それぞれの幸せ
(……なにか、あったのか?)

 胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
 だが、それを確かめる術はなかった。

 背後へ付き従う佐山に、「帰るぞ」とだけ告げて車へ戻ると、雄二は佐山が運転を始めたのを見計らってメッセージアプリに『午前中休みだと聞いた。何かあったのか?』とだけ送る。

 しばらく画面を眺めていたが、既読にならない――。
(まあ、そのうち返ってくるだろう)
 そう思って、雄二はスマートフォンをスーツの内ポケットへ仕舞った。


***


 夜になって、ようやくスマートフォンが震えた。

 表示された名前に、わずかに肩の力が抜ける。

『ごめんね、メッセージ気づかなくて。ちょっとバタバタしてて、携帯見れてなかったの』

 いつもと変わらない文面。
 いつも通りの、軽い調子。

 雄二は短く息を吐いた。

『体調が悪いとかじゃないんだな?』

 それだけ返す。
 すぐに既読がつく。

『うん、元気だよ』

 その一言で、十分だった。

 それ以上を問い詰める理由もなければ、問い詰めるほどの違和感でもない。

(なら、いいか)

 そう思って、画面を閉じる。
 隣で雪絵が身じろいだのに気づいて、スマートフォンを伏せて置く。
 あの日以降、寝室を別にすることはなかったが、一緒にいるだけで空気が張り詰めているような居心地の悪さを感じる。
 雪絵は妻としての務めは淡々と果たしていたが、雄二には何も求めていないようだった。
 求められないならそれで都合がよい。
 だが、そんな両親の様子に娘の百香(ももか)が気を遣っているのが分かるのだけが気がかりだった。

 雄二は小さく吐息を落とす。
(俺は……雪絵に何をしてやればいいんだ?)
 今さら何をしても無駄な気がする。

 だが……。
 百香のことを思うと、このままではいけない気がした。

(百合香となら……こんなことにはならないんだが……)

 そう思いながら、百合香が抱えているものにも、雄二は気づけていなかった。


***


 翌週の水曜日。
 いつもと同じように、雄二は百合香の部屋を訪れた。

 この訪問は、雪絵から許されたものだ。
 正式な約束――と呼べるほど、きれいな形ではない。
 ただ、線を引いただけの取り決めに近い。
 三井は露骨に不満を示した。
 当然だろう。
 正妻のいる身で、外に通うこと自体、褒められたものではない。
 だが、一度だけ、雄二ははっきりと言ったことがある。

 ――私と雪絵で決めていることだ。そこに口を出されるなら……こちらも今まで通りというわけにはいかないが?

 それは、雪絵との離婚を口にしたわけでも、何かを投げ出すと宣言したわけでもない。
 けれど、それに近い響きを持った言葉だった。

 そして何より――その条件を、雪絵自身が受け入れていると告げた。

 それが、三井にとってはすべてだったらしい。

 だからこそ、渋々ながらも、水曜日だけは目をつぶってもらえることになったのだ。
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