夢幻の扉~field of dream~【本編1】

13.湖畔の一軒家

 三人がカフェに入ると、店内は少しざわついた。デビュー間もない叶依はともかく、OCEAN TREEは人気有名人だ。ついこの間まではざわつく側だったのに、と緊張しながら店内を奥へ進む間に、冬樹が従業員に『Aランチ三つね』と注文していた。OCEAN TREEは店の常連客らしい。
 店内がざわついたのは、OCEAN TREEだけが原因ではなかった。
「僕ら、ここにはよく来てるし……叶依ちゃんに注目してるんじゃない?」
 冬樹に言われて耳を澄ませると、聞こえてきたBGMは叶依の『balloon』だった。店長はOCEAN TREEの高校時代の先輩で、OCEAN TREEがラジオで紹介したアーティストの曲はいつもしばらく流し続けるらしい。
 注文したランチが届けられると、
「俺、この海老フライが好きなんだよ」
 と、海輝は嬉しそうにしていた。
「僕は海老フライも好きだけど、コーヒーかな」
 冬樹はコーヒーだけを飲み続けて時間を潰すこともあるらしい。
 二人は同級生で普段は東京で暮らしているけれど、北海道出身なのもあって、このカフェでのライブを兼ねて帰省していたらしい。
「叶依ちゃん──髪切った?」
「うん。十センチくらい」
 前は肩より長かったけれど、今はかかっていない。
「だーから、最初わかんなかったんだ」
 ちなみに叶依が髪を切ったのは、つい数日前だ。
「ところでさぁ。なんでひとりなの? ご両親いないのは知ってるけど」
「そうだ、家、大阪じゃなかった?」
 叶依は二人に夢の話をした。本物かどうかは分からないけれど、母親が現れて北海道へ行くように言われたこと。あてもなくふらふらと、札幌を歩いていたこと。
 嘘のような本当の話に、二人は驚かなかった。
「そっか……じゃ、うち来る?」
 言ったのは海輝だった。
「いま休暇中で実家に戻ってるんだけど……こいつも来てるし……行くところないんでしょ?」
「もう一週間も居候してるなぁ」
 冬樹は肩を震わせて笑っていた。
「でも……」
「おいでよ。一人って寂しいよ?」
 それは一人暮らしをしている叶依には、よく分かっていることだった。けれど、いきなり泊めてもらうのは申し訳なさ過ぎる。
 もちろん、断ったところで頼るあてはない。
(お金……無いしなぁ……野宿も嫌やし……)

 財布の中身を確かめずに叶依は寮を出てきてしまった。もちろん、銀行の通帳もカードも、机の中にしまったままだ。
 空港に到着して、初めて気がついた。
(飛行機って、この時期、予約無しで乗れる?)
 予約した覚えはない。なのに母親は、便を指定していた。
(今からでも間に合うかな? でも──、え?)
 財布の中身が気になって、中を見て驚いた。お札に混じってなぜか、往復分のチケットが用意されていた。
(いや、待って、これ……予約したっけ?)
 搭乗の列の最後のほうに並んで、ゲートは無事に通過できた。安心したけれど、いつ誰が入れたのか、叶依にはわからない。
 札幌についてから進む方向に迷っていると、叶依を見つけた若い女性が『こっちに行くと賑やかだよ』と教えてくれた。あてもなく歩いているとOCEAN TREEに出会い、お昼御飯をご馳走してもらった。
 思えば叶依は寮を出てから、ほとんどお金を使っていない。けれど、宿に支払うお金もない。その前に、この時期に予約無しで泊まれるところがあるとも思えない。

 叶依は海輝を頼るしかなかった。
 札幌市内の駐車場に停めてあった冬樹の車で一般道を走ること約三時間、湖畔にある海輝の実家に到着した。
 叶依は湖に面した二階の部屋に招かれた。
「何かあったら言って。部屋、隣だから」
 それから小一時間、叶依はずっと窓の外を眺めていた。夕陽は既に沈んでしまい、空は綺麗な紫色のグラデーションに染められていた。
 コンコン――
「は、はい」
 ドアを開けたのは、海輝の母親、景子(けいこ)だった。
「叶依ちゃん、ちょっと早いけど夕食にしましょ。お腹すいたでしょう」
「はい……ありがとうございます……」
 さぁ、と叶依を呼ぶ景子の隣に、海輝と冬樹が顔を出した。

 その日の夕食の品数は、叶依の予想を遥かに超えていた。この家の雰囲気や景子の人柄からはごく普通のものしか考えつかなかったけれど、実際出されたものは、ひとり暮らしで質素な食事が続く叶依には、とにかく豪華としか言いようがなかった。
「今日は海輝の誕生日だし、ちょうど叶依ちゃんも来てくれたからね。私も会いたかったのよ」
 今日が海輝の誕生日というのは知っていたし、車の中でも本人が言っていた。祝ってほしそうにしていたので、とりあえず「オメデトウゴザイマス」と言ってある。
「母さん、すっかり叶依ちゃんのファンなんだ」
「あら、でも最初に『これ良い、これ良い』って言いまくってたの、海輝でしょ?」
(え?)
「え……ま……そう……。でも、良いでしょ? 良いからー、よく売れたんだよ」
(二人の宣伝効果のほうが大きいと思うけど……)
 夕食兼海輝のバースデーパーティーは、三時間ほど続いた。その間、叶依と海輝と景子は音楽の話で盛り上がり、冬樹と海輝の父親・(ひろし)はなぜか釣りの話に夢中になっていた。時間を見つけては冬樹は北海道に戻り、一緒に釣りに行くらしい。海輝は行かないのかと尋ねると、〝前に行った時にウキを見続けたせいで気分が悪くなり、それから一度も行っていない〟と言っていた。
 海輝と冬樹は顔も髪型も全く違っていたけれど、まるで本当の兄弟のようだった。海輝はともかく、冬樹が妙に葉緒家に馴染んでいて、家族にしか見えなかった。
「私、ずっと寮で生活してて──寮母さんは優しいし、友達も多いから、それなりに楽しかったけど──」
 洋と冬樹の釣り話が深くなる一方で叶依は景子に身の上を打ち明けたけれど、最後の言葉を言いきることはできなかった。
 十六年間生きてきて、家族の温もりを感じたのはこの日が初めてだった。



「その日は、疲れてたから早く寝たんやん。次の日は海輝と冬樹は友達ん家で飲み会、って出かけてったし、私も暇やったからその辺散歩行ったり……。それから二・三日もずっと……たまにお母さん──景子さんにそう呼んでって言われてんけど──その人と買い物行ったりしてたけど、ほとんど三人で話したりしてたんやん。でも……」
「でも?」
「――火曜日の夜さぁ、二人、ラジオやってるやん。生放送のやつ。それについて行って見てたんやけど」
「あ、それってあれ? ゲストが──Mickoやったとき」
「そう、それ。史、聴いてた?」
「聴いてたけど……えっ、もしかしてあの時の『向こうで見てるナントカ』って、おまえやったん?」
「うん」
「ほぉぇー。全然わからんかったわ」
 何度か「はぁー」とか「ふぅん」とか言いながら史は立ち上がり、部屋を出て、数分後、おにぎりを持って戻ってきた。いつの間にか、十二時になっていたらしい。

 おにぎりにかぶりつきながら、叶依は続けた。
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