“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした――忘れたふりをしていた恋の、その続き
第14章 触れ合う背中、優しさの向こう側

―宝箱へしまう愛―

初めて降り立った鹿児島の地は、緑に溢れた場所だった。
三月の土日で、さっそく家を決めるために鹿児島を夫婦で訪れたまなは、空港を出たところで北海道との気温の差に驚いた。
東京とも明確に違う空気は、まなの着てきたダッフルコートが季節外れであることを伝えてきた。

「マフラーとかも、要らないくらい暖かいね」
陸が、苦笑しながらマフラーを外す。
時々吹く風は、南の暖かさを孕んだ柔らかいものだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!
 鹿児島市の今の気温、二十度超えていますよ!?」
まながお天気アプリを開きながら驚いた声を上げる。
陸がそれを覗き込んで、ぽつりと感慨深げに言った。
「天気予報って、違う土地に来たって感じがするよね。
 桜島上空の風とか、降灰予報とか……見慣れない言葉まで並んでる」
「確かに、私も北海道で天気予報を見たときに、あの形をした地図が出てきてちょっと感動しました」
まなも同意するように頷く。
「……それにしても、噴火ってどんななんでしょうね。
 興味はあるんですけど、灰が降ってくるっていまいち想像ができなくて……」
道路の隅のほうに目を向ける。
そこには、さらさらとした灰色の細かい砂が溜まっていた。

「市内に行くと桜島も見えてくるはずだよ。
 とりあえずバスで鹿児島中央駅の方へ行こうか」
二人分の荷物が入ったスーツケースを陸が引きながら、バス乗り場の方へと向かう。
空はきれいな青空で、東京よりも強い陽の光が二人の上へと降り注いでいた。

約四十分バスに揺られ、降り立った場所は思ったよりも都会だった。
大阪で見たような観覧車のあるビルに驚きつつも、大阪よりも空が広い。
そしてビルの反対側には、堂々とした桜島。


乗用車の車内。
二人並んで後部座席にシートベルトを着けて座ると、車は緩やかに桜島方向へと発進した。

「活火山が、こんなに近くにあるなんて凄いですね。
 イメージでは、もう少し遠くにあるのかと思っていました」
まなの言葉に、陸の職場の男性が声を弾ませて笑った。
「他県の人はそう思うよね。
 転勤で来る子を案内する度に、似たような事を聞いている気がするよ」
お休みのところを陸たちのためにわざわざ使ってくれている彼は、面倒見が良く毎回転勤で来る若い人たちを進んで案内してくれているらしい。

「伊地知さん、お忙しいところありがとうございます」
陸とまなが二人で頭を下げると、彼の隣に座った女性が「いいのいいの」と笑う。
彼の奥さんも一緒に付いてきてくれていて、ご夫婦で仲良さそうに笑い合っている。
「ほら、うちは息子たちも独立しちゃったから子どもの面倒を見ているような気持ちで嬉しいのよ」
奥さんが朗らかに言うと、ご主人も「そうそう」と楽しそうに笑った。
そんな夫婦の姿に、まなは羨望のまなざしを送る。
「浅瀬くんもまだ三年目になるところなのに、さっそく転勤とは……大変だったね。
 奥さんも驚いたでしょう?」
「勝手にもう一年北海道だと思っていたので、まさかの日本縦断には驚きました」
陸の言葉に、奥さんが素早く反応をする。
「え!? 北海道!?
 いいなぁ~……住むのは大変だろうけど、憧れちゃう。
 旅行に行きたいわぁ……」
その言葉に、ご主人が「もし僕が転勤になったら、単身赴任させられそうだ」と苦笑いをした。
奥さんも「そうなったらお休みのたびに私は観光三昧ね」と言う。
どうやら北海道に強い思い入れがあるらしい。
「お二人は鹿児島の方なんですか?」
まなの問いに、ご夫婦が揃って「そうそう」と答える。
「私はね、島出身だから。
 本土に居るだけでも都会って思っちゃうんだけど、それでも鹿児島に戻ってこられて良かったわ。
大阪時代はちょっとホームシックになっちゃってね。
 息子たちは逆に大阪が良かったみたいで、今は二人とも大阪に居るのだけど」
「僕は市内出身だからシティーボーイだよ!」
ご主人の冗談に、奥さんが東京出身者に何の自慢にもならないわよと笑う。

車はやがて不動産屋へとたどり着いた。
伊地知さんご夫婦のお陰で、土地勘がない中でも住みやすい場所にいくつか候補をピックアップすることができた。

「風呂トイレ別は絶対。
 洗濯機置き場は室内にないとすぐに火山灰でダメになるわよ」
その言葉に二人揃ってゴクリと喉を鳴らす。
「……火山灰、そんなに凄いのですか?」
おそるおそる陸が尋ねると、二人ともこくりと頷いた。
「窓を閉めていても窓際はざらざらするし、書類なんかも大事なものはきちんとケースに入れておかないとダメになる。
 克灰袋って黄色い袋があって、それに掃除した灰を入れて捨てるくらいには降灰があるよ。
 けどこれは桜島のご機嫌次第。
 灰が降らない時は降らないんだけど、あまりに静かすぎると逆に不安になるのが鹿児島県人の性なんだ」

わぁ……と二人して顔を見合わせる。
そんな二人を見て、奥さんは安心させるように笑った。
「それでも私たちは桜島が大好きなのよ。
 結局見えるところに住みたいと思うし、桜島の恩恵で温泉にも入れる。
 良かったら今度正式にこちらに引っ越してきた後に、温泉に行きましょう」
にっこりと笑う彼女に、まなも微笑んで是非、と応えた。

その後いくつか家を内見。
扉を閉めたら頭がぶつかりそうなトイレに陸が難しい顔をしたり、開放的なバルコニーのあるおうちにわくわくしたり。
二人で暮らす家を探していると思ったら、幸せが溢れてくるようでまなも自然と笑顔になる。

家から桜島が全て見えるとまでは行かないけれど、建物東側の角部屋で、一部だけ桜島が見えるような、そんな家に二人で決めた。

駐車場付きの1LDK。
キッチンも広めのシンクがあり、作業がしやすそう。
そして、トイレは普通の広さだが便器はつるりとして新しめでしっかりと水を弾きそう。
コンセントがトイレ内にあり、後付けで温水便座も着けられる。
こだわりメーカーの温水便座が着けたくて、二人は顔を見合わせて頷いた。

「おや、二人ともトイレにこだわる方かい?」
伊地知さんが冗談で言った言葉に、二人とも「はい!」と良い返事をしてしまう。
言った後で恥ずかしくなって二人で赤くなる姿に、不動産屋の人まで含めてみんなで笑った。


早々に契約書を交わした後は、四人で食事へ出かけた。
地元の方お勧めのとんかつ屋さんは、とんかつの概念を覆すくらいの衝撃をまなに与えた。脂が甘くて口の中で優しく蕩け、さっくりとした揚げ加減は絶妙で固くならないけれどしっかり火は通っている。
東京とは違う優しい味の味噌汁に、ふわふわのキャベツとご飯はおかわり自由だ。
とんかつソースではなく、塩を掛けて食べる伊地知さんを真似て、まなも一切れ塩を掛けてみる。
ぱくりと囓った一口は、とんかつソース以上にお肉そのものの風味が感じられて感動した。
陸も同じように思ったようで、彼にしては珍しく初対面の人たちの中でも満面の笑顔を隠さずに食べていた。

最初はどんなところなのか、初めての二人暮らしに県外生活で不安もあったが、ここに来てみて期待の方が大きく膨らんだ。

この土地で、陸と二人で生きていく。


ご夫婦と別れ、二人は荷物を宿泊施設に置いた後に天文館を歩く。
繁華街は人に溢れているが、歩きにくいというほどではない。
まなは家族へのお土産用にかるかんの箱を購入する。
陸は親たちに頼まれた焼酎を見繕う。
どこから見ても旅行中の夫婦な姿に、まなの頬は綻んだ。

左手が、陸の右手にそっと絡められる。
親指で指輪を撫でられ、そしてきゅっと握られる感触が彼氏面ならぬ夫面で笑ってしまう。
まなが笑うと、陸も一緒に笑ってくれた。


夜は居酒屋に二人で入る。
何気に陸と二人、外で飲むのは初めてで新鮮だった。
薄暗い灯りの中、グラスを傾ける彼が色っぽい。

見慣れたまぐろや鯛に混ざって、きびなごや月日貝のお刺身などの地物が並ぶテーブルにまなの目はきらきらと光る。
幸せそうに食べる彼女を見て、陸も同じくらい蕩けた表情を浮かべた。
地元を離れ、知らない土地なのも手伝って、陸の心も緩んでいる。

グラスも自然と空ける速度が速くなった。

テーブルに運ばれてきた鳥刺しを、まなも陸も興味津々で覗き込む。
鶏肉はよく火を通すという概念が一つ壊される食べ物。
「ちょっとドキドキするね……」
陸が、ごくりと息を飲む。
まなはどちらかと言うと好奇心の方が勝っていた。
「今のうちなら、心置きなく食べられるので……楽しみです!」
栄養士として働くならば、食中毒リスクの高い食べ物は自然と避けることになる。
二人で口に運ぶと、想像よりもさっぱりとした脂とポン酢の組み合わせに気がついたら皿はすぐに空になった。
「美味しい!」
「うん、悪くないね」
ちょっとした冒険を二人でした気分のまま、最後は鶏飯とデザートを食べて、お店を後にした。

夜の街を、二人で手を繋いで歩く。
昼間は暖かかったが、それでも夜になると三月の気温が戻ってきてひんやりとして少し肌寒い。
温もりをお互い求めるように、いつもより半歩近くを寄り添って、仲良くホテルへと帰って来た。


オートロックのカードキーを差し込むと、かちゃりと軽い音がした。
一室しか取っていない室内へと、二人一緒に入る。
ビジネスホテルの狭い室内は、ほとんどがベッドで向かいに小さなテレビと机。
嫌でも目に入るベッドを意識するなと言う方が難しく、まなは譲られたシャワールームへと着替えを持って入ると大きく息を吐いた。

きゅっと捻るとシャワーから、温かいお湯がこぼれ落ちる。
気持ち、念入りにシャワーを済ませて部屋に戻ると、陸が窓際で外を見ていた。

「お待たせしました」
「ゆっくり入れた?」
陸がゆっくりと振り返る。
その目には穏やかな光が浮かんでいる。
大好きな、落ち着く彼の表情に、まなも笑顔を返す。
「温かくて気持ちよかったです。
 お先にありがとうございました。
 陸くんもどうぞ」

陸が入れ替わりでシャワールームへと入ると、まなは彼が見ていた窓辺に視線を向けた。
窓の下では天文館の街が見える。
市電が行き交い、人々が歩く。
今はまだ見慣れないこの光景が、近いうちに当たり前の日常へとなる。
その変化が、不思議な気持ちをまなに抱かせていた。

お風呂から戻ってきた陸の髪を、まなが乾かす。
ベッドに座りながら頭を少し下げている彼の髪の毛に触れる。
まなよりも短い時間で髪がさらさらに戻ると、静かにドライヤーのスイッチをオフにした。

急に室内に沈黙が落ちる。
「……寝ようか」
沈黙を破るように落とされた陸の言葉に、まなも頷きだけを返す。
掛け布団が持ち上げられ、身体の左側を下に向けて陸が横になる。
まなの方には、いつもの背中。
陸の声には、迷いも下心も感じられなかった。
そのあまりにもいつも通りな姿を見て、まなは急に恥ずかしくなる。

(な、何を私は意識していたの!)

まなも同じように、右を下にしてベッドへと潜り込んだ。
時間が、ゆっくりと過ぎていく。
寝返りを打って陸の方へと振り返って見る。
彼は変わらず、背中を向けて寝息を立てていた。

一つため息をついて背中をくっつけた。
温かい彼の背中が、恋しかった。

――確かに触れ合っているのに、触られていないみたいで。
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