鈴村君の裏の顔
第6話 お試しの恋人
*優希side*
スタジオの中は、
甘い香りで満ちていた。
照明が焚かれ、
白を基調としたセットの
中央に立つ俺と、人気モデルの心愛。
「はい、」
「じゃあ次のカットいきまーす。」
監督の声が響く。
俺は言われた通りに心愛の後ろに立ち、
ゆっくりと彼女の長い髪を手に取った。
指先に絡む、さらりとした感触。
顔を寄せて、
そのまま――香りを嗅ぐ。
今日はシャプーのCMを撮りに来た。
“恋人の距離”を演出する、
よくあるシーン。
カメラの向こうでは、
スタッフ達が息を潜めてシャッターを切る。
……でも。
俺の頭に浮かんでいるのは、
目の前の彼女じゃなかった。
……違う。
心の中で、何度も何度も否定する。
俺が触れたいのは、
こんな綺麗に作られた髪じゃない。
俺の脳裏をよぎるのは……
柔らかくて、少し癖のある望愛の髪。
「カット! いいね!」
「さすが優希君!」
現場が一気に和やぐ。
心愛はくるりと振り返り、
俺の腕に自然に絡んできた。
そして、俺の耳元で言う。
「ねえ優希君!」
「今のカットすごく良かったね。」
「さすがって感じ!」
距離が、近い。
マジ……近すぎる。
「ありがとう。」
「でも、少し離れてもらえますか。」
俺は穏やかに笑いながら、
そっと腕を外した。
心愛は一瞬きょとんとした顔をして、
それから、意味ありげに笑う。
そして彼女は……
再び休憩に入った途端、
彼女はまた距離を詰めてくる。
更には予想外の行動をとってくる。
突然、背中から抱きつかれて……
「お疲れさま!」
「優希君、さっきも完璧だったよ!」
この人は……下心見え見えで
ある意味わかりやすい……。
「……心愛さん。」
俺は一度、深呼吸してから、
丁寧に、でもはっきりと言う。
「そういうの、やめてほしいです。」
「仕事仲間としてすごく尊敬してるので。」
場の空気を壊さないように、
でも曖昧にはしない。
それが俺のやり方。
心愛は少し唇を尖らせてから、
”つれないなぁ”
と笑って去っていった。
……悪い人じゃない。
でも……違うんだよ。
仕事が終わり、
スタジオを出た頃にはもう外は暗かった。
石田さんが運転してる
車に揺られながら、無意識に考えてしまう。
……今日は、望愛いるかな。
そんな期待を胸に抱いて、
寮に帰る。
玄関のドアを開けた瞬間、
どこか、いつもより静かだった。
「ただいま。」
リビングから顔を出したのは翔太だけ。
「あ、おかえり優希。」
「……望愛は?」
口に出した瞬間、
自分でも驚くほど、声が早かった。
翔太は少し申し訳なさそうに笑う。
「今日はもう家事終わって帰ったよ。」
「ご飯、作り置きもしてくれてる。」
……そっか。
胸の奥が、ほんの少しだけ沈む。
「そっか……ありがと。」
それ以上、何も言えなかった。
先にシャワーを浴びながら、
今日一日の出来事が頭を巡る。
CM撮影の仕事。
心愛のスキンシップ。
それを断る自分。
――そして、寮にいない望愛。
シャワーを浴び終わり、
髪を乾かして、部屋着に着替える。
一段落ついてキッチンに行くと、
鍋に入ったカレーが温め直されていた。
翔太が気を使って温め直してくれたんだな。
「翔太、温め直してくれてありがとう。」
「どういたまー。」
温まったカレーをお皿に移し、
ダイニングテーブルへ置いてから
席に着いた。
「いただきます。」
スプーンを口に運ぶ。
ヤバ……美味しい……
優しい味がする。
これ、望愛が作ったんだよな……
そう思っただけで、
胸がぎゅっと締め付けられる。
俺はあっという間に、
カレーを完食し、食器を洗い終えた。
そして自室に戻り、ベッドに身体を沈める。
疲れているはずなのに、頭は冴えたままだ。
……っつ。
理由も分からない不安が、
胸の奥で広がっていく。
そしてそのまま……
いつの間にか意識は落ちていた。
――夢の中。
俺の目の前で、
望愛が可愛い顔して笑っている。
その隣には……俺じゃなくて隼人。
当たり前みたいに並んで、
当たり前みたいに手を繋いで。
「優希、ごめんね。」
「私隼人君のこと、」
「好きになっちゃった。」
その言葉が、
耳の奥で何度も反響する。
胸が押し潰される感覚。
声が全く出ない……出せない。
伸ばした手は、空を切る。
二人は遠ざかっていく仲睦まじく
……。
いっ……行くな。
望愛!行かないで……。
言葉にならない叫びと共に俺は……
はっと、目が覚めた。
朝の光が、空気を読まず
カーテンの隙間から差し込んでいる。
心臓が、うるさい。
こっ……これはダメだ。
喉が、乾く。
このままじゃ、全部失う。
夢なのに、
夢じゃないみたいにリアルで。
俺は、布団の中で拳を握りしめた。
――先に動かなきゃ。
望愛が、
自分の気持ちに気付く前に……。
優希side 終わり