エンサラダ・ミクスタと終電後の星空
「あ、あぁ~」
 あたしが思わずそんな声を上げてしまったのは、無情にも目の前で駅のシャッターがガラガラと下がり始めたから。
 あたしはいつも、ほんのちょっとだけ間に合わない。何事も。けどそんな繰り返し。だから諦めきれずにかけよって、地面とのギリギリの隙間をのぞき込もうとしても今更で、ガシャンという拒絶的な音と一緒にあたしの入る隙間はすっかり埋まり、もうおしまいというようにガコン、ガコンとホームの照明が落ちていく。
 溜息をついてスマホを見れば、午前1時を回っている。上司に捕まってしまったほんの10分がこの結果。まったく。本当にいつも、少しずつそんな感じ。最近は特に全部が全部、仕事も、恋愛も、趣味も、ちょっとずつ歯車がずれていって、少しずつ何かに間に合わない。単純に運が悪い? それともあたしの情熱が足りなかったから? 今も1分早ければ終電に間に合った。けどその1分を詰めるほど、あたしは必死になれないの。
 勿体ないけどタクシー乗っちゃおうかとロータリーを眺めても、乗り場には一台も止まっていなかった。本当にもう。
 振り返れば街はまだキラキラとあかるくて、そこかしこに人が歩いている。その人波に紛れるのもなんだか面倒で、駅前のベンチにへたりこむ。仕方なく。夏の暑さは人と人が触れ合うことに、嫌な感じをくっつける。体がぶつかれば汗がくっつき、手を握ればそこから過剰な温度が伝わり、その重さが億劫だ。

 今日は会社の暑気払い、そんなわけで飲み会で。
 あたしの働くタウン情報神津では、この時期になると飲食店からの割引付きのお声がけが多い。ご接待ともいう。今日も3つのお店をはしごした。あたしの担当は飲食店の紹介コーナーで、だから抜けられるはずがない。部長たちは今もまだ別のお店で飲んでいるはずだ。けどそこに戻る気にはならないな。
 それで結局、なんだかすっかり疲れてしまったんだ。この街のピカピカした明かりにも、年々強まるこの暑さにも。なんだかすっかり、そう、いったん人波から外れちゃったら、もうあそこに戻りたくない気分。
 ふいにぬるい風が吹く。
 この時期なら外で一晩過ごしても風邪をひいたりしないだろう。そう頭が納得してしまうと体もなんだかぐったりと疲れ、まるで足に根が生えて、椅子ごとそのへんの植木にでもなったみたい。
「あ、やっぱり駄目かぁ」
 その声に隣を見上げれば、男の人が駅のシャッターを見つめていた。この人も終電逃しちゃったのかな。そう思っていれば、目があう。そして外れてあたりを見渡して、1つ飛ばしてとなりのベンチに腰掛けた。
「ちょっとお隣、お邪魔させてください」
「……どうぞ」

 ここは公共だから、別に断らなくてもいいのに。まあ、一つ飛ばしというのは今のあたしには丁度いい距離で、体温も伝わらない。スマホを取り出しどこかに電話しているようだけど、繋がらなかったようでまた目が合う。そしてまた、スマホに目が戻る。……気になる程度には近いかもしれない。
 それにしても一晩、か。
 始発が動くのは確か5時半くらいだっけ。あと4時間くらい。カラオケで一人オール? っていうかカラオケで寝る? 今日は水曜日だけどお盆前で、きっと暇な人も多そうで、隣からヘビメタとか聞こえてきちゃうとたまったもんじゃないな。
 幸い明日は予定はないし、というか明日、つか正確には今日からお盆で何もない。ここで過ごして帰って寝よう。それもなんだか手持無沙汰で。そうだ。仕事しよ。幸いにもあたしの仕事はあんまり場所を選ばない。
 スマホにさっきまでいた新装開店のスペインバルの感想をメモする。
 ガスパチョはキンキンにひえてたけどしょっぱかった。でも本場ってそうだって聞いたことがあるかも。
 パエリアは……まあまあかな。うん、まあまあ。他のお店とたいして変わらない。
 ワインの品揃えはリオハが多かったけど、よくみるラインナップ。
 大きめの個室がいくつかあったから打ち上げとかには使うかもしれないけれど、個人でわざわざ行ったりはしないな。
 うーん、総合して可もなく不可もなく。ということは、飲食店としては最悪だ。あの店を選ぶ要素は何もなかった。
 なんとなく、つまらない気分になってきた。

 それはご飯がおいしくなかったからじゃなくて、こんなあたしのレビューなんて意味なんかないからで。結局いくつかある定型文から無難なものを選ぶ。何やってんだろ本当に。この記事もあたしが書く意味なんてない。それこそAIに適当にかかせればいいじゃない。そのほうがきっとお客が来たいって文章になる。でもそれって、本当? 本当って何?
 そんな気持ちはいつしかぽろりとこぼれてため息になった。
「大丈夫?」
 その声にビクリと隣をみると、男の人が心配そうにあたしを見ていた。そんなに深刻そうな顔してたかな。
「ああ、大丈夫です。ちょっと仕事の事考えてて」
「そう。まあ、無理しないで」
 そうして男の人もつられたようにため息をついた。その温度は、なんだかあたしの溜息とは少し違って見えた。だからちょっとだけ、気になった。
「あの、何かあったんですか?」
 気にかけてもらったから、なんとなく。無視もしずらい。一つ飛ばしっていうのはそんな中途半端な距離だった。
「え? ああ、俺も仕事のこと。ちょっと忙しくてね」
「そう、ですか。ご無理なさらず」
「ありがとう」
 それで特に話題はなくなり、今日の1軒目と2軒目をまとめているところで唐突に世界が暗くなる。なんだと思って目を上げれば、街頭が半分くらい消灯していた。時計を見ると、2時。
 なんだか暗くなっちゃった。
 文字を打つには不適切な程度には。だからやる気も消え失せる。やっぱり酷く、つまらない。手持無沙汰に見渡すと、さっきまであんなに明るかった街の明るさも半分くらいに減って、歩く人もときどきくらいしかいなくて、いつまでも続くと思っていた面的な人の流れもいつしか解消していた。
 見るともなく隣を向けば、男の人は空を眺めていた。つられて見上げると空の色も幾分暗く、先程までは見えなかった星がぽつりぽつりと輝いている。
「へぇ。このへんでも見えるんだ、星」
「そう。今大きく見えているのは夏の大三角形で、一番高いところにあるのはデネブだね」
「ああ、あれかな。詳しいんですね」
 見えるといっても見える星は両手で数えられるくらい。だからその光る星は、やけにぼんやり明るく見えた。
 夏の大三角形って小学校くらいで習って以来かもしれない。星なんて見たのはいつぶりだろう。随分前にプラネタリウムで光ったデネブよりも数段暗いけれど、他の星は存在なんかなくなってしまったからこそこの空で見つけられたのかもしれない。
「詳しいんですか? 星」
「え、いや、どうかな。すごくってほどではないし。山に行くのはすきでさ、山はよく星がみえるから。本当は今日も山に行く予定だったんだけど」
「へぇ」
 山、か。山も海も随分行ってない。あたしの行動といえば、いつもなんだか窮屈なこの町を巡って、ご飯を食べて、文字を並べて、なんだかそんな生活。やっぱり窮屈でつまらなくなってきた。何かがずっと、滞留している。

「やめちゃおっかな」
「え?」
「あ、いや、個人的なこと。今の仕事のことで」
「そう。嫌なことでもあった?」
 嫌な、こと。これといって嫌なことは、ない気がする。でもなんだか全部がひどく平たくなってしまった。まるで水たまりみたいだ。この気持ちは、なんて言葉に当てはまるんだろう。退屈? 多分、それとも違う。
「好きじゃないならやめてみるのも一つだと思うよ、俺みたいに」
「みたいに?」
 隣をみれば、今もぱちぱちと光が消えていく街並みのさらに上を眺めていた。そしてその瞳には、ちょっとだけ光が反射してて見えた。
「ん。俺、脱サラしたんだよ」
「へぇ、若いのに」
 その横顔はまだ、30くらいに見える。つまりあたしと同年代?
「若くは……どうなのかな、よくわからない」
「そう……、後悔とかしてないんですか?」
 ふと、最初にそんなマイナスな言葉が出てくる自分に嫌になる。
「後悔、か。よくわかんないな。うまくいかなくて今必死でさ、それで今日も山にいけなかった」

 必死にならないといけないなら、その脱サラは失敗なんじゃないかなぁ。やっぱりきっと、ただ会社を辞めたって上手くいくわけでもないんだ。他に特にやりたいこともないし。
 車の音がして、目の前のロータリーにおあつらえ向きにタクシーが停車し、誰かが下りる。けれどすでにタクシーで家に帰る気分にはならなかった。なんでだろ。きっと今ベンチを断つには何かがひっかかって、それでタクシーは走り去ってしまった。やっぱりいつも、少し間に合わない。
「でもやるなら今だと思ったんだ。元の会社じゃやりたいことがやれなかったから」
 やりたいこと。
 それはなんだか、すでによくわからなくなっていた。もともと雑誌をつくりたくてこの会社に入ったはずなんだけど。でもそれは何をしたかったんだろ。
「あたしもよくわかんない。でも他にやりたいこともないの」
 なんだか毎日、自分をすり潰してる気がする。
 記事の文字数はだいたい決まってる。一応食べにいって感想をメモするけれど、でも食べに行かなくても書く事なんて決まってる。その店がお勧めする料理を書いて、住所や営業時間、価格帯を書いて、あたしの感想なんて載せる余裕なんてな全然ないよ。でもきっと仕事というものはそういうもので、それがなんだか、酷くつまらなかった。なんだか泣きそうだ。
「好きなことはなに?」
 その声は、なんとなく見上げていた星から、聞こえたような気がした。
「好きなこと?」
 そんなことを聞かれたのは、随分久ぶりな気がする。
 改めて考えてみる。学生の時は楽しかった。そんなに映画が好きなわけじゃなかったけど、学生の時のなんとなくのノリで映研に入って、みんなで映画みてカフェにいってあれがどうだとかこうだとかわいわい話をして、それでみんなで乾杯して。
「美味しいごはんをたべる」
 なんとなく、それが浮かぶ。
 ご飯をたべることは昔はもっと、楽しかった。純粋に美味しかった。今みたいにお店の推しがどうだとか考えずに好きなものを食べて、あら捜しみたいなこともしなかった。エイギョーとかそういうことを考えずに美味しい美味しいって食べてた気がする。
 ああそうか。あたしは美味しいごはんが好きだったから、いろんなお店を紹介したいと思って今の仕事を選んだんだ。そう思って宇宙を見つめていると、星が流れた。

「えっ」
「今日はペルセウス座流星群の極大期なんだ」
「極大期?」
「そう。山じゃなくても開けた駅前ならワンチャンと思ってた」
 男の人の声はさっきより随分張りがあって、気持ち元気になっていた。
「いいですねぇ、好きなものがたくさんあって」
「うん。次は願い事をしないと」
 あたしの皮肉めいた言葉にも気が付かないのか、男の人はまっすぐに空を見上げた。しばらくまった。10分ばかり静かに。けれど、何も流れてはこなかった。
「さっきので最後だったのかも」
「さぁ、どうかな。始まりかもしれない」
 始まり? 何かが、始まるのかな。そう思って見上げれば、さっきより大きな星が流れた。
「わぁ」
「お客がたくさん……ああ。まにあわなかった」
 幾分残念そうな声。いいなぁ。それって本当にやりたいことなんだ。
「お客?」
「そう、ブエナ・ヴィーダっていうスペインバルを……」
「あっ……。あたし、さっきまでいました」
「えっ? ひょっとしてタウン情報神津さん?」

 男の人があたしを真正面に見た。まじまじとみれば、さっきウェイターさんの中にいたような?
「えっと、そうですけど、あれ? ひょっとして終電乗れなかったのってあたしたちのせい? ごめんなさいっ」
 急に申し訳なくなる。部長が引き留めるから。そんな言い訳が思いついたけれど、きっとあたしが切り上げれば、この人は終電に間に合ってた、のかなぁ。そういえば厨房の方のライトは既におちていたかもしれない。
「ああ、いいんだよ、それは。いつもこんな感じだから。それで、どうだった? あの店はスペインで知り合った友達のシェフと一緒に始めたんだ」
 その瞳はまるでさっきの流れ星みたいにキラキラしてた。美味しかったと言われるのを疑ってなさそうで、あたしもきっとそう答えればよかったんだけどなんだかその真っすぐな瞳にビクっとして。
「ええと」
 でも嘘もつきたくなくて、それでなんて言おうか悩んでいる間に、流れ星みたいな煌めきはだんだんなくなっていく。
「やっぱり、イマイチかな」
「え、いやぁ、あの」
「できれば正直にいって欲しいんだけど」
「正直に、ですかぁ……」
 正直に。正直なところ。今? でも。そう。あたしが適当に記事に組み上げて、この人に文章の内容を確認に行くのは営業の人で。だからきっと、あたしの感想なんてこの人に伝わることなんてない。書いてもあとはどうなったかわからなくて、知らないうちに雑誌にのる。いつも。それがなんだか、嫌だった。
 だからそっとスマホを開いて押し付けた。

「えっと、あの?」
「リアルな感想っ……ちょうど今、書いてたから」
 それで慌てて空を見上げた。スクロールする指と表情をみていたくなくて。けれど反応はとても気になっていて、だってあたしの感想が本人に伝わることなんて今までなくて、だから星を見る視界の端っこにうつる男の人の顔がちらちらと気になって。
 でも星。そう思い返す。星。今ここでは星が流れてる。
 また、流れるかな。そうしたら何をお願いしよう。この人のお店が繁盛しますように? なんとなくそれが自然に心に浮かぶ。そもそも会社をやめて始めたいほどの願いなんて、あたしには、ない、し。
「はは、本当に正直だ。美味しいものはなかった?」
 声の調子は、怒っては……ない?
「あったけど……えと、エンサラダ・ミクスタ」
 それはメモに書いていなかった料理。無意識に押しのけた、記事に乗らない地味なカテゴリ、サラダ。いろいろな野菜やツナがのっていたけれど、どれも特別な材料でもなくて、けどあたしが心から美味しいと思ったもの。
「ドレッシングが美味しかった。他はその、なんか中途半端」
「ああ、やっぱりね」
 再び聞こえた溜息は、さっきと違って少しだけリアルな温度があって、星じゃなくてあたしに直接向いていた。そしてその温度はなんだか心地いい。そのことに少し、混乱する。
「やっぱり? 怒らないの?」
 向き直れば、男の人はさっぱりした表情で、ちょっとだけ肩をすくめた。

「怒ったりしないよ。僕と友達はたくさん迷ってて。スペインの味に寄せるか日本の味に寄せるか。でもそうだな。中途半端はよくない。だからきっと願いは叶ったかも」
 結構酷いことを書いたのに、男の人の表情はなんだか明るくなっていた。流れ星みたいに。
「叶った?」
「そう。僕の友達の料理は本当に美味しいんだ。だからやっぱり、本場風の味によせたほうがいいと思ってた。ちょっとしょっぱいところは注意しないとだけどね」
 そうして再び空を見上げる。つられてあたしも見上げる。その瞬間、声が響く。あたしと、この人の。
「店が繁盛しますように!」
「好きなことがみつけられますように」
「え?」
 思わず隣を見た。好きなことって、あたしのことだよね? なんで? なんであたし?
「お返し」
「でも、あたしは別に」
 なんとなく満足してそうな表情に、何か付け足す言葉はみつからなかった。その満足は、きっと嘘ってわけじゃないから。
「ね、あたしの好きってどこにあるのかな」
「さぁ。でもきっといろんなところにあるんだよ。気に入ってもらったエンサラダ・ミクスタみたいに」

 いろんなところ。その言葉でなんとなく、思い出す。
 あたしは美味しいごはんが好きで、それをたくさん紹介したくて、この会社に入ったってこと。美味しいごはん。あのサラダは本当においしかった。だからボツになっても、サラダの話を記事に入れてみようかな。ボツになったらいつもみたいに組み立ててまた出せばいいわけだし。
 久しぶりに空を見上げた気がした、心から。いつも地面ばかり見ていた気がする。
 それからいろんな話をした。といっても他愛のない話ばっかりだ。
 これまで食べて美味しかったスペイン料理。その人が行ったことがある外国とその料理。話はだんだん広がっていき、そうして次第に夜が明けた。けれどお盆の朝はいつもより全然、人がいない。そうしてシャッターがガラリと上がり、あたしは朝イチの夏の日差しを浴びた朝顔みたいに椅子から立ちあがる。
 そうして一緒に改札をくぐって、隣のホームで向かいあい、男の人は手を振った。あたしもつられて手を挙げて。
 嫌だ。これで終わりなんて嫌だよ。
 それで今ならまだ間に合うかもしれなくて。つまりあたしが情熱さえつぎたすことができれば!
「あの! また食べに行っていいですか!」
 男の人は少しびっくりしたようで。だってあたし、サラダ以外メタメタに感想かいちゃったもんね。
「あの、美味しくするんですよね! 塩分控えめで!」
 そう叫ぶと、男の人は見てわかるくらいプッと口をふさぐ。
「勿論。じゃあ1か月後にまた来てくれるかな。きっとおいしいものをごちそうしましょう」
「自信満々」
 あたしの最期の言葉はホームに入って来た電車にかき消された。あたしは間に合ったのかな。何かに。
Fin

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