“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした――忘れたふりをしていた恋の、その続き
夏。
第一回目の模試の結果は、まずまず悪くない感じだった。
基礎栄養学のテキストを開きながら、気合を入れなおすために、麦茶を一気に飲み干した。

夏休みに入ると、北海道へと再び行き、陸と静かに暮らしつつも、時間を見つけては常にテキストを開くように心掛けた。
一日平均八時間はしっかりと勉強をする。
躓きやすいと先輩たちから聞いた、生化学や臨床栄養学は特に念入りに。
北海道と言えど夏は暑いが、東京よりも気持ち涼しいような、そんな気がしていた。
スーパーで購入した、朝採れのトウモロコシを湯がいておやつに食べる。
驚くほど甘いその糖分が、今の頭には嬉しかった。


秋。
夏休みが終わると、今度は卒業論文を必死で進めた。
模試を積極的に受け、過去問をとにかく解いていく。
陸の誕生日になにも出来ないことが寂しいが、今の優先順位を間違えたくはない。
それでも、おめでとうは言いたくて、電話をした。
やさしい彼の声を聞いているだけで、心が満たされていく。


そしていよいよ、季節は冬となった。
十二月中はとにかく必死で卒論を書き上げた。
勉強と同時進行で進めないといけないのが辛かったけれど、論文を提出した瞬間のあのやり切った感は凄かった。
本当に頑張った時にしか味わえない、特別なものだった。

その日、また陸と電話した。
いつもより長く話して、お互いの近況を報告しあった。

十二月二十四日、クリスマスイブ。
日付すら忘れていたまなに、黒色の可愛いデザインの鞄が届いた。
持ち手には赤いスカーフがおしゃれに巻かれている。
まなの好きな、赤と黒のコントラスト。
その鞄に添えられて、新しい手袋とネックウォーマーも入っていた。
カシミア製で、手触りも暖かさも一段上だった。
鞄も嬉しいけれど、それ以上に防寒セットが嬉しかった。
風邪を引かないように温めようとするそのアイテムが、彼の寄り添いそのもののようで。
そばにいなくても、家族としてしっかりと支えられているのがじんわりと伝わった。

陸の元へは、インターネットで注文して、お気に入りの東京のお店の焼き菓子を贈った。
実店舗にも行けずにお手軽でごめん、と謝ったら、むしろ賢いよ、ありがとうと思った以上に喜んでもらえていたことを知った。

卒論提出も終わって、息抜きの時間を取れそうなこの年末。
同窓会のお知らせが来ていて、とりあえず参加で返事をしていたことを思い出したのは、海にどうするのと声を掛けられた時だった。

年末は、仕事納めのその足で東京へ戻ってきてくれた陸と、浅瀬家の方でゆっくりと過ごしていた。
年始は保坂家の恒例行事に陸も参加してくれることになっていたので、今はこちらに。
お義父さんもお義母さんも、義娘の帰宅を喜んでくれ、海には兄ちゃんより喜ばれていると茶化された。

陸と再会したきっかけは、一年前のこの同窓会。
あれから、もう一年ともまだ一年とも思う。
それくらい、怒涛で一年間が流れた。

――あの時、まっすぐ動けた自分を今でも褒めたい。
それがなければ、今も変わらずに恋に負けた弱い自分のままだった。

「二人とも、車でまとめて送るよ。
 帰りも迎えに行くから二次会行くなら教えて」
陸の言葉に、「兄ちゃんよろしく!」と海が明るく答える。
ふふ、と笑いながら、久しぶりに典伽とたかちゃんに会うのが楽しみだった。


海と二人並んで会場へと入ると、待っていましたとばかりに、同級生たちが集まってきた。
「やっぱり、二人一緒だっ!」
「海くん、良かったね!」
「海! お前水臭いぞ!」
口々に上げられる言葉の数々に、みんなが何に盛り上がっているのか何となく察してしまった。
高校の時から、好きだの愛しているだのを誰の前でも隠さずにさらりと言い続けていた海だからこそ、誰も疑っていない。
あまり話したことのない人にまで、「まなちゃん、浅瀬愛ちゃんになったんだよね!?」と声を掛けられる。
間違いではないので、そうだよ、と頷いた。
海もいろんな人にいじられているが、彼も敢えてわざわざ誤解を解こうとしていない。
ただ、「まなは今、幸せになったんだよ!」とだけ、いつもの人好きのする笑顔を浮かべながら言っているのが聞こえてきた。
周りは惚気と受け取ったようだったが、海の言葉の中に込められた意味が嬉しかった。

「まな! 久しぶりっ!」
典伽が来るなり、こちらに気が付いて彼女から抱き着いてきた。
その肩を抱きながら、こちらからも久しぶりと声を掛ける。
続いて、たかちゃんも。
「まなちゃんが幸せそうで良かった」
託人も来るなりこちらに気が付き、さりげなく隣の席を確保する。
彼からも、やさしい言葉が飛び出してきて、ふわりと心が溶けた。

その後、一次会が予定時刻通りに終了し、二次会をどうするかという流れになる。
まなが国試に向けて勉強したいと言うと、海も頷いた。
何人かから残念そうな声が響くが、海自身も行く気がなさそうに見えた。
「ごめんね、私のこと気にせず海は行ってきて」
「いや、俺も今回は帰ろうと思ってる。
 俺は卒業研究がまだだからね」

二次会に行くメンバーと帰宅メンバーが入り乱れた会場の玄関に、陸がそっと姿を現した。
「兄ちゃん!」
海が一番に気が付き、大きく手を振る。
まなもその声で気が付いて、陸の方へと寄り添った。
同級生の何人かが、ささやき始める。
陸が迷わずにまなの手を取ると、ざわめきははっきりと耳に届くまでになった。

だが、二人ともわざわざ説明などしなかった。
微笑み合い、そして海も一緒に歩き出す。
誰に何を思われようと、二人は家族であることを恐れなかった。


年始には、毎年恒例の親戚付き合いをし、その場で陸を連れて結婚報告をした。

今年から高校生になっていた従弟――いおは、背も伸びて青年らしくなっていた。
だが、陸を紹介した瞬間。
陸を穴が開くほど見つめ、おれは信じないと言いながら半泣きになって部屋を飛び出していったのだった。


二月。
いよいよ、国家試験が目の前に現実として立ちふさがる。
あとはもう、信じてただただ問題を解き続けるだけだった。
暗記科目を静かに見直し、本番形式で実際の試験時間に合わせて問題を解いて、集中力の維持を工夫する。
あとは体調管理に気を付けて、その日に全力が出せるように。

二度目のバレンタインは、別々。
だけど、スマートフォンから有名なブランドのチョコを注文する。
手作りは出来ないけれど、彼に気持ちを伝えたくて。

バレンタインの夜、通知をミュートにしたメッセージがひっそりと届く。
そこには、短い言葉に愛がたくさん詰まっていた。

それだけで、まなは勉強を頑張れた。


三月頭、全力で試験を受け切った後。
会場を出た瞬間に外で待っていてくれた夫の姿に、まなの視界は揺らいだ。
東京に来る予定などは何も聞いてはいない。
けれど、ずっと応援してくれていたのは、痛いほどわかっていた。

「……陸くんっ!」
同じ大学の生徒もたくさん周りにいる中で、まなはまっすぐに彼の胸へと飛び込んで行った。
「まな。
 今まで、毎日本当にお疲れ様」
やさしく抱きしめてくれるそのぬくもりが、ただただ愛しかった。


その日の夜は二人で保坂家の方へと泊まった。
まなが自分の部屋の扉を開けると、陸は相変わらずちょっとそわそわしながらそこに入る。
女の子の部屋に入ることが少し落ち着かないらしく、そんな姿も彼らしい。

ベッドの縁に二人並んで腰を下ろす。
隣に座る、陸の方へと手を伸ばした。

試験が終わるまで、とずっと我慢していた。

ううん、違う。

我慢じゃない。

優先順位をつけて線を引いていただけ。
陸を大事にしたいからこそ、自分の今するべきことを大事にした。

それが、すべて終わった今。

「会いに来てくれて、ありがとう」
終わった瞬間、受け終わった試験の自己採点のことよりも、頭に過ぎったのは”会いたい”という気持ちだけ。
会いたいと思った瞬間に、彼が立っていて。
自惚れではなく、陸も会いたいと思っていてくれたんだと思った瞬間、泣きそうになった。

「……ううん。
 本当は、疲れているだろうから一日後に、とか。
 まなが来てくれるまでそっとしておくべき、とか。
 ……色々頭を過ぎったけど、結局俺が会いたくて我慢できなかった」
陸の言葉に、まなの方から陸へと飛びついた。
バランスを崩しかけた陸が、少し後ろに腕をついて何とか耐える。

構わず、まなは彼に抱き着いた。
「もう……。
 まな、危ないよ」
ゆっくりと上半身を起こして、改めて陸が抱きしめなおす。
彼の胸に甘えるように擦り寄るまなを、陸自身もまた甘えるように腕の中に閉じ込めた。

静かな部屋。
二人の鼓動が同じリズムに揃っていく。

「陸くん……」
「ん……?」
「触っても、いいですか?」
「もちろん」
存在を確かめるように、彼の頬に手を伸ばした。
指先に伝わる体温が、あたたかい。
覗き込んだ、彼の瞳がやさしく弧を描く。

そのまま、まなの方から唇を寄せた。

ゆっくりと重なった唇は、ただ触れているだけなのに、零れ落ちるほどの幸せで満たされていく。
心に直接触れるような、丁寧でやさしいキスだった。


卒業式までの数週間、再び北海道へ行こうと思っていたまなは、予想外の言葉を聞いて驚いた。
保坂家のリビング。
まだまだ寒い日はあるので片づけられないこたつに、陸も一緒に入りながら、彼が報告した言葉に家族みんなが反応する。

「転勤!?」
「うそ、まだ二年目だよね?
 転勤って三年ごとじゃなかったの?」
なおとゆめの言葉に、元転勤族の父が笑いながら、「三年は確かに多いけれどあくまで目安で、実際には欠員とかいろいろな事情で、三年未満で飛ぶことも、逆に残ることもあるよ」と言う。
まなは北海道へと行く気満々だったので、驚きつつも次の赴任先が気になる。
「ごめんね……転勤内示もらってすぐに伝えようかと思ったんだけど……余計な雑音入れたくなくて。
 次は温暖なところがいいななんて言っていたのが聞かれていたようで、希望通りだよ!って凄く良い笑顔で肩を叩かれたよ……」
陸が遠い目をしてその光景を思い出すように言う。
母が、目に浮かぶようだわ、と笑いながらお茶を差し出した。

「……それで、次はどこに?」
恐る恐る、まなが確認する。

陸は、ぽつりとその県名を伝える。
「……鹿児島県」

「マジで!?
 北から南一直線!?
 さすがに鹿児島市内だよね!?」
なおが手を叩いて笑う。

「うん、離島とかではなくて市内だった。
 ……というわけで、まな。
 一緒に鹿児島まで行ってくれますか?」
おどけた言い方に、まなも笑いながら返す。

「私を、鹿児島へ連れて行ってくれますか?」
二人が笑いあうと、釣られてみんなも笑った。

同居生活は、まさかの北から南へ舞台を移すこととなった。
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