08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~
EP93 秘密(3)
毎週水曜日の午後18時。
仕事を終えたミカゲは、カイドウ家にやってくる。
一緒に食事をとり、2時間程度一緒の部屋で過ごして帰っていく。
ここはユイとミカゲの私室だ。
濃紺のカーテン、アイボリーホワイトの壁。
絶対に一緒に寝ることのないキングサイズのベッド、ユーリのベビーベッド。
ユイのお気に入りのロッキングチェア。
表向きはユイに逢うためということになっているが、彼の目的はユーリだ。
彼はユーリを抱かない。
抱かないくせに、ベビーベッドにいるユーリの側には寄り添っている。
いつからかそんなミカゲを見つけると、ユーリは嬉しそうに笑うのだ。
「ユーリに笑い返してあげたらいいのに」
「……どうやって笑ったらいいのか分からなくてさ」
ミカゲのその視線は優しい。
まるでMathewのようなことを言うと、ユイはため息をついた。
そのMathewは、隣の控え室でセキジと何か打ち合わせをしているようだった。
「良くないよ、ソレ。……幸せが逃げる」
ミカゲが指でユーリをあやしながら、声を掛けた。
「今が一番幸せだとでも?」
「……違うの?」
酷い話だ。否定することは最初から選択肢に含まれていない。
ユーリは寝てしまったらしく、ミカゲがソファーに戻ってくる。
私は、テーブルに置いた端末をミカゲに見せた。
画面に表示されるのは、“球骨腫”に関するデータをまとめたものだ。
「球骨腫か。これまた面倒なものを抱えてるね」
「あなたの知恵と思想の力を貸して欲しいの」
ユイの右手に、あのミシルシが現れる。
それがはっきりと姿を現すとき、ユイの中で目に見えない何かが全身を伝う。
「――女王が僕を頼るなんてね。今夜は槍でも降りそうだよ」
ユーリには絶対に向けない、残酷で整いすぎた綺麗な微笑み。
ミオンがミカゲは魔王だと言っていたが、本当にそんな感じがする。
「もし一緒に戦ってくれたら、対価としてあなたが欲しいものをカタチにするよ」
「いいね、それ」
ミカゲは即答した。
そこに迷いなんて微塵も感じられない。
リージョンMで急増している、球骨腫。
幼い子供にかかるその病気の特効薬を、カイドウ家は研究開発していた。
しかし決定打に欠ける効果では、人体投与は難しい。
この奇病が、プラス因子が原因であると告げると、ミカゲはユイを見つめた。
逸らすことを許さない、強い視線だった。
「君は、自分の因子を使うつもりか」
唐突に。
ミカゲの声が、口調が変わった。
そしてこの声。
これは『RARUTO』のラウルの声。
以前は少し似ていると思った。
しかし今は。
推しそのものと言ってもいいほどだ。
(……これは“推し”ではない。“推し”の姿をした贋物)
ユイは呑み込まれそうになるのを必死で耐える。
膝に置いた両手をぐっと握りしめる。
ミカゲの赤紫色の目が、いつの間にか青紫色に変化している。
――ヒロト?
「え……」
何が起きているのか分からず、ユイは小さな声をあげる。
推しの、ラウルの声。ヒロトの目。
髪の黒だけが、何かを守るように残り続けている。
「この病に関する因果は、もうアゼリアに存在する。それが君だ」
「あなたは……ミカゲ?」
「ミカゲであるとも言えるし、ミカゲではないとも言える」
この口調。……間違いない。
これは、管理者・SZだ。
絶対に推しではないし、ヒロトでもない。
それなのに思考回路が混乱する。
激しい頭痛。
激しく脈打つ心臓。
右手の甲の“ミシルシ”が呼吸にシンクロする。
(思考停止。クールダウン。私は女王。自分を抑えなさい。)
ユーリが何かの空気を感じ取り、不安そうにユイとミカゲを見つめている。
(そうよ、私はこの子を守る為に女王になった)
ユイは冷静さを取り戻し、話を続ける。
相手がミカゲであろうが管理者・SZであろうが。
そんなことはどうでもいい。
「ところで君は、リージョンRに咲くスズランを知っているか?」
その声はさらに優しさを増した。
まるで愛する恋人に話しかけるように。
「猛毒があるということしか……」
「渡した意味が分かっていないな。……残念なことだ」
呆れた声に、ユイは少しだけムッとする。
「守護者は30年に一度、海門を開く。その際、アゼリア中を包み込む世界規模の大雨が降る」
「雨?」
「その雨に君の因子を流しこむといい。ただしその代償は私もわからない」
一瞬だけ、ミカゲの青紫色の目が優しさを伴ったかのように見えた。
穏やかな視線には、既視感があった。
――まるで、ヒロトのような。
「ヒロト」
気づけばその名前を呼んでいた。
目の前にはヒロトとは似ても似つかないミカゲ。
しかしユイには。
目の前にヒロトが座わり、ヒロトに見つめられている気がした。
「違うよ」
ハッキリと否定しながら差し出されるハンカチ。
ユイがそのハンカチに刺繍をして、ミカゲに渡したのはつい先日のこと。
「ミカゲ……様?」
声はもういつものミカゲの声だ。
その目も赤紫色に戻っている。
「いまの……なに?」
ユイはハンカチを断り、別のハンカチで涙を拭いた。
「僕の名前は個人名じゃない。その役目を示すものなんだ」
ミカゲは自分のことを、世界の守護者の“御使い”と言った。
その御使いが持つ能力を、“同調”と呼ぶそうだ。
「じゃあ、いま私が話したのは……」
「今のがマガミ家の『裏』の当主だよ。僕は“彼”と同調が出来る」
そうだ。
マガミ家の当主は『表』と『裏』の二人いる。
ミカゲは『表』。
ということは――。
「同調すると物凄く眠くなるんだ。悪いけど、泊めさせてもらうよ」
この部屋のキングサイズのベッドを、初めてミカゲが使った。
別々のベッドをというユイ。
ミカゲはこれも演技の一環であり、協力の対価でもあると押し切った。
まさかヒロト以外の男性と枕を並べて寝る羽目になるとは。
隣で眠る魔王の寝顔は。
警戒するほうが間抜けと言わんばかりに無防備で、可愛らしいものだった。
翌朝。
スッキリした顔で目覚めたミカゲと。
目にクマを作ったユイ。
二人の間でどんな甘い夜が起こったのか。
事情を知らないカイドウ家の使用人の間では、勝手な妄想が膨らんでいた。
仕事を終えたミカゲは、カイドウ家にやってくる。
一緒に食事をとり、2時間程度一緒の部屋で過ごして帰っていく。
ここはユイとミカゲの私室だ。
濃紺のカーテン、アイボリーホワイトの壁。
絶対に一緒に寝ることのないキングサイズのベッド、ユーリのベビーベッド。
ユイのお気に入りのロッキングチェア。
表向きはユイに逢うためということになっているが、彼の目的はユーリだ。
彼はユーリを抱かない。
抱かないくせに、ベビーベッドにいるユーリの側には寄り添っている。
いつからかそんなミカゲを見つけると、ユーリは嬉しそうに笑うのだ。
「ユーリに笑い返してあげたらいいのに」
「……どうやって笑ったらいいのか分からなくてさ」
ミカゲのその視線は優しい。
まるでMathewのようなことを言うと、ユイはため息をついた。
そのMathewは、隣の控え室でセキジと何か打ち合わせをしているようだった。
「良くないよ、ソレ。……幸せが逃げる」
ミカゲが指でユーリをあやしながら、声を掛けた。
「今が一番幸せだとでも?」
「……違うの?」
酷い話だ。否定することは最初から選択肢に含まれていない。
ユーリは寝てしまったらしく、ミカゲがソファーに戻ってくる。
私は、テーブルに置いた端末をミカゲに見せた。
画面に表示されるのは、“球骨腫”に関するデータをまとめたものだ。
「球骨腫か。これまた面倒なものを抱えてるね」
「あなたの知恵と思想の力を貸して欲しいの」
ユイの右手に、あのミシルシが現れる。
それがはっきりと姿を現すとき、ユイの中で目に見えない何かが全身を伝う。
「――女王が僕を頼るなんてね。今夜は槍でも降りそうだよ」
ユーリには絶対に向けない、残酷で整いすぎた綺麗な微笑み。
ミオンがミカゲは魔王だと言っていたが、本当にそんな感じがする。
「もし一緒に戦ってくれたら、対価としてあなたが欲しいものをカタチにするよ」
「いいね、それ」
ミカゲは即答した。
そこに迷いなんて微塵も感じられない。
リージョンMで急増している、球骨腫。
幼い子供にかかるその病気の特効薬を、カイドウ家は研究開発していた。
しかし決定打に欠ける効果では、人体投与は難しい。
この奇病が、プラス因子が原因であると告げると、ミカゲはユイを見つめた。
逸らすことを許さない、強い視線だった。
「君は、自分の因子を使うつもりか」
唐突に。
ミカゲの声が、口調が変わった。
そしてこの声。
これは『RARUTO』のラウルの声。
以前は少し似ていると思った。
しかし今は。
推しそのものと言ってもいいほどだ。
(……これは“推し”ではない。“推し”の姿をした贋物)
ユイは呑み込まれそうになるのを必死で耐える。
膝に置いた両手をぐっと握りしめる。
ミカゲの赤紫色の目が、いつの間にか青紫色に変化している。
――ヒロト?
「え……」
何が起きているのか分からず、ユイは小さな声をあげる。
推しの、ラウルの声。ヒロトの目。
髪の黒だけが、何かを守るように残り続けている。
「この病に関する因果は、もうアゼリアに存在する。それが君だ」
「あなたは……ミカゲ?」
「ミカゲであるとも言えるし、ミカゲではないとも言える」
この口調。……間違いない。
これは、管理者・SZだ。
絶対に推しではないし、ヒロトでもない。
それなのに思考回路が混乱する。
激しい頭痛。
激しく脈打つ心臓。
右手の甲の“ミシルシ”が呼吸にシンクロする。
(思考停止。クールダウン。私は女王。自分を抑えなさい。)
ユーリが何かの空気を感じ取り、不安そうにユイとミカゲを見つめている。
(そうよ、私はこの子を守る為に女王になった)
ユイは冷静さを取り戻し、話を続ける。
相手がミカゲであろうが管理者・SZであろうが。
そんなことはどうでもいい。
「ところで君は、リージョンRに咲くスズランを知っているか?」
その声はさらに優しさを増した。
まるで愛する恋人に話しかけるように。
「猛毒があるということしか……」
「渡した意味が分かっていないな。……残念なことだ」
呆れた声に、ユイは少しだけムッとする。
「守護者は30年に一度、海門を開く。その際、アゼリア中を包み込む世界規模の大雨が降る」
「雨?」
「その雨に君の因子を流しこむといい。ただしその代償は私もわからない」
一瞬だけ、ミカゲの青紫色の目が優しさを伴ったかのように見えた。
穏やかな視線には、既視感があった。
――まるで、ヒロトのような。
「ヒロト」
気づけばその名前を呼んでいた。
目の前にはヒロトとは似ても似つかないミカゲ。
しかしユイには。
目の前にヒロトが座わり、ヒロトに見つめられている気がした。
「違うよ」
ハッキリと否定しながら差し出されるハンカチ。
ユイがそのハンカチに刺繍をして、ミカゲに渡したのはつい先日のこと。
「ミカゲ……様?」
声はもういつものミカゲの声だ。
その目も赤紫色に戻っている。
「いまの……なに?」
ユイはハンカチを断り、別のハンカチで涙を拭いた。
「僕の名前は個人名じゃない。その役目を示すものなんだ」
ミカゲは自分のことを、世界の守護者の“御使い”と言った。
その御使いが持つ能力を、“同調”と呼ぶそうだ。
「じゃあ、いま私が話したのは……」
「今のがマガミ家の『裏』の当主だよ。僕は“彼”と同調が出来る」
そうだ。
マガミ家の当主は『表』と『裏』の二人いる。
ミカゲは『表』。
ということは――。
「同調すると物凄く眠くなるんだ。悪いけど、泊めさせてもらうよ」
この部屋のキングサイズのベッドを、初めてミカゲが使った。
別々のベッドをというユイ。
ミカゲはこれも演技の一環であり、協力の対価でもあると押し切った。
まさかヒロト以外の男性と枕を並べて寝る羽目になるとは。
隣で眠る魔王の寝顔は。
警戒するほうが間抜けと言わんばかりに無防備で、可愛らしいものだった。
翌朝。
スッキリした顔で目覚めたミカゲと。
目にクマを作ったユイ。
二人の間でどんな甘い夜が起こったのか。
事情を知らないカイドウ家の使用人の間では、勝手な妄想が膨らんでいた。