れない不安と焦燥感が広がっていた。

私は、誰もいないリビングで、ただ祈るように置き手紙の震えた文字を指先でなぞった。

ツアー開幕と新曲リリースまで、あと二ヶ月。

彼が身を削って戦っているその「軌跡」の代償が、すぐそこまで迫ってきていることに、この時の私はまだ、本当の意味では気づいていなかった。
< 369 / 616 >

この作品をシェア

pagetop