聖女らしきものたちの暗躍
序章:マーガレット・ビノシュ伯爵令嬢 (前)
(ワタシノ コエガ キコエマスカ)
跪いた私の耳元で聞こえた声にはっとして涙にぬれた顔を上げ、辺りを見回しても夜の礼拝堂には人の気配が無く、いつものように案内をしてくれたシスターが遠く離れた入口に立っているだけでした。
祭壇の奥に厳かに佇む女神像を見上げ、胸の前で手を組み小さく囁くように答えました。
(はい、聞こえます)
◇◇◇
貴族学園の登園途中、王宮に隣接する中央礼拝堂に毎朝早く赴き授業が始まるまで女神様に祈りを捧げていたかつての私には切なる願いがありました。
昨年学園の騎士科を卒業した婚約者のローレンス様が国境沿いの紛争地帯に志願兵として派遣されて間もなく1年。
どうか無事に帰還されますように。
学園入学前の優しいローレンス様に戻って下さいますように。
そして、私を迎えに来てくださいますように。
アルト伯爵家嫡男であるローレンス様との婚約は幼い頃から家同士の話し合いで決まっていました。私はずっとローレンス様をお慕いしていて、彼に相応しくあるために様々な努力をしてきたのです。母のいない私はアルト伯爵家に嫁ぐ身として、義母となる伯爵夫人からの教育を受けるために足繁く伯爵邸に通っていました。ローレンス様にお会いできるのは月に1度ほどでしたが、会えた時にはいつも優しく丁寧に接してくださっていたのです。
ローレンス様が学園に入学された頃から、伯爵夫人の口から度々マリア・ルードル伯爵令嬢と比べる言葉が出るようになりました。
マリア様ならこんなことは言わずとも出来るのに。
マリア様ならこのような時には素晴らしいお気遣いが出来るのに。
マリア様ならもっとセンスの良い贈り物を選べるのに。
マリア様なら・・・ マリア様なら・・・
そう言われる度に私は更に教養も知識もセンスも磨き、努力を重ねて行きました。
その頃から多忙を理由にローレンス様とお会いすることはほとんどなくなり、私が入学した時には、学園内では私とローレンス様の婚約は既に解消されており、ローレンス様とマリア様との婚約まもう間もなくと実しやかに噂されていました。
愕然とした私はお父様にお手紙でお伺いしましたが、婚約解消の事実はないとお返事がありました。みっともなく騒いでローレンス様にご迷惑をかけないようにとも告げられました。
学園では学年が違うとほとんど交流の機会がありません。
アルト伯爵夫人からはもう教える事はないと伝えられ、伯爵邸へお伺いする事もなくなりました。私は何度かローレンス様にお会いしようとお手紙を出しましたが、多忙を理由にお断りの手紙が届き続け、意を決して訪問の先ぶれを出しても、お留守との返事が返って来るだけでした。
そうして迎えたローレンス様の卒業式の日。
学園の卒業式は王宮の舞踏会に次ぐ格式高い式典とされ、婚約者同伴が義務付けられています。もちろん婚約者以外のエスコートは許されません。
当然、私はローレンス様にエスコートされて入場しました。
周囲は既に解消と噂されていた婚約が継続されている事に驚き、婚約者がありながらマリア様と親密に過ごし、噂を放置していたローレンス様へ向けられた目は冷ややかなものでした。
言葉を交わす事も目を合わせる事も出来ないまま式典が終わり、私を帰りの馬車まで送って乗り込ませる際にローレンス様に告げられました。
「婚約はきちんと解消するから安心してくれ」
どういう事か問い質す間もなく、ローレンス様は踵を返して去って行きました。家に着くとすぐにお父様にもお兄様にも報告しましたが、二人とも無言のままでした。
ローレンス様が志願兵として国境の紛争地帯に赴いたと聞いたのは学園の新学期が始まる頃でした。
志願兵として赴き功績を上げれば褒章を賜る事から、志願兵のほとんどは貴族家の次男以下です。嫡男が赴く事は珍しく、褒章としてマリア様との結婚を望んでいると噂で聞かされました。
社交界では卒業式典での厳しい評価が一転し、ローレンス様とマリア様は命を懸けて勝ち取る真実の愛と持て囃され、一方の私は、志願兵になってまで婚約の解消を望まれている不出来な令嬢と嘲笑されるようになりました。
学園でもそれまで仲の良かった友人も離れて行き、卒業まで一人静かにローレンス様の無事の帰還を祈る日々を過ごしていたのです。
そんな中にあってローレンス様との婚約が宙に浮いた状態でも、信じて待とうと思える一縷の望みがありました。
夫人教育の一環で特に伯爵夫人となる為に必要だと言われ、義母になる方の補佐としてお手紙や書類づくりなどは婚約したころから長年ずっと私が担当していました。
大量に作成する招待状や、私的なお手紙の返信から様々な公式な書類や領地管理の帳簿まで、カリグラフィーが得意な私にとっては苦労ではなく、将来のためと信じて言われるまま作成していました。また、代筆者として当然の事だと義母の伯爵夫人や義父の伯爵様のサインをそっくり同じに書くようにもお二人から指導されており、そのお仕事はローレンス様の帰還の日まで毎日私の元に送られて来ていたのです。
私はこの事実を恃みに、大量の手紙や書類を懸命に捌く毎日がきっと報われると信じていました。
しかし、任務を終えた兵の帰還パレードが華々しく行われた日、毎日の祈りの甲斐あって、ローレンス様は無事に帰還されましたが、その他の願いが叶う事も努力が報われる事もありませんでした。
運命の日、帰還兵の無事を祝う式典に、私は誰のエスコートも父や兄の付き添いもなく一人で参加していました。
先王第三王子ヘンリー殿下の宣言で式典が始まり、先ずは功績のあった人々が発表され国王陛下直々に褒章を賜ります。ローレンス様もその一人として参加していました。
国王陛下から望む褒章を聞かれたローレンス様は、マリア・ルードル伯爵令嬢との婚姻を望み、国王陛下承認の下、私、マーガレット・ビノシュ伯爵令嬢との婚約は解消され、二人は結ばれる事となりました。
周囲のむき出しの好奇の目が私に向けられる中、この式典の采配を任されている先王第三王子ヘンリー殿下からお言葉を掛けられました。
「功労者ローレンス・アルト小伯爵からの温情である。そなたには好きな者との婚姻を認めるゆえ、今ここで告げるが良い」
思わぬ言葉に驚きながらも表情には露ほども出す事なく貴族令嬢としての矜持を持って答えました。
「お心遣いに心より感謝申し上げます。しかしながら、わたくしには先ほどまで婚約者だったローレンス・アルト小伯爵以外の想い人はおりませんゆえ、謹んで辞退申し上げます」
先王第三王子ヘンリー殿下はなおも続けられました。
「私はそなたにはかねてより想い人がいると方々から聞き及んでおる。この一年は毎朝早くからその想い人との逢瀬を重ねていると多くの証言も寄せられておるぞ。婚約期間中の不誠実な事ではあるが、ローレンス・アルト小伯爵とマリア・ルードル伯爵令嬢の祝いの席での彼らからの温情だ。遠慮はいらぬ、正直に申してみよ」
未来の国王と噂される先王第三王子殿下からありもしない浮気の冤罪を掛けられ、溢れそうになる涙を堪え、焼けるような喉の痛みに耐えながら震える声で力を振り絞って答えました。
「お言葉を返す事をお許しください。誓ってわたくしにはそのような方はおりません。
この一年間の毎朝の外出に関しては、登園前に中央礼拝堂でローレンス・アルト小伯爵の無事の帰還を願い祈りを捧げる毎日でした。一日も欠かした事はございません。その事は毎朝案内をして下さった礼拝堂のシスター方が証言してくださると信じております。
発言させて頂いたことに感謝申し上げます。
それでは、御前を失礼致します」
誰もが顔を見合わせ、口をはさめぬ間に最上の礼を執りその場を足早に立ち去りました。
その時の私には誰の声も届かず、夢中で毎朝通った礼拝堂へ駆け込んだのです。
祭壇の前に跪いた途端に嗚咽が漏れ涙が溢れ止める事が出来ませんでした。
とめどなく溢れる涙をそのままに、授かった生を全うできない懺悔を口にしました。
私は誰に恥じる事もしていません。
ただローレンス様を慕っただけ。
無事の帰還を願っただけ。
もうこの世には私の居場所はどこにもありません。
どうかこのまま安寧の地へ旅立つことをお許しください。
◇◇◇
突如、中央礼拝堂の大鐘の音が厳かに王都中に鳴り響いた。
式典の最中である王宮の会場にもその鐘の音は響き渡った。
単調に4度鳴らされたそれは、聖女が女神の下に召された事を知らしめる合図だった。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない。
召された無辜の乙女は誰なのか。
あの場にあっても一人凛と立ち、身の潔白を宣言して式典の会場を後にした姿を最後に忽然と姿を消したマーガレット・ビノシュ伯爵令嬢。
誰ともなく発せられたその名は、始めは小波のように、終には大波となって王宮を呑み込んでいった。
◆◆◆
(ワタシノ コエガ キコエマスカ)
跪いた私の耳元で聞こえた声にはっとして涙にぬれた顔を上げ、辺りを見回しても夜の礼拝堂には人の気配が無く、いつものように案内をしてくれたシスターが遠く離れた入口に立っているだけでした。
祭壇の奥に厳かに佇む女神像を見上げ、胸の前で手を組み小さく囁くように答えました。
(はい、聞こえます)
(ミレンハ アリマセンカ)
(ございません)
(ナラバ オハイリクダサイ)
いつの間にか祭壇の側に移動していた顔なじみのシスターが女神像を一生懸命押して動かしています。
あまりの事に涙も止まり、見つめているうちに人がやっと通れる程の隙間が出来ました。
息を切らして汗をぬぐいながら振り返ったシスターに手招きされ、そばに行くと隙間に押し込まれました。隙間の先は立派な螺旋階段を中心にしたホールになっており、王宮に負けないほどの瀟洒な邸宅へつながっています。
しばらく目の前に広がる光景に圧倒され、我に返って振り返るとシスターが女神像を戻すのに四苦八苦しています。
慌てて手伝って隙間を閉じると、シスターは私ににっこり笑いかけました。
「女神像があんなに重いなんて聞いてなかったの。閉まらなかったら大変なことになるところだったわ。手伝ってくれてありがとう」
汚れをシスター服で拭い、差し出された絵の具に染まった手を、私は迷わず握りました。
「わたくしはローザリア。7年前にここに召された元侯爵令嬢よ。
家名は、もう忘れてしまったわ」
◇◇◇
突如鳴り響いた礼拝堂の大鐘の音。
単調に4度鳴らされるその音が響くのは7年ぶりの事だった。
式典の最中に王宮の会場に響き渡ったその鐘の音に、歯を食いしばり拳を握りしめたリンデル侯爵の鋭い視線は、青ざめ、顔を俯けたアッシュベル伯爵夫妻を捉えていた。
跪いた私の耳元で聞こえた声にはっとして涙にぬれた顔を上げ、辺りを見回しても夜の礼拝堂には人の気配が無く、いつものように案内をしてくれたシスターが遠く離れた入口に立っているだけでした。
祭壇の奥に厳かに佇む女神像を見上げ、胸の前で手を組み小さく囁くように答えました。
(はい、聞こえます)
◇◇◇
貴族学園の登園途中、王宮に隣接する中央礼拝堂に毎朝早く赴き授業が始まるまで女神様に祈りを捧げていたかつての私には切なる願いがありました。
昨年学園の騎士科を卒業した婚約者のローレンス様が国境沿いの紛争地帯に志願兵として派遣されて間もなく1年。
どうか無事に帰還されますように。
学園入学前の優しいローレンス様に戻って下さいますように。
そして、私を迎えに来てくださいますように。
アルト伯爵家嫡男であるローレンス様との婚約は幼い頃から家同士の話し合いで決まっていました。私はずっとローレンス様をお慕いしていて、彼に相応しくあるために様々な努力をしてきたのです。母のいない私はアルト伯爵家に嫁ぐ身として、義母となる伯爵夫人からの教育を受けるために足繁く伯爵邸に通っていました。ローレンス様にお会いできるのは月に1度ほどでしたが、会えた時にはいつも優しく丁寧に接してくださっていたのです。
ローレンス様が学園に入学された頃から、伯爵夫人の口から度々マリア・ルードル伯爵令嬢と比べる言葉が出るようになりました。
マリア様ならこんなことは言わずとも出来るのに。
マリア様ならこのような時には素晴らしいお気遣いが出来るのに。
マリア様ならもっとセンスの良い贈り物を選べるのに。
マリア様なら・・・ マリア様なら・・・
そう言われる度に私は更に教養も知識もセンスも磨き、努力を重ねて行きました。
その頃から多忙を理由にローレンス様とお会いすることはほとんどなくなり、私が入学した時には、学園内では私とローレンス様の婚約は既に解消されており、ローレンス様とマリア様との婚約まもう間もなくと実しやかに噂されていました。
愕然とした私はお父様にお手紙でお伺いしましたが、婚約解消の事実はないとお返事がありました。みっともなく騒いでローレンス様にご迷惑をかけないようにとも告げられました。
学園では学年が違うとほとんど交流の機会がありません。
アルト伯爵夫人からはもう教える事はないと伝えられ、伯爵邸へお伺いする事もなくなりました。私は何度かローレンス様にお会いしようとお手紙を出しましたが、多忙を理由にお断りの手紙が届き続け、意を決して訪問の先ぶれを出しても、お留守との返事が返って来るだけでした。
そうして迎えたローレンス様の卒業式の日。
学園の卒業式は王宮の舞踏会に次ぐ格式高い式典とされ、婚約者同伴が義務付けられています。もちろん婚約者以外のエスコートは許されません。
当然、私はローレンス様にエスコートされて入場しました。
周囲は既に解消と噂されていた婚約が継続されている事に驚き、婚約者がありながらマリア様と親密に過ごし、噂を放置していたローレンス様へ向けられた目は冷ややかなものでした。
言葉を交わす事も目を合わせる事も出来ないまま式典が終わり、私を帰りの馬車まで送って乗り込ませる際にローレンス様に告げられました。
「婚約はきちんと解消するから安心してくれ」
どういう事か問い質す間もなく、ローレンス様は踵を返して去って行きました。家に着くとすぐにお父様にもお兄様にも報告しましたが、二人とも無言のままでした。
ローレンス様が志願兵として国境の紛争地帯に赴いたと聞いたのは学園の新学期が始まる頃でした。
志願兵として赴き功績を上げれば褒章を賜る事から、志願兵のほとんどは貴族家の次男以下です。嫡男が赴く事は珍しく、褒章としてマリア様との結婚を望んでいると噂で聞かされました。
社交界では卒業式典での厳しい評価が一転し、ローレンス様とマリア様は命を懸けて勝ち取る真実の愛と持て囃され、一方の私は、志願兵になってまで婚約の解消を望まれている不出来な令嬢と嘲笑されるようになりました。
学園でもそれまで仲の良かった友人も離れて行き、卒業まで一人静かにローレンス様の無事の帰還を祈る日々を過ごしていたのです。
そんな中にあってローレンス様との婚約が宙に浮いた状態でも、信じて待とうと思える一縷の望みがありました。
夫人教育の一環で特に伯爵夫人となる為に必要だと言われ、義母になる方の補佐としてお手紙や書類づくりなどは婚約したころから長年ずっと私が担当していました。
大量に作成する招待状や、私的なお手紙の返信から様々な公式な書類や領地管理の帳簿まで、カリグラフィーが得意な私にとっては苦労ではなく、将来のためと信じて言われるまま作成していました。また、代筆者として当然の事だと義母の伯爵夫人や義父の伯爵様のサインをそっくり同じに書くようにもお二人から指導されており、そのお仕事はローレンス様の帰還の日まで毎日私の元に送られて来ていたのです。
私はこの事実を恃みに、大量の手紙や書類を懸命に捌く毎日がきっと報われると信じていました。
しかし、任務を終えた兵の帰還パレードが華々しく行われた日、毎日の祈りの甲斐あって、ローレンス様は無事に帰還されましたが、その他の願いが叶う事も努力が報われる事もありませんでした。
運命の日、帰還兵の無事を祝う式典に、私は誰のエスコートも父や兄の付き添いもなく一人で参加していました。
先王第三王子ヘンリー殿下の宣言で式典が始まり、先ずは功績のあった人々が発表され国王陛下直々に褒章を賜ります。ローレンス様もその一人として参加していました。
国王陛下から望む褒章を聞かれたローレンス様は、マリア・ルードル伯爵令嬢との婚姻を望み、国王陛下承認の下、私、マーガレット・ビノシュ伯爵令嬢との婚約は解消され、二人は結ばれる事となりました。
周囲のむき出しの好奇の目が私に向けられる中、この式典の采配を任されている先王第三王子ヘンリー殿下からお言葉を掛けられました。
「功労者ローレンス・アルト小伯爵からの温情である。そなたには好きな者との婚姻を認めるゆえ、今ここで告げるが良い」
思わぬ言葉に驚きながらも表情には露ほども出す事なく貴族令嬢としての矜持を持って答えました。
「お心遣いに心より感謝申し上げます。しかしながら、わたくしには先ほどまで婚約者だったローレンス・アルト小伯爵以外の想い人はおりませんゆえ、謹んで辞退申し上げます」
先王第三王子ヘンリー殿下はなおも続けられました。
「私はそなたにはかねてより想い人がいると方々から聞き及んでおる。この一年は毎朝早くからその想い人との逢瀬を重ねていると多くの証言も寄せられておるぞ。婚約期間中の不誠実な事ではあるが、ローレンス・アルト小伯爵とマリア・ルードル伯爵令嬢の祝いの席での彼らからの温情だ。遠慮はいらぬ、正直に申してみよ」
未来の国王と噂される先王第三王子殿下からありもしない浮気の冤罪を掛けられ、溢れそうになる涙を堪え、焼けるような喉の痛みに耐えながら震える声で力を振り絞って答えました。
「お言葉を返す事をお許しください。誓ってわたくしにはそのような方はおりません。
この一年間の毎朝の外出に関しては、登園前に中央礼拝堂でローレンス・アルト小伯爵の無事の帰還を願い祈りを捧げる毎日でした。一日も欠かした事はございません。その事は毎朝案内をして下さった礼拝堂のシスター方が証言してくださると信じております。
発言させて頂いたことに感謝申し上げます。
それでは、御前を失礼致します」
誰もが顔を見合わせ、口をはさめぬ間に最上の礼を執りその場を足早に立ち去りました。
その時の私には誰の声も届かず、夢中で毎朝通った礼拝堂へ駆け込んだのです。
祭壇の前に跪いた途端に嗚咽が漏れ涙が溢れ止める事が出来ませんでした。
とめどなく溢れる涙をそのままに、授かった生を全うできない懺悔を口にしました。
私は誰に恥じる事もしていません。
ただローレンス様を慕っただけ。
無事の帰還を願っただけ。
もうこの世には私の居場所はどこにもありません。
どうかこのまま安寧の地へ旅立つことをお許しください。
◇◇◇
突如、中央礼拝堂の大鐘の音が厳かに王都中に鳴り響いた。
式典の最中である王宮の会場にもその鐘の音は響き渡った。
単調に4度鳴らされたそれは、聖女が女神の下に召された事を知らしめる合図だった。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない。
召された無辜の乙女は誰なのか。
あの場にあっても一人凛と立ち、身の潔白を宣言して式典の会場を後にした姿を最後に忽然と姿を消したマーガレット・ビノシュ伯爵令嬢。
誰ともなく発せられたその名は、始めは小波のように、終には大波となって王宮を呑み込んでいった。
◆◆◆
(ワタシノ コエガ キコエマスカ)
跪いた私の耳元で聞こえた声にはっとして涙にぬれた顔を上げ、辺りを見回しても夜の礼拝堂には人の気配が無く、いつものように案内をしてくれたシスターが遠く離れた入口に立っているだけでした。
祭壇の奥に厳かに佇む女神像を見上げ、胸の前で手を組み小さく囁くように答えました。
(はい、聞こえます)
(ミレンハ アリマセンカ)
(ございません)
(ナラバ オハイリクダサイ)
いつの間にか祭壇の側に移動していた顔なじみのシスターが女神像を一生懸命押して動かしています。
あまりの事に涙も止まり、見つめているうちに人がやっと通れる程の隙間が出来ました。
息を切らして汗をぬぐいながら振り返ったシスターに手招きされ、そばに行くと隙間に押し込まれました。隙間の先は立派な螺旋階段を中心にしたホールになっており、王宮に負けないほどの瀟洒な邸宅へつながっています。
しばらく目の前に広がる光景に圧倒され、我に返って振り返るとシスターが女神像を戻すのに四苦八苦しています。
慌てて手伝って隙間を閉じると、シスターは私ににっこり笑いかけました。
「女神像があんなに重いなんて聞いてなかったの。閉まらなかったら大変なことになるところだったわ。手伝ってくれてありがとう」
汚れをシスター服で拭い、差し出された絵の具に染まった手を、私は迷わず握りました。
「わたくしはローザリア。7年前にここに召された元侯爵令嬢よ。
家名は、もう忘れてしまったわ」
◇◇◇
突如鳴り響いた礼拝堂の大鐘の音。
単調に4度鳴らされるその音が響くのは7年ぶりの事だった。
式典の最中に王宮の会場に響き渡ったその鐘の音に、歯を食いしばり拳を握りしめたリンデル侯爵の鋭い視線は、青ざめ、顔を俯けたアッシュベル伯爵夫妻を捉えていた。
< 1 / 5 >