“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした
第5章 十一月三日の内緒ごと~小さなケーキと勇気一つ~

―チキン先輩、たまごからひよこにジョブチェンジ―

体育祭が終わり、学校は文化祭一色になった。
まなは赤黒の定期入れに視線を落とす。
お気に入りのその中には、定期券と一緒に文化祭での茶道のお点前チケットが挟んである。
渡せないはずがない。
――そう思うのに、体育祭で“後輩”に選ばれなかった痛みが、ふと胸を刺した。

(陸くんは、私を守るために隠してくれている……)

陸のことを堂々と彼氏と言えないさみしさが、静かに胸に残っていた。

月曜日の放課後。
文化祭準備で人の流れが増えた教室棟を、まなと陸はトイレットペーパーを運ぶ。
三年の女子トイレの中にも生徒が数人いて、お化粧をしていた。
「あ、トイレ係ちゃん来たね」
「本当だ、まなちゃんだっけ? 三つ子の。かわいーね」
補充を終えると、先輩が手招きした。
「まなちゃん、お化粧してあげるよ!」
「い、いえ! 委員会活動中ですし」
「じゃあ、リップだけ。
 このリップ色付きだからつやっとしてもっとかわいくなるよ」
きゅっと塗られたリップの仕上がりに先輩は満足そうに笑った。

トイレから出ると、陸が廊下で待っていた。
「お疲れ様」
「お待たせしてすみません」
「中に人がいると作業しにくいよね」
そこへ先輩たちが出てきて、陸に笑いながら絡む。
「ちょっと浅瀬くん、私たちのせいにしないでよね」
「いや……誰がとかじゃなくて一般論で」
「まぁ、まなちゃんちょっと借りたから間違ってないんだけど!」
「浅瀬くんへのプレゼントかな」
「トイレ係頑張ってねー」
陸は不思議そうに首を捻った。
なんとなく嵐が去っていったような気持ちになりながら、トイレットペーパーを抱え直して、一階上にあがった。
気が付いて欲しいような、欲しくないような、そんなソワソワを抱えながら。

最上階まで順調にたどり着くと、廊下の壁に二人揃って寄りかかった。
渡すなら今しかない――と思った瞬間、陸がこちらへ向き直った。
「もしかして、お化粧してる?」
右手がまなの頬に触れ、上を向かされる。
一瞬、胸が詰まって息を飲む。
「いえ……リップだけ、さっきの先輩たちが。
 活動中にすみません」
「そっか……かわいい」
じっと見つめられる時間が長くなればなるほど、まなが赤くなっていく。
それを誤魔化すかのように、定期入れへと手を伸ばす。
中に挟んでいたチケットを二枚取り出すと、陸の方へ差し出した。
「文化祭の、茶道部のチケットです。もらってください」
差し出すまなの手も、受け取る陸の手も震えている。
「ありがとう、嬉しい。
 今回は、もらえないのかななんて、ちょっと思っていたから……」
「まさか。
 陸くんに、一番来て欲しいよ」
「……うん。必ず行く」
陸はチケットを受け取ると、前回と同じように生徒手帳に挟む。
sその時不意に、写真つきの個人情報欄が見えた。
和暦の後に並ぶ数字。

――十一月三日。
文化祭当日の日付だった。


文化祭前日の夜。
まなはキッチンに一人静かに立っていた。
明日が楽しみなのに、胸の奥が苦しい。
甘い匂いが立ち始めたころ、香りに誘われて二人が寄ってくる。
「お、おいしそうな匂い~♪」
「絶対扉は開けないでよ!?」
「なおちゃん、今扉開けたところでどうやってつまみ食いするつもりだったの……?」
ゆめが姉の方を信じられないという顔をして見つめる。
「まなちゃん、味見係はいる?」
「あ、ゆめずるい!」
賑やかな姉妹に、まなは笑いながら、「スポンジの残った端っこでよかったら」とだけ言う。

スポンジの粗熱が取れたところで、ゆめからハートの型を渡された。
「まなちゃん、初めての誕生日ならこれは外せない。
 絶対ハートにするべき」
ゆめの目は真剣で、からかいは含んでいない。
「そのイチゴも、ハートにして」
「え……! そ、そこまで!?」
ゆめが重々しく頷く。
「言えない気持ちは行動で。
 これは恋愛の鉄則よ!」
まなは、ハートの型でスポンジをくり貫いた。
その作業を見つめながら、ゆめは満足そうに微笑む。

こんな風に背中を押してくれる家族がいることを、まなは心強く感じていた。


文化祭当日。
家を出る前に、『おはよう』と言っている例のハートを抱いたネコのスタンプを送る。
そのスタンプの中にある、“好き”と“愛してる”はまだ相変わらず未使用のまま。
じっと眺めていると、後ろから「おっはよー!」となおに背中を押された。
指がぶれて”愛してる”のスタンプが送信される。
その横にすぐさま既読の文字がついた。

――終わった……

まなはスマートフォンを胸元で抱きしめたまま固まっていた。
「あら? まな? まーなー?」
なおがヒラヒラと顔の前で手を振る。
「間違っちゃったでしょ! なおのばかー!」
まなは、真っ赤な顔でなおを怒ることしかできなかった。
手の中のスマートフォンは震えない。
玄関で靴を履き、保冷バッグを持って家を出る。
恥ずかしさを隠すように早歩きしていると、小さくスマートフォンが震えた。

『おはよう、まな。
 いつも通り、八王子の四番ホームで待っているね。
 気を付けて来て』

あまりにいつも通りな文面に、ほっとした。

次の瞬間、もう一回スマートフォンが震えた。
――同じネコが、ハートを抱いて愛していると言っていた。

(え……。まさか、買って……?)

その時間差の意味に気が付いて、一気に耳まで熱くなる。
まなはスマートフォンを抱きしめ、道を急いだ。
少しでも早く、今は彼に会いたい。

駅の柱の向こうに、いつもと同じ、寝ぐせのない陸の濃茶の頭が見えた。
「……まな、おはよう」
そういう声が、いつもより震えていた。
その震えが、自分のせいだと思うと胸がきゅっとなった。
「……陸くん、おはよう」
次の瞬間、陸の手がまなの指先に触れる。
指を絡めて、恋人つなぎになる。
柱の陰で電車が来るのを待っていると、わいわいとした声が聞こえてきた。
二人の手が離れる。
文化祭準備に向かう子たちのグループが、いくつか集まり始めていた。

電車が到着すると、二人は並んで空席に座った。
まながちらっと陸を盗み見る。
陸は鞄からスマートフォンを取り出して、操作している。
次の瞬間、まなのスマートフォンが震える。
受信したメッセージの送信主は陸。
そっと、メッセージを開いた。

『浅瀬 陸:今日は人が多いね。
     お昼は、一緒に食べよう』

メッセージの後には、ハートを抱いたネコのスタンプ。
そのネコのスタンプには、”好き”という文字が付いていた。
まなは思わず陸の顔を見る。
視線を窓に逃がした横顔が、どうしようもなくかわいかった。
不自然にならない程度に肩を寄せて、まなもスマートフォンを操作した。

『保坂 愛:うん、お昼楽しみです。
     茶道の担当が十時半からなので、それが終わったらでいいですか?』
鞄の中の小さな保冷バッグが、秘密みたいにひんやりと重たい。
今日、ちゃんと”おめでとう”が言えるだろうか。

まなも、同じスタンプを返す。
手は繋げなかったが、心はとても温かかった。
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