08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

EP115 QUEEN(2)

 ユイとトムがあたたかい暖炉がある居間で会話を続けている頃――。
 リージョンK、S市。
 世界の守護者に花嫁を送り出す儀式が行われていた。
 民族的な楽器による送別の演奏が流れ、花嫁は衣擦れの音を立てながら歩く。 

 その音のほかに、潮の匂いと波の音も入り混じる。
 港は暗闇に満ちていた。
 その闇の中、松明の明かりに照らされるのは。
 左前に合わせた白い花嫁装束を着たグラゼル家当主、レイハ・セト・グラゼル。
 その華奢な手を引くのはグレン・ハン・グラゼル。
 カザム教過激派組織グライゼルの首謀者であり、レイハの従兄たる存在。
 闇に溶けるような黒髪、鋭さを宿した目。黒装束を身に纏った男性だ。

「レイハ様……なんとお美しい御姿……」

 信者たちがレイハを見つめ、涙する。
 彼らは過激派(グライゼル)の、武器を持たない一般信徒。
 これからレイハが向かう場所は、花婿が待つ“神の島”。
 
「……行かないで! ……死んじゃいやだ!」

 ある少年が泣きながら、レイハの前に飛び出す。
 その少年は、崩落した瓦礫で左足を失った子供だ。
 それをレイハは、女王の与える力によって左足を与えた。

「申し訳ございません! なんてことを。……お下がり!」

 少年の母親が慌てて子供を引き寄せる。
 レイハの手を引いていたグレンは子供を睨み、罰を与えようと配下の者を促す。

「おやめなさい」

 静かな声が響いた。

「わたくしのために泣いてくださるのです。その子に手を出してはなりません」

 当主としての強い声。美しい、澄んだ声。
 これから世界の悪として”世界”に捧げられる存在は、誰より清らかだった。
 
「それでは示しが付きません」
「わたくしは、グライゼルの当主“レイハ・セト・グラゼル”ですわ」

 有無を言わさぬ圧倒的な圧力。
 自身の言葉を無下にされたグレンの右拳は、小さく震えている。
 グレンの立場ではレイハが存在するために、当主代理でしかない。
 そしてこの正当なる当主は、グライゼルの崩壊を心から望んでいた。

「うう……レイハ様……」

 信徒たちが涙する。
 
「皆の者、今までわたくしを守って下さり、心より感謝いたします」

 レイハが信徒に優雅なカーテシーを行う。
 誰もが涙し、嗚咽を漏らす中、レイハだけは最後まで微笑みを崩さなかった。 

 優雅に手を振り、レイハは船に乗り込む。
 隠れていた月が雲間から姿を現す。
 レイハの姿を月光が照らす。

 ―*―
 レイハを乗せた船は、小型の軍船だ。
 全長約35メートル、船名は『ファ・クラス』という。
 その昔アゼリアで世界大戦が起きた頃に、最強の艦隊の最後の生き残りだった船だ。
 月が気まぐれに露にする船体の無数の傷。
 幾度となく防御を貫かれても、決して崩れないという執念が見える。

 その船室内でレイハ・セト・グラゼルは最後の指示を部下に示していた。
 船を港に寄せた後は、全員退避するようにと。
 それにグレンは異議を唱えた。
 
「なぜです!? それでは我々の――」
 その言葉を遮り、レイハが言葉を重ねる。

「間もなくマガミ家とアハド家の者がグラゼル家本邸に参りますわ。皆に指示を出せる者がいなくてはなりません。わたくしとレイラ以外に」

 冷静な声。
 温かみを一切消したレイハの、グラゼル家当主としての声だ。

「しかし……。ユイ・リア・カイドウの所在が分かっているいま、捕獲は可能です」

 グレン以外の者も進言するが、レイハによって冷たくあしらわれる。

「その必要はありませんわ。本陣にいる部隊を、急ぎ撤退させなさい」
「なぜですか? なぜあなたは……」

 そう言いかけたとき、レイハは扇子に仕込んだナイフをグレンの首元に当てた。

「女王は、シュゼルト様が御自らお連れになる。我らが動くのは神の意に背くと同義だ」
「承知致しました……」

 レイハの声に、その場の者が膝まづく。
 それ以外の答えは何も求めていないと、レイハが纏う空気が告げていた。
  
 ―*―
 レイハは船首甲板の最も先端、かつて威力を誇った速射砲の横に立った。
 風を遮る防護壁に背を預け、北東の水平線を見つめた。
 穏やかなリーシャ海。
 小さく波打つ水面を、船は力強く波を割りながら進む。
 レイハの周りだけが、神の島(クレスコア)へ近づくにつれて高まる風と、
 船底から伝わるエンジンの轟音に包まれていた。

 水平線にうっすらと浮かぶ神秘の島。
 その昔、この島には最古の都市があったそうだ。
 どうしてその都市が、人が消えたのかはわからない。
 しかし守護者はそれ以前からずっと、このクレスコアに存在していた。
 
 その都市の遺跡の奥にある、アゼリアの中心核、世界樹(クレスコル)
 ユイと出会ったあの病院の中庭は、このクレスコルに繋がっていた。
 いや、世界の守護者がユイと自分を出会わせるために繋げたのだ。

 ユイと出会い、初めて浴びた本物の太陽。
 ふたつの温かさは、自分の命を削るものだった。
 
「わたくしが行くまでどうか無事でいて……ユイ」

 残された時間は僅か。
 いつか夢で見たその結末を必ず実現させると、レイハは見上げた月に誓った。
 
 ―*―
 ユイは用意された2階の客室で眠りについていた。
 ベッドの横にはバルコニーへと続く大きな窓がある。
 波の音を聞いていたくて、少しだけ窓を開けたまま。
  
『ユイ』

 誰かが名前を呼ぶ。
 
『……ユイ』

 声の主は何度も名前を呼び続ける。
 その優しい声に、ユイは微笑む。

『……し……てる』

 その声は低い。
 でもユイは誰の声かわからなかった。
 思わずユイは、ふと思い浮かんだ名前を呼ぶ。

 その声は暫くの間、何も言わない。
 やがて深い情愛を含んだ声で、耳元で囁いた。

『おいで……ユイ』  

 その声はかつてユイを強く虜にしたものだった。
 そう。RARUTOのラウルの声、だ。
 拒むことを許さない魅惑的なその声に、ユイは目をこすりながら、体を起こす。

 まだ夢と現実の境目がはっきりしないまま、ユイは開いた窓を背に立つ黒い影を見つめた。

「ん……だれ……?」

 視界がぼんやりする。
 それは銀色の髪なのか、黒い髪なのか。ユイにはわからない。
 
「……Mathew?」 
 
 その誰かは何も言わず左手をユイに差し出す。

「どうしたの?……こんな時間に……どこへ行くの?」

 Mathewの姿? ラウルの声?
 頭の中がスッキリしない。視界にもまだ靄が掛かっている。
 確認しようと、ユイは立ち上がる。

『ユイ……私の女王……』

 ミシルシが何かに反応するかのように金色の光を放つ。
 こんなことは今までなかったと、ユイが意識を取り戻した時、
 勢いよく大きな窓が開いた。
 海からの風がカーテンを揺らし、窓辺に立つ者の髪が舞った。

 それは長い銀髪だった。
 しかしその容貌は月を背にしており逆光で見えない。
 目は鋭く青く光っている。
 それは見知らぬ男性だった。

「あなたは……誰……なの……?」
『私は……。……貴女を迎えに来た』

 勢いよく流れ込む風は肌寒い。
 ユイは薄手の夜着のままだ。震えながら、ユイは、扉の方へ後ずさる。

「ユイ!」 
 
 背後の扉からMathewの声。ドアノブを回す音はするが、扉は開かない。

「Mathew!」

 一歩一歩近づく侵入者。
 視線は外せない。隙を見せるわけにはいかない。

 Mathewは体当たりで扉をこじ開けようと試みている。
 何度目かの衝撃で僅かな隙間が生じ、Mathewは扉を開く。

「ユイ……!」
「Mathew!」
  
 Mathewよりも早く、男性の冷たい手がユイを捕らえる。
 あっという間にユイは引き寄せられ、抱きかかえられた。

 Mathewに向かって男性の背後から幾つもの銃弾が撃ち込まれる。
 その隙に男性はユイを抱えたままバルコニーに出た。

 Mathewは追跡を試みるも、何名かの黒装束の人間たちがその周囲を囲む。

「Mathew!」

 ユイは悲痛な声でMathewの名前を呼んだ。
 
「貴女は自らの意思で、ここへ来た。戻ることは許さない――」
「嫌。……嫌! Mathew!」

 冷たい手が、ユイを引き寄せ、抱き締める。
 視界の端に長い銀髪が見える。

「……ユイ!」

 男性はふわりとユイを抱えたまま飛び降りた。
 白い煙幕がその行く手を隠す中、Mathewがバルコニーに出ると、ユイの姿はどこにもない。
 細長い一本の黒い羽根が部屋の床に落ちているだけだった。
< 119 / 124 >

この作品をシェア

pagetop