塩対応だった旦那様が記憶喪失になったら、執着溺愛して離してくれなくなりました

思いがけない求婚

「俺と結婚してもらえませんか、ラシェル・ブラン男爵令嬢」

 形のよい唇が紡いだ声は、低く耳なじみがいい。

 顔だけじゃなくて声もいいなぁなどとぼんやり考えていたラシェルは、目の前の人物が発した言葉の内容を理解してハッと我に返った。

 彼は、レナルド・ヴァンタール侯爵。この国では知らぬ者などいない有名人だ。

 父親が療養のために引退したことから家を継いだ、若き侯爵。それに加えて彼は優秀な騎士で、まだ二十代半ばながら次期騎士団長に一番近い男だと言われている。

 鍛え上げられた身体はがっしりとしているが粗野な印象はなく、気品すら感じる。艶やかな黒髪に明るい緑の瞳を持つ顔立ちは整っていて、女性からの人気も非常に高い。夜会では、彼と踊りたい令嬢が列をなすという噂だ。

 そんな彼が、貧乏男爵家の娘と結婚したいだなんて、普通に考えてありえない。ラシェルの願望が聞かせた幻聴だと言われたほうが、まだ信じられる。

 ちらりと左隣へ視線を向ければ、父親が同じようにぽかんとした顔をしているのが見えた。

「えっ……? あの、本気……ですか?」

 問いかける声は、微かに震えている。ラシェルの言葉に、レナルドはにっこりと笑ってうなずいた。

「えぇ、もちろん。冗談でこんな話をするわけがありません。――それで、返事をお聞かせ願いたいのですが」

 笑顔なのに、絶対に断ることのできない圧を感じる。ラシェルは、思わず父親と顔を見合わせた。
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