“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした――忘れたふりをしていた恋の、その続き
第6章 ガラス細工の恋心

―進化ログ:たまご→ひよこ(※とさか未実装)―

終業式まで、あと一日。
期末試験も終わり、一年生の教室は冬休み前の浮ついた明るさに満ちていた。

今日は二学期最後のトイレ巡回の日。
残るのは多目的棟最上階のトイレだけだった。
トイレットペーパーを抱えて、個室を一つずつチェックしていく。

問題なく、綺麗。

ふと目の前の鏡を見た。
二つ結びの髪の毛。
乾燥をごまかすために塗ったリップ。

(“ちゃんとした彼女”になりたいのに……私たちはまだ内緒のまま……)

そっと唇に触れて――慌てて首を振った。

女子トイレの扉を開けると、ほぼ同じタイミングで男子トイレの扉が開く。
陸が出てくるが、その表情はどこか悲壮感が漂っていた。
「……陸くん? こっちのトイレは終わりましたが……何かありました?」
陸が、左手に持っていたトイレットペーパーを掲げる。
トイレットペーパーは、細く裂かれてボロボロだった。

「……なにが、なにが起こったんだ……君に……っ!」
陸が、ため息をつきながら廊下の柱に寄りかかる。
「陸くん、諦めたらだめです。
 この子は、まだ戦えます!」
「だめだよ、こんなに裂かれて……」
「いいえ、まだです。
 大丈夫、信じてあげましょう」
まなの真剣で温かい眼差しに、陸は一瞬だけ言葉を失う。

数分後――

裂けたトイレットペーパーは奇跡の復活を遂げ、フォルダーへと帰っていった。
陸が満足げな表情で活動報告を書くと、そうだ、と思い出したように声に出した。
「急なんだけど……明日って終業式の後、空いている?」

とくん、と心臓が跳ねた。

「あ、空いていますっ!」
答えた瞬間、陸の頬がふわりとやさしく緩む。
そして、ほんの少し勇気を出したような声色で、続けた。
「終業式、終わったら……どこか、一緒に行かない?
 まなと、ちゃんと……デートがしたい」
言いながら、どんどん陸の顔が赤く染まる。
「嫌だったら、断ってくれていい。
 けど、しばらく冬休みで合えないと思ったら……。
 ちゃんと……彼氏彼女として、まなと過ごしたいって思ったんだ」
恥ずかしさで、思わず下を向いてしまった。

「……ご迷惑にならないのであれば……行きたい、です。
 私も、陸くんの“ちゃんとした彼女”になれたら……嬉しい」
口にした瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
思わず口にした言葉は、まな自身も意識してこなかった“本音”の願い。
自分で口にして、自分で驚く。
その言葉を言った瞬間、陸のどこかから溢れてきていた緊張感が薄れていった。
彼のこわばっていた肩の力が、そっと抜けていく。
「よかった……。
 まなは、ずっとちゃんとした彼女だよ。
 彼氏の俺が証明する」
存在を肯定されるかのように言われて、まなの胸に真冬なのに春風が吹いたような気持ちになった。

「それじゃあ、終業式の日に。
 待ち合わせはまたメッセージで」
陸の足取りが、ここへ来るときよりも軽く感じる。
その彼の変化の原因が自分であることが、誇らしくもあり重たくもある。
でもこの重さが嫌じゃない。

多目的棟の廊下は寒いのに、心の中はいやに熱かった。


連絡を、まなはそわそわしながら待った。
ほんのりお化粧した顔。
二つ結びの髪は、朝からアイロンで格闘したもの。
どっからどうみてもデート前の女の子な様子に、典伽が興味津々で訪ねてくる。
「ねぇ、相手は誰よって……聞かなくても彼しかいないか」
「ちょ、ちょっと典伽!
 違うからっ!」
教室内で話すにはなかなか勇気がいる話題に、まなが慌てて反応する。
「はいはい、違うのね、了解」
「もう、典伽ちゃん。
 まなちゃんからかったらだめだよ」
たかちゃんが柔らかく助け船を出してくれる。

こちらの様子に気がついた吉田が、「まなちゃん」と話しかけてきた。
「今日、さらに可愛いね。
 彼氏とお出かけ?」
彼氏という言葉に、まなの顔が真っ赤に染まる。
吉田はまなと陸の関係に気がついている数少ない人だ。

「そ、その……」
「ふぅん? まだその内緒縛りあるんだね。
 二人のことだから、いいんだけどさ。
 ……相手のことを考えすぎると、自分の気持ち置いてくよ?」
内緒の気配を察して、言葉のトーンを下げてくれる。
吉田の言葉は、いつもほんの少し刺さるけど、そのぶん優しさも含んでいた。
「思いやりのない恋こそすぐ壊れるでしょ」
典伽が吐き捨てるように言うと、そうそうと吉田が笑う。
「彼氏が大学生だからって、おねだりばかりすると捨てられちゃうんだよ」
「むかつく!」
彼氏と別れたばかりの典伽が吉田に絡んで行ったところで、スマートフォンが震えた。

『浅瀬 陸:昇降口出たところで待っているね』

まってるね、と書かれたネコのスタンプも送られてくる。
手元を見て小さく微笑みを浮かべると、吉田がやさしく笑う気配。
見上げると「まなちゃんが幸せそうでなにより」と一言告げる。
気が付いたら、同じ保健委員としても信頼感が芽生えていた。

「委員長によろしく。
 オレは今年最後のトイレ巡回に行ってくるよ」


お昼前の電車は、本来ならガラガラのはずだが、終業式の日ということもあって同じ学校の制服で溢れていた。
終業式を迎えた学生の中には大荷物な人もいて、満員電車の圧にぎゅっと押しつぶされそうになった。
それをさりげなく陸がかばう。
「ご、ごめん……陸くん大丈夫?」
小声で確認すると小さく彼が笑う。
「うん……大丈夫。
 例え電車の揺れのせいでも……誰にも、触られて欲しくない……から」
まなは途端に陸の顔が見れなくなる。
頬が熱いのは暖房のせいだけじゃない。

電車のアナウンスが八王子への到着を告げる。
聞き慣れた夕焼け小焼けのメロディー。
「陸くん……?」
他の学生たちが一気に降りていくなか、陸は動かない。

「あのね……行き先なんだけど。
 このまま、新宿なんて……どう?」
まなは小さく頷く。
八王子で一気に空いた席に、二人並んで座る。
通学で使い慣れた電車が、いつもと違う場所へと運んでくれる。
見慣れた景色が遠くなり、見慣れない景色へと変わっていく。

気がついたら、新宿へと電車は到着していた。


簡単に昼食を済ませると、陸のスマートフォンに表示された地図を覗き込みながら歩く。
たどり着いた先は、新宿御苑だった。
大都会の中に、そこだけぽっかりと切り取られたような異世界感があった。
木々の隙間からビルや電車が見えるのが、東京らしい。
静けさと喧騒が混ざり合う不思議な空間。
「こんな落ち着いた場所が、都心にもあるんですね」
まなは歩道の端に積もった落ち葉を踏み、カサッと音を鳴らす。
その音に、陸がちらっと足もとを見て微笑んだ。
「ね。俺も知らなかった。
 昨日……何かいいところないかって必死で調べて見つけたんだ」
陸のその言葉に、まなは胸の奥が温かくなる。
“必死”でという一言が嬉しい。
わざわざ調べて、まなを喜ばせようとしてくれた、その気持ちが愛しかった。

「陸くん」
繋いだ腕を少し引くようにして、彼を呼ぶ。
「ん……?」
彼が腰を折ってこちらを見る。

「ありがとう」
まっすぐ向けた言葉に、陸の目が柔らかく細くなる。
冬の陽だまりのような目だった。

「ううん。
 本当はもっとたくさんデートしたいのに……我慢させてごめん」
その小さな声に、まなの胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
まなはゆっくりと首を振る。
「陸くんが受験生なの、わかっていて付き合っているんです。
 だから、陸くんは受験を優先していいんです。
 ……むしろ、そうでないと困ります」

陸が小さく笑う。
「……うん。ありがとう」
その笑顔は、ほっとしたようでもあり、寂しそうでもあった。

冬の冷たい空気の中で、招き入れられたポケットの中がふんわり温かい。
親指で、手の甲を撫でられる。
付き合ってから気が付いた、彼の甘えるような癖。
その癖を知っているのが自分だけだといいなと思いながら、まなは指を絡め直した。

「あ、陸くん見てください!」
まなが指さした先には、落ち葉が風に運ばれて溜まっていた。
まなが嬉しそうに落ち葉溜まりに走っていく。
陸は引きずられるようにそのあとを追いかけた。
「きれいな落ち葉がいっぱいなんです!」
両手で掬って、そして真上へと投げる。
赤、黄、茶の落ち葉がひらひらとゆっくり舞いながら落ちてくる。
きらきら舞う葉の中で、無邪気に笑う横顔を見た瞬間。
陸はふっと息を飲み、まっすぐにまなを見つめた。
「ほら、陸くんも!」
まなが掬った落ち葉が、陸の上にも降らされる。
声を弾ませて笑うまなに、陸もつられて笑ってしまう。
「こんな、落ち葉まみれになるの、久しぶり!」
「俺も。
 弟が子どものときにこういうの見つけると全身で突っ込んでいって、俺も巻き込まれていたっけ」
陸が昔を思い出すように、くすっと笑う。
困ったように弟を語る、彼の目がやさしい。

「まな」
陸の手が、まなの頭に伸びる。
そっと髪から葉っぱを取り除いた。
「……ありがとう」
陸の指先が触れたところだけ、冬なのに少し熱かった。
「ずっと勉強だったから、こんな穏やかな気持ちになったの久しぶり。
 受験終わったら……今よりもっとまなに会いたい」
遠くを見ながら陸が言った言葉に、まなも「うん」と頷き返す。
そして律儀に散らかった落ち葉を集めなおすと、二人はまた指を絡めた。

陸の右ポケットにまなの繋がれた左手が引き込まれる。
「……大丈夫? 寒くない?」
「うん……陸くんが、温めてくれているから……」
照れたように、二人顔を見合わせて笑って。
そしてゆっくりと歩き出した。

「陸くん……今日、すごく楽しかった。
 改めて、あなたと一緒にいられて、良かったです」
飾らないまっすぐな言葉。

「私、陸くんが好き」

たまらずに、陸が強く抱きしめる。
逃げ場のない抱擁の中。
耳元で、小さく、けどはっきりと囁かれた。

「まな……愛してる」

まなが、息を飲む。

高校生の恋には重すぎる言葉なのに、陸の声色が、嘘じゃないと告げている。

(こんなに想われて……本当に、私でいいのかな)

陸の本気に触発されて、臆病な予防線が顔を出す。
けど、その気持ちを、他の誰にも――なおやゆめにも渡したくなくて。
しがみつくように、彼のコートの背の部分を掴んだ。

冬の風が、静かに二人の間を吹き抜けていく。
どのくらいそうしていただろうか。
そっと、陸の腕が外されて、温もりが離れていく。
それが寂しかった。

「……まな。
 今日、渡したい物があって……」
陸が鞄から、ラッピングされた包みを取り出す。
まなは口元を両手で覆ったまま、驚きで目を大きく見開いた。
「私も……あるんです。渡したい物……」
まなも鞄から、同じくラッピングされた包みを取り出す。
「クリスマスイブじゃなくてごめん。
 少し早いけど、どうしても渡したくて」
「ううん……私も。
 考えていること、同じでしたね」
「……うん」
プレゼントを交換し合う。
中から出てきたのは、可愛いネコのポーチで、両端にネコ耳が付いている。
そして、もう一つ、同じデザインのネコのハンドタオル。
「かわいい……っ!」
一生大事にします、とまなが大切にその二つを抱きかかえる。
「良かった、喜んで貰えて。
 こっちは……ぬいぐるみ?」
陸の手には、両手に乗るサイズのネコのぬいぐるみ。
ハートを抱っこしている。
「これ……もしかして……」
「……はい、あのスタンプのネコを真似て作ってみました」
「すごっ! どうやったらこんな風に作れちゃうの?
 毛糸で出来ているんだよね?」
掛け値なしの言葉に、まなの頬が緩む。
「あみぐるみなんで、毛糸をかぎ針で編んで作りました。
 実は……練習用にもう一個同じネコを作っていて……そっちは自分で持っているんですけど、そういうの……引きますか?」
「まさか。
 お揃いを喜んでも、引いたりしないよ」
「……良かった」
あからさまにほっとした様子でまなが息をつく。
「よろしくね、ネコちゃん。
 まなのおうちに彼氏?がいるのかな」
真剣にぬいぐるみに話しかける陸がかわいくて、まなは笑い声をこぼしてしまった。
「ふふ、そうですね。
 特に男の子とか女の子とか、意識して作っていた訳ではありませんが……。
 彼氏だったら、二つとも連れてくるべきだったかな。
 引き離しちゃってごめんね」
まなが謝ると、いや……と陸が代わりに答える。
「俺たちが一緒に過ごすときには、このネコちゃんたちも恋人に会えるんだから、いいんじゃないのかな」
「うん……そう想ってくれていたら、いいな」

プレゼントを大切にしまい込むと、改めて手を繋いでゆっくりと庭園を後にする。
遠く、夕焼け空の向こうに、一番星が光っていた。
陸がちらりと時計を見て、小さく息をつく。
「……そろそろ、帰らないとですね」
陸が言葉を口にするより前に、まなの方から解散を匂わせる。
「……もう少し、一緒にいたいな」
心の声が飛び出してしまったのかと思って、まなは驚いて陸を見た。
彼の切なげな表情に、後ろ髪を思い切り引かれる。
「……でも」
「……せめて、橋本駅まで一緒にいても、いい?」
切なげなその声が、夕暮れに淡く、溶けていった。

風が少し冷たくなる。
夜が来れば、今日が終わる――そのことが、二人には怖かった。


京王線のホームはそれなりに人で混み合っていた。
ささやかな抵抗のように、各駅停車に乗った。
特別快速などの電車と比べて、車内は比較的空いている。
まなと陸は、並んでつり革に掴まる。
ゆっくりと周りの景色が後ろへと流れていく。
車内アナウンスが流れ、調布駅が近づく。
本来なら、陸が乗り換えるべき駅。
本当に、終点まで付き合わせてしまって良いのだろうかと彼を見る。
視線の意味に気がついた陸は、小さく頷いた。

嬉しい。
だけど同時に、彼の負担になっていないかが痛かった。

――いつか、罰があたってしまうのではないか。
それくらい、彼に愛されることが幸せだった。


電車はやがて、見慣れた橋本の街へと着く。
終点なので皆が電車を降りた。
パラパラと人が改札へ向かって歩いて行く中、ホームの角に二人立ち止まる。

繋いだ手を離す時間。
次に会えるのは、年明けの学校だ。
冬休みの約束など、何もない。
受験がいよいよ本番となるこの時期には、それが当然だとわかっている。
離れたくないと叫んでいる心を自分で叱咤した。

「……陸くん」

意を決して、自分から彼へと飛び込んだ。
驚いた顔をした陸が、慌ててまなを抱き留める。
まなは背伸びして、陸のコートの襟に触れるほどの距離まで近づいた。
勇気を出して彼の耳元で、「今日のこと、きっと一生忘れません」と囁く。

ゆっくりと離れる。
陸は、赤い顔をしたまま、自分の口元を手で押さえていた。
「……まな、それは……反則……」
声にならない声で、かすかに震えている。
その様子にまなは満足げにくすりと笑うと、繋いでいた手を解いた。
「……それでは、陸くん、気をつけてね。
 お勉強、応援してる。
 ここまで付き合ってくれてありがとう、嬉しかったです。
 ……よいお年を」
「……こっちこそ、まなと一緒で楽しかったよ。
 また、連絡する。
 メッセージも……送らせて。
 それでは……よいお年を」

まなはゆっくりと、振り返らずに改札の方へと歩いて行く。
振り返ったら、きっと泣いてしまう――それがわかっていたから。
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