記憶の欠片 Original
第二章【月影が差す】

ハプニング

 初夏。


 窓を開け放った教室に、少し熱を含んだ風が流れ込み、文化祭の準備が本格的に始まったことを知らせていた。


 放課後の教室は、いつもよりざわざわしている。


 模造紙を広げる音、机を動かす音、どこか浮き足立った笑い声。


 私はクラスの隅で、指示を書き写しながらぼんやりと考え事をしていた。


 ——月城くん。


 あの日から、彼のことを考える時間が増えた。


 あのバルコニー以来、彼と特別に話したわけじゃない。


 それなのに、ふとした瞬間に視線が彼を探してしまう。


 話しかけられた回数も、目が合った回数も、他の人と比べて多いわけじゃないのに。


 廊下ですれ違うかもしれないと思うだけで、無意識に歩く速度が変わる。


 ——どうして、あんな言い方をしたんだろう。


 ——「懐かしい」って、何のことだろう。


 考えても答えは出ないのに、気づけば、そんなことばかり考えている。


 授業中、窓の外を見ているはずなのに、視界の端に彼の横顔が浮かぶ。


 近くにいるときは、距離を測るみたいに落ち着かなくて、離れているときは、なぜか少し物足りない。


 自分でも、変だと思う。


 すれ違う時に、つい目で追ってしまうのも。


 彼が誰かと話しているのを見て、理由の分からないざわつきを覚えるのも。


 これはきっと、まだ「好き」なんて言葉にするほどのものじゃない。


 でも——知らないままでいたかったはずの人を、もっと知りたいと思っている。


 それだけは、確かだった。


 初夏の風が、また校舎を抜けていく。


 その風の中に、彼の気配を探してしまう自分に気づいて、私はそっと胸の前で指を握りしめた。


 名前を思い浮かべただけで、胸の奥がきゅっと縮む。
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