シトラスの魔法が解けるまで
移動教室の理科室。実験の準備でざわつく教室内で、私はさっき廊下で見かけてしまった光景を、何度も何度も反芻していた。
瀬戸の隣にいた、あの髪の長い女子。
楽しそうに笑い合っていた二人の姿が、網膜に焼き付いて離れない。
「……ねえ、莉奈」
不意に隣から声をかけられ、肩が跳ねた。
見ると、冴が実験用具を片手に、じっと私を見つめている。その目は、冗談を言っているときのものじゃなかった。
「な、なに?」
「さっき、二組の前で。莉奈、瀬戸のこと見てたよね」
心臓がドクンと嫌な音を立てる。私は必死で表情を取り繕い、ビーカーを洗うふりをした。
「だから、見てないって。たまたまドアが開いたから……」
「嘘。莉奈、目が泳いでる」
冴は一歩、私の方へ距離を詰めた。周りの生徒たちの話し声にかき消されそうな、小さな、でも逃げられない声。
「……やっぱ、瀬戸となんかあったよね? 中1のときあんなに仲良かったのに、今じゃ挨拶もしないし。莉奈瀬戸のこと好きだったのに……。てか莉奈、まだ瀬戸のこと、好きなんでしょ?」
図星を突かれて、言葉に詰まる。
「好き」なんて、そんな単純な言葉で片付けたくなかった。仲が良すぎたからこそ、一度ズレてしまった歯車をどう直せばいいか分からない。名前を呼ぶ勇気も出ないまま、ただの「他クラスの藤井」になってしまった今の自分が情けなくて。
「……なんでもないよ。冴には関係ないじゃん」
冷たく突き放すような言葉が、自分の口からこぼれ落ちた。
冴が少しだけ傷ついたような顔をして、「……そっか。ごめん」と短く視線を落とす。
(……最低だ、私)
瀬戸と女子が一緒にいたショックを、一番の親友にぶつけてどうするんだ。謝らなきゃいけない相手を、これ以上増やしてどうするの。
胸の奥がギュッと締め付けられて、私は慌てて冴の袖を軽く引いた。
「……ごめん、冴。今の、なし。ちょっと余裕なくて」
「莉奈……?」
「今日の放課後、帰り道で話してもいい? ……瀬戸とのこと。去年のことも、全部」
冴は少し驚いたように目を見開いたあと、すぐにいつもの優しい顔に戻って「うん、もちろん。待ってるね」と頷いてくれた。
チャイムが鳴り、授業が始まる。
ノートの隅に「瀬戸」と小さく書いて、すぐに黒く塗りつぶした。
放課後になれば、私はついに「去年の冬」の封印を解かなきゃいけない。
あの日、私と瀬戸の間に何が起きたのか。
どうして私たちは、名前を呼ぶことさえできない「他人」になってしまったのか。
瀬戸の隣にいた、あの髪の長い女子。
楽しそうに笑い合っていた二人の姿が、網膜に焼き付いて離れない。
「……ねえ、莉奈」
不意に隣から声をかけられ、肩が跳ねた。
見ると、冴が実験用具を片手に、じっと私を見つめている。その目は、冗談を言っているときのものじゃなかった。
「な、なに?」
「さっき、二組の前で。莉奈、瀬戸のこと見てたよね」
心臓がドクンと嫌な音を立てる。私は必死で表情を取り繕い、ビーカーを洗うふりをした。
「だから、見てないって。たまたまドアが開いたから……」
「嘘。莉奈、目が泳いでる」
冴は一歩、私の方へ距離を詰めた。周りの生徒たちの話し声にかき消されそうな、小さな、でも逃げられない声。
「……やっぱ、瀬戸となんかあったよね? 中1のときあんなに仲良かったのに、今じゃ挨拶もしないし。莉奈瀬戸のこと好きだったのに……。てか莉奈、まだ瀬戸のこと、好きなんでしょ?」
図星を突かれて、言葉に詰まる。
「好き」なんて、そんな単純な言葉で片付けたくなかった。仲が良すぎたからこそ、一度ズレてしまった歯車をどう直せばいいか分からない。名前を呼ぶ勇気も出ないまま、ただの「他クラスの藤井」になってしまった今の自分が情けなくて。
「……なんでもないよ。冴には関係ないじゃん」
冷たく突き放すような言葉が、自分の口からこぼれ落ちた。
冴が少しだけ傷ついたような顔をして、「……そっか。ごめん」と短く視線を落とす。
(……最低だ、私)
瀬戸と女子が一緒にいたショックを、一番の親友にぶつけてどうするんだ。謝らなきゃいけない相手を、これ以上増やしてどうするの。
胸の奥がギュッと締め付けられて、私は慌てて冴の袖を軽く引いた。
「……ごめん、冴。今の、なし。ちょっと余裕なくて」
「莉奈……?」
「今日の放課後、帰り道で話してもいい? ……瀬戸とのこと。去年のことも、全部」
冴は少し驚いたように目を見開いたあと、すぐにいつもの優しい顔に戻って「うん、もちろん。待ってるね」と頷いてくれた。
チャイムが鳴り、授業が始まる。
ノートの隅に「瀬戸」と小さく書いて、すぐに黒く塗りつぶした。
放課後になれば、私はついに「去年の冬」の封印を解かなきゃいけない。
あの日、私と瀬戸の間に何が起きたのか。
どうして私たちは、名前を呼ぶことさえできない「他人」になってしまったのか。