“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした――忘れたふりをしていた恋の、その続き
東京の空にも、春の暖かい空気が混ざり始めた三月後半。
まなは朝から美容室で髪を結って貰っていた。
なおと並び、まるで双子の様な姿に陸は息を飲む。

「双子ちゃんの袴姿、かわいいわぁ……」
美容師さんの言葉に、なおがドヤ顔で「実は双子じゃないんですよぅ」と笑う。
まなは苦笑しながら、「三つ子なんです」と付け加えた。
「まぁまぁ!それは!
 お母様、ここまで立派に育て上げて……少し肩の荷がやっと下ろせますね」
美容師さんの言葉に、母が長いような短いようなと笑う。
まなの緋色の着物と、なおの浅黄の着物が朝の光を柔らかく照らす。

ゆめは京大を数日前に卒業した。
彼女の場合は大学院に進学するのでまだまだ学生生活が続く。

まなとなおの並ぶ姿を母が写真に収めた後、今度は陸をまなの横に並ばせる。
「せっかくだから夫婦でね」
笑う母の声に併せて、なおが陸さんまなの肩くらい抱きなよと茶化す。
陸は面白いように狼狽える。
卒業式という晴れの日で、気が大きくなったまなの方から、陸の腕に手を絡めた。
赤くなって固まる陸に笑う瞬間が切り取られていた。

なおは母と卒業式に向かい、まなには陸と父が付いてくる。
父が嬉しそうに陸と話す姿を見て、まなは心が温かくなるのを感じた。

卒業式後の立食パーティーには参加しなかった。
陸が良かったの?と心配そうに声を掛けてくるが、迷い無くまなは答える。

彼にはあまり話していないが、大学の同期と恋愛観が合わなかったこともあり、深い付き合いをこれからするつもりもない。
会費を払って参加するくらいなら、陸と美味しいものが食べたかった。

「なぁ」
唐突に声を掛けられ、陸が不思議そうに振り返る。
「まな、参加させないとか縛りすぎじゃね?」
声を掛けてきたのは、まなが大学入学後に一瞬だけ付き合ったあの男子だった。
陸はまなが嫌そうにしているのを感じ取ると、彼女の手を取り彼へとにこりと微笑む。
その笑顔はどこか海にも似ていた。

そのまま踵を返して並んで歩く。
繋がれた手に心強さを感じながら、会場を後にした。
この手が、夜にはそっと離れてしまうことを、まなはまだ小さな違和感としてしか感じていなかった。


卒業式の夜。
浅瀬家と保坂家の家族が集まり、総勢九名での賑やかな食事会が行われた。
京都から戻ってきているゆめと、同じく大学を卒業したばかりの海も加わり気がついたら大所帯である。

海とゆめは卒業後大学院へと進学。
なおは体育教師として中学校への就職が決まっている。
そしてまなだけがまだ決まっていない。
管理栄養士の試験の結果は明後日。
自己採点の結果、合格見込みではある。
だが、引っ越しも終わっていないような状況では職探しよりも優先することが多かった。

「まなちゃんはあっちで就職するの?」
ゆめの言葉にすぐに答えられず、まなは隣に座る陸を見る。
陸はまなと目が合うとにこっと笑う。

(……多分、私の好きにしていいよってことなんだろうけど)

ほんの、寂しさがまなの胸をよぎる。
陸の母がまなを見つめて、恐らく正しく状況を理解したのだろう、ぺしりと陸の肩を叩く。
激励のようで叱責のようなその意味を、陸は理解できずに不思議そうに首を捻っていた。

「……ごめんなさい、まなちゃん。
 あんまりひどかったら私を呼んで。
 鹿児島に活を入れに行くから……」
ため息をつきながら陸の母がまなに頭を下げようとする。
まなはそれを慌てて止めた。
「いえ!
 陸さんは……大事にしてくれています!
 お仕事は……落ち着いたら考えようと思います」

二人のやり取りを見て、海が呆れたような表情で陸に目を向ける。
「え、また兄ちゃんなんかやらかしてんの?」
「してない……と思う」
自信なさげに答える陸の肩を、まなの父がバシバシと叩きながら「陸くんはまなの良い旦那さんだよ!」と笑って言う。
その言葉が静かにまなの心へと沈んでいく。

(……私は、“良い妻”になれているのだろうか)

窓の外には薄紅色の花が揺れる。
世の中は明るい春なのに、まなの心はどこかまだ冬のままだった。


翌日。
まなの家の前に、陸が車を着ける。
浅瀬家の車を新調するということで、今までのものを結婚祝いも兼ねて陸が貰い受けた。
車の後ろに細々としたものを纏めた段ボール箱を載せる。
洋服などは数着をトランクに詰め、残りは宅急便で送ることにした。
北海道の陸の荷物は、家具など大きいものは次の赴任者に譲り、最低限のみを単身パックで手配済み。
後部座席には少しの荷物と、それから海が座っていた。

まなと目が合うと、ひらりと手を振る。
春休み中の海を連れて、車でドライブしながらの鹿児島への旅。
三人で交代しながら運転して向かう予定だ。

心配そうにまなの母が陸と海に声を掛ける。
「海くん付き合ってくれてありがとうね。
 陸くん、まなのこと、よろしくお願いします。
 三人とも、気をつけて行ってらっしゃい」
陸の手に、飲み物やお菓子の入った袋を渡す。
陸は頭を下げてお礼を伝えながらそれを受け取った。
「おばさん、しっかり送ってくるね!
 お土産買ってくるから楽しみにしてて!」
海がにこっと笑うだけで、空気が柔らかく解ける。
まなが助手席に座ると、車は静かに発進した。


車は何度目かのSAへと到着する。
三人で外に出て、伸びをしながらトイレへと向かう。
SAのトイレは規模も大きく、広かった。
歯磨きや洗顔などもできるように、洗面台は多めに並び、その洗面台の前には小さな花瓶にミニブーケが生けてあった。
春らしいピンクを中心とした花束に、まなの頬は自然と緩む。
個室もずらりと並んでいる。
一つ一つのスペースは、普通のサイズのものからチャイルドチェア、フィッティングボードを備えた大きな個室まで利用者に合わせて様々。
扉は公衆トイレらしく無機質だったが、中のトイレは温かい便座に座りやすい高さと形、そして消音装置もしっかりと機能している。
トイレットペーパーの数も問題ない。
ペーパーの質は再生紙の為硬めだが、それはSAという場所柄仕方が無い。
洗面はちょうど良い温度のお湯がセンサーの反応も良く、すっと出た。
オートの泡が手のひらに優しく落ちてくる。
SAにしては上々の空間に、今すぐ陸にそれを伝えたくなった。

トイレを出ると、少し離れたところに陸が立っていた。
陸の方もまなに気がつくと、気持ち早足で歩いてくる。
「まな!」
「陸くん!」
二人の表情は明るい。
「「トイレ、なかなか良かった!」」
お互いに口に出してから笑い合う。
「あのね、洗面台に、お花が飾ってあったの」
「見た見た!
 ああいうおもてなしの心っていいね」
陸も乗ってくる。
「トイレも個室の種類が多かったし、洗面もお湯でした!」
陸も同意するように何度も頷く。

「まな、聞いて欲しい」
「はい?」
「……覚えているか、判らないんだけど……昔、手を洗わない男子が多い話したの、覚えている?」
「うん、もちろん」
その話を聞いたのは、高校一年生のトイレ巡回の場で、そのときはまだ付き合ってもいなかった。
あの時から見たらずいぶんと遠くへ来たなぁと感慨深くなる。
「そう……その男子手を洗わない問題が、解決するような……画期的なトイレがあったんだ」
静かに、感動を噛みしめるような少しもったいぶった陸の言い方に、まなの方もつられて小さく息を飲む。

「……小便器の上で手を洗うと、水が流れる仕組みだったんだよな」
そのとき呆れたようなため息と共に、海が陸の言葉を引き継いだ。

「……というかさ、兄ちゃんもまなも、せめて車の中で話そうぜ?」
ふと気がついて周りを見る。
大きなSAのトイレの前で熱く語り合う二人の姿は目立っていたようで、周りの人がクスクスと笑ってその場を通り過ぎていく。

二人とも頬を赤くしつつも、顔を見合わせて笑った。


途中何度か運転を交代しながら、ほとんどが陸と海で運転をしてくれて車は鹿児島北インターを抜けた。
ナビが新居への道を案内する。

車を走らせながら、目の前が灰色に曇っていく。
「これって……」
「……火山灰?」
ハンドルを握っているのは陸だ。
前の車が見えないということはないが、遠くあるはずの桜島は灰色に塗りつぶされて見えない。
フロントガラスの灰は走行中だからか飛んでいってくれているが、停車中の車は堪ったものではないだろう。
「早速洗礼浴びてるねぇ、兄ちゃん」
これが灰かあ、と言った観光客気分で海が言う。
まなも陸も、これからこれが日常になるという前提がなければ、同じような感想を抱いただろう。

「……確か、伊地知さんが車の灰を落とすために羽箒は常備して置くように言っていたよね」
「……早速買いましょう」

紆余曲折ありながらも、車は新居へと到着した。
灰を避けるように、慌てて段ボール箱を抱えて室内へと入る。
もうすでに段ボールの表面はザラザラしていた。
まだ荷物も届いていなくて、今持ってきた段ボール箱以外何もない部屋に三人で座る。

噴火は落ち着いたのか、窓の外にうっすらと桜島が見えた。

その日はラグとダブルの布団を買いに行き、それを敷いて三人雑魚寝をした。
水道・電気は使えるが、ガスはまだ開通しておらず、この日は温泉へと出かける。
早速桜島の洗礼と恵みを体験した三人は、自然の偉大さを痛感した。

翌日は続々と荷物が届く。
飛行機で帰る海を感謝と共に見送り、そして二人で荷物を運んだり家具の細かい配置を相談したりしながら片付けていると、あっという間に夜だった。
今日も温泉に行き、二人時間を決めて待ち合わせる。
温泉の感想を言い合いながら手を繋いで寄り添う姿は、どこから見ても夫婦だった。

ベッドやテーブルなど、大型の家具がまだ無い中で、二人布団を敷いて横になる。
東京で選んで買った茶色のカーテンが、外からの視界をやさしく遮る。

陸が先に布団に入ると、掛け布団を持ち上げて、おいでと呼ぶ。
そのやさしい声にまなの胸が小さく跳ねた。

だが、その声は最後までやさしいまま、おやすみと告げると左を下にして背中を向ける。

まなはその日、右を下にしなかった。
そのままの姿勢のまま、振り向かない背中を、
まぶたが重たくなるまで、ずっと見つめていた。

穏やかな寝息が聞こえる中、中々眠たくならないことに、半ば眠ることを放棄してぼんやりと身体を横たえる。
窓の外、道路を走る車のエンジン音がほとんど聞こえなくなってきた頃。

ようやくまなは、目を閉じた。
< 26 / 27 >

この作品をシェア

pagetop