“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした――忘れたふりをしていた恋の、その続き
第15章 初めて朝を告げるとき

―黄色い羽毛にさようなら―

カーテンの間から光が漏れ出てきて、その眩しさで目が覚めてしまった。
寝不足気味の頭でぼんやりと陸の方を見つめる。
陸は相変わらず背中を向けていて、少し……いや、結構寂しい。
こっちを振り向いてくれないかな、なんて思いながら、穏やかな寝息を立てる陸の背にそっと身体ごと寄せた。

そのとき、コロンと陸が寝返りを打つ。
薄く目を開けて、ぼんやりとしたまなざしがゆっくりと開かれ、焦点を結ぶ。

「……まな」
どこか、舌っ足らずな寝起きの声。
陸の手が伸びてきて、頬に触れる。
あたたかい。

「……かわいい」
「え!?」
唐突な言葉に驚いて思わず大きめな声を上げてしまう。
クスクスと陸が笑いながら、まだ眠気を引きずっているような声で答える。

「まな、今笑ってたから。
 笑顔が優しくてかわいいなって……思ったんだ」
頬に触れていた手の親指でゆっくりと撫でられる。
その仕草に、頬が赤みを帯びていくのが自分でもわかる。

「……陸くんが、こっちを向いてくれたから」
「え?」
「ずっと背中だけだったから。
 振り向いてくれて、嬉しかったの」
まなが目を細めて嬉しそうに笑う姿を見て、陸がなにかを少し理解したような、そんな表情になっていく。

「……俺の方、向いていてくれていたんだね」
「……うん。
 いつ振り向いてくれるのかなって。
 中々見てくれないから……寂しかった」
ぽつりと零された、本音。
陸は堪らず、まなを抱き寄せた。

「ごめん、俺……振り向かないのが、かっこいいとか思ってた……」
「え?」
「……ちゃんと、“待て”ますよって……焦ってないですよって……そんな感じ?」
戯けて言う陸に、まなは彼の腕の中で笑う。

「……夫婦なのに、“待て”は必要なんですか?」
くすりと笑いながらも、棘のある言い方。

「……俺、自分のこと一番信用して無くて。
 一度許されたら、止まれない自信だけはある」
言いながら、恥ずかしいのだろう。
抱きしめる腕の力が強くなり、彼の鼓動も速くなる。

「……止まらなくて、いいよ」
まながそう言ったのは、我慢して欲しいからじゃない。
向き合って欲しかったから。

「……そうやって、受け入れてくれるまなだから……。
 嫌でも、痛くても黙って受け入れてしまいそうで怖かった」
確かに、陸が与えてくれるものであれば喜んで受け取ってしまう。
それが痛みであっても。
その自覚があるまなは一瞬沈黙する。

「……大事に、してくれているんですね」
「当たり前だよ。
 まなより大事なものは、ない」
きっぱりと、そこだけは自信を持って言う陸にクスッと笑う。
「……でも、私が欲しかった“大事”とちょっと違う……かな」
「……うん。
 あー、俺あほだよね……触れないことが、何よりも大事にしてることだって……。
 俺は大事にできているって、良い夫になれているって……手を出さない自分に酔ってた」
はぁ、と陸がため息交じりに話す。
まなを抱き寄せる腕は、相変わらず強い。

「……あほじゃないよ、陸くんはやさしい人だよ。
 ……ただ、……私の欲しかった優しさじゃなかっただけ」
「……ごめん、ほんと。
 俺、なんで我慢してたんだろ……」

抱きしめたまま、まなの方に体重が掛かる。
軽く、掠めるようにキスをする。
お互いに顔を見合わせ、小さく笑ってまた顔を寄せる。
一回、二回と重ねるうちに、段々と長く、深くなっていった。

(あ……、これ、まずいかも……?)

「り、陸くん!」
まなの静止の声に陸がびくりと震える。
「ご、ごめんっ!
 勝手にそういう空気なのかと……」
「それは……嬉しいんです。
けど、今日は十時過ぎに大型の家具がお店から届くのと、転入届を出しに行く予定なので。
 今はもう九時に近いので、ご飯を食べませんか……?」
「……うん。
 なんか、ごめん……」

ちょっとだけ気恥ずかしさを引きずりながらも、レタスをちぎって簡単なサラダとスープを用意する。
陸がトーストと目玉焼きを焼いてくれて、二人で手を合わせた。
ちなみに机もまだ来ていないので空の段ボール箱が机代わりである。

陸が貰っている休暇も残り二日。
有意義に使わないとあっという間に終わってしまう。


食後ゆっくりとお茶を飲んでいるところで、時間通り大型の家具が届く。
二人で選んだダイニングテーブルやベッド、仕事用の机などが搬入されると一気に家になっていく。
まなの実家とも、陸の実家とも一人暮らしの部屋とも違う、二人で作り出す空間。
リビングに置かれたチェストの上に、ネコのあみぐるみを並べた。
やっとペアで並べることに、ネコたちも安心したような表情を浮かべているような気がした。

届いたばかりのリビングのソファーに座ると、不思議なくらいしっくりとした。
ぽすん、とまなの横に陸も座る。
まなは彼の肩に凭れ掛かろうとして、はっと気が付く。

「……どうしたの?」
慌ててスマートフォンを取り出そうとするまなに、陸が不思議そうに尋ねた。
「国試! 管理栄養士の!
 結果、とっくに出ていたのに、見るの忘れていました!」
慌ててホームページで確認をする。
自己採点では合格圏内だったが万が一があってはいけない。
ドキドキしながら開くまなの肩を、陸がそっと抱く。

「……あった……!」
ちゃんとそこで確認できた合格に、じわりと涙が浮かびそうになった。
苦しかった時間も、やり遂げた満足感も、すべてが一気にこみ上げてくる。

「おめでとう」

やさしく頭を撫でてくれる手が、おめでとうの言葉以上の気持ちを伝えてくれる。
ふわりと香るキンモクセイ。
季節外れのそれは、二人の愛用するハンドクリームの香り。
そして陸本人から香る同じ柔軟剤の香り。

この人と家族なんだと、またじんわりと心に沁みた。


市役所に行き、二人で転入届を出す。
彼が記入してくれた“浅瀬 愛”の名前にも慣れてきたつもりなのに、それでも彼が並べて書いてくれることに、胸が温かくなる。
同じように思ったのか、ちらりとこちらを見た陸の表情も少し照れを含んだ微笑だった。

少しの時間の後、様々な生活の冊子を渡されたことで転入手続きはすべて終了した。
手を繋ぎながら、駐車場へ向かって歩く。

「これから、まなとずっと一緒にいられると思うと……にやけが止まらない……」
自己申告通り、少し目を反らした陸は勝手に笑みが浮かぶようで、恥ずかしそうに手で口元を隠している。
「私も、陸くんと一緒で嬉しい。
 私をここまで連れてきてくれてありがとう」
握る手の力が、少し増す。
「……ついてきてくれてありがとう、とか……ここまで連れてきてごめんとか……色々思っていたけど。
 まなにありがとうと言われると、そのどれもなんか違うのかなって思った」
陸の反らされていた目が、戻ってくる。
「うん。
 私は望んでここにいる」
にこりと笑うまなを、眩しそうに陸が見つめた。

「管理栄養士としても、転勤族の妻としては正規雇用では働きにくいよね。
 その事実を受け入れてくれたまなを、絶対に後悔させたくない」
車に着く。
助手席のドアを陸が開けてくれ、まなはそっと中に滑り込んだ。
運転席に座る陸の横顔を見つめながら、まなはシフトレバーに手を伸ばした彼の左手に自身の右手を添える。

「……私、パートで管理栄養士のお仕事探せたらなとは思っているんです。
 パートでも正規でも、食を通して人の健康を支えたいという気持ちは変わらないと思っています。
 それに私が一番支えたいのは陸くん……家族なの」
まなの言葉を陸は真剣に聞く。
照れは一切なく、真面目に妻の言葉を聞く夫の姿があった。

「……子どもができたら、子どもも含めて。
 まずは家族を支える人でいたい。
 だから、陸くんは安心して仕事してください。
 ……私を、また色々なところへ連れて行って」
真面目に言ってしまったことに照れて笑うまなに合わせて、陸も微笑みを浮かべる。
そして、目を伏せた。

「……うん。ありがとう。
 最初は、海を通してまなのことを知るのが少し怖くて……逃げの選択で全国転勤のある仕事を選んだ。
 ……かっこ悪いよね。
 だけど、今は自分の仕事が楽しいと思うし、誇りにも思ってる。
 だから……まなのその言葉が、嬉しい」
「……かっこ悪いところも含めて、陸くんだから。
 自分に都合の悪いことまで……正直に言っちゃう陸くんが、好きです」
ぎゅっと、まなの重ねた手が一瞬だけ強く陸の手を握る。

「さて、お買い物して帰りますか?
 お部屋の片づけはまだまだあります」
まなの言葉に、陸もふっと笑って、了解と答えた。

車は、緩やかに発進した。


細かい片づけをしながら夕飯を食べて、夕方にやっと開通したガスを使ってお風呂を沸かす。
こだわって選んだ温水便座も本日無事に設置が終わり、二人ともが納得して顔を見合わせて笑う。

今日、ようやく生活が動き出した気がした。

トイレには季節に合わせて桜の芳香剤を添える。
陸の一人暮らしの家から持ってきた、黒ネコのトイレカバーにマットなどのセットがここでも可愛く馴染んでいた。

まなはそこに一輪差しに青いアネモネを生けて置いた。
落ち着ける場所になりますようにと願いを込めて。
目に鮮やかな青い花弁が、空間をやさしいものへと変えてくれた。

脱衣所にはちょっとした棚を組み立てて置いた。
二人で説明書とにらめっこをしながら作った棚はぐらつきもなく洗濯機との隙間を埋めている。
そこに何を入れるか、タオルは何番目に置くかを、取り出しやすさ、見やすさなどを含めて考えて置いていく。

お互いの衣服を入れるときは、意味もなく照れた。

お風呂場に並んだ新品のお風呂セットを見ながら、まなはお気に入りのシャンプーとコンディショナーを並べる。
全体に落ち着いた色合いの空間の中、陸が窓辺に置いた観葉植物が、静かに彩りを添えた。
思えば、浅瀬家は観賞植物の多い家だったので、自然と置きたくなるのかなと思ってまなは微笑んだ。
北海道では寒すぎて置けなかったからこそ、今なのだろう。

「やっぱり緑があると違いますね」
「うん。
 なんか子どものころから家中に置いてあったから、そこにいてくれるだけで落ち着く」
陸は、葉っぱにやさしく慈しむように触れた。
「よかったですね、お気に入りの子が見つかって」
まなもつられてやさしく触れる。
湿気を帯びた葉が、ひんやりとして心地よかった。

浴室の外にバスマットを敷いて、二人で顔を見合わせる。

「陸くん、お先に入りますか?」
「え! まなから先に入っていいよ」
お互い譲り合ってしまうところに、小さな苦笑が二人から漏れた。

「……じゃあ、一緒に入ります?」
まなの爆弾発言に、陸が照れるでもなく凍り付いた。
ぽかりと口を開けたまま、動かない。
「……なんて、ね。
 先、入らせてもらいますね」
ぱたん、と扉の外に陸を残して、まなは脱衣所に入る。
からかってしまった夫の表情を思い出して、一人でクスッと笑ってしまう。
温かいお湯とやさしいシトラス系の石鹸の香りに包まれながら。
真面目で堅物過ぎる、そんなところも好きだと思ってしまう自分が、一番彼に溺れている。


お風呂から上がると、陸が一人ソファーに座ってお茶を飲んでいた。
まなお気に入りの白桃ウーロン茶がティーポットに淹れられている。
ふわりと漂う、白桃の香り。

「……おかえり。
 まなも、飲む?」
ほんの少し紅潮した頬を緩めて、陸が笑う。
「はい、いただきます。
 お風呂お先にありがとうございました」
「……ううん。
 ゆ、ゆっくり入れたなら……良かった」
まながそう伝えると、ますます頬を赤くしながら陸が答える。

その様子がおかしくて笑いそうになったところで、耳元で「待ってて」と囁かれる。
少し掠れたその声にドキリとして彼の方を振り向くと、照れ隠しか早々にお風呂場へと向かっていった。

残されたまなは、自身も頬が赤くなるのを自覚する。


落とされた灯りは、寝室をどこか幻想的な空間へと変える。
壁際のダウンライトが温かい温度で淡く室内を照らしている。

「……おいで」

届いたばかりのベッドに陸が先に入り、掛布団を持ち上げてまなを呼ぶ。
いつもと同じ行動なのに、明確に何かが違うのを感じながら、陸の傍へと向かう。

布団に入ると、待てなかったとでも言うように、ぎゅうっと抱き締められる。
腕の力は感じるのに、それでも少しでもまなが嫌がったらすぐに離そうという意思も感じられて。
そんな彼の後押しをするように、まなの方から彼に体重を掛ける。
ぽすんと枕に沈んだ彼の頭の横に手を付いて、まなの方から顔を寄せた。

ふわりと漂う、同じシャンプーの香り。
やさしく触れるだけのキスをした後、そっと下にいる彼に微笑み掛ける。

「……今度は、止めません。
 私も、止まりません」

まなの言葉に、陸が笑う。
「まな、男前すぎ……」
今度は陸がまなの頭に手を添えて引き寄せる。

何度も唇を寄せながら、合間に言葉を落とす。

「……まな、愛してる」

いつかと同じ言葉を、同じように真剣に、でも込められた熱を隠さずに陸が伝えてくる。
高校の時から、この人は変わらない。
いつだって真剣に愛してくれている。

「私も、陸くんが大好きです。
 ……愛しています」
陸とまなの位置が反対になる。
やさしく髪を撫でられながら、段々と深くなるキス。
まなも大丈夫だよと伝えるように、陸の背に腕を回して抱きしめた。

「……嫌だったら、すぐに言って」
相変わらずの予防線にくすりと笑いながら、「陸くんがすることに、嫌なことなんてないよ」と伝える。

迷いを振り切るように、陸の手が彼女の心にそっと触れる。
震える指先は、どこまでもやさしい。

今度こそ、陸は逃げなかった。


カーテンの隙間から柔らかい朝の光が漏れだすまで、彼は愛を囁く。

まなはたくさんの愛と、温もりと、少しの痛みを抱きしめた。


朝というには、大分外が明るい。
まなはコーヒーの香ばしい香りで目を覚ました。
隣にあった温もりはほんの少しシーツに残っているだけ。

「……おはよう、陸くん。
 朝ごはんありがとうございます」
キッチンへの扉を開けると、陸がテーブルに遅い朝食とコーヒーを並べているところだった。
「お、おはよう……。
 えっと……、……身体、大丈夫?」
目を泳がせながら、それでも心配してくれる姿が彼らしい。
「私は大丈夫ですよ。
 さすがに違和感はありますが。
 ……陸くんは?」
「運動不足を感じたけど……だ、大丈夫!
 朝ごはんというか昼ご飯に近いけど……これを食べたら、今日は出かけよう」
「楽しみです」
彼の作った朝食を食べながら、お互い少し照れを隠せずに目が合うたびに視線を泳がせる。
明るい日の差すダイニングに座りながら、幸せな朝を迎えたことを嚙み締めた。

堂々とした朝ではなかった。

どこかぎこちなくて、気恥ずかしくて。
陸は朝食を食べながらも、相変わらず落ち着かない。

それでも。

彼は、逃げなかった。
振り向いた。
ちゃんと、隣にいた。

それが陸の覚悟の仕方。
それだけで、まなは心が温かくなった。
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