塩対応だった旦那様が記憶喪失になったら、執着溺愛して離してくれなくなりました
 侯爵家の使用人は皆穏やかで、こんな大きな物音をたてるなんて珍しい。何かあったのだろうかと本から顔を上げると、扉が勢いよく開いた。

「ラシェル様……!」

「コレット? どうしたの、そんなに慌てて」

 飛び込んできたのはコレットで、彼女は肩で息をするほどに呼吸が荒い。いつもと違った様子を見て、ラシェルは本を閉じて彼女のもとへ駆け寄った。胸に手を当てて呼吸を整えるコレットのうしろに、もう一人いることに気づいて、ラシェルは眉を上げた。そこにいたのは、執事のクレマンだった。彼は白髪まじりの髪をいつもきっちりと撫でつけているのだが、今はそれが乱れている。明らかに異変を感じ取って、ラシェルの胸が騒いだ。

「何か……あったの?」

「ラシェル様、どうか落ち着いて聞いてくださいませ」

 クレマンは、そう言うと自らの心を落ち着けるかのように一度深く息を吐いた。何を言われるのかと、ラシェルは思わず胸を押さえる。

「旦那様――レナルド様が、任務の最中に怪我をされたとの連絡がありました」

「……っ!」

 血の気が引いて一瞬ふらりとよろめいたが、なんとか堪える。強く手を握りしめて、ラシェルはクレマンを見つめた。

「怪我の、具合は? レナルド様は今、どちらに?」

「詳細は不明ですが、王立病院に運ばれたとのことです」

 騎士という仕事が、常に危険と隣りあわせであることは理解していたつもりだったが、両手が小刻みに震えて止まらない。わざわざ連絡をよこすほどの怪我が、軽傷であるはずないのだ。最悪のことまで頭によぎり、ラシェルは一度強く目を閉じてそれを追い払う。 

「分かりました、すぐに向かうわ。馬車の手配をお願い」

「すでに手配済みです。ラシェル様の準備が整い次第、出発できます」
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