聖女らしきものたちの暗躍

悪魔

「別邸へやってくれ」

そう声を掛けられた御者は、静かに馬車を出発させた。
港で父のブノワ侯爵と共にノートン子爵を出迎えた時、エレノア嬢の救済策として第二夫人として迎える事を提案した。
突然の申し出に父は絶句し、ノートン子爵からも断られたが問題ない。
事前に父に相談すれば確実に反対されただろう。しかし、先ほど爵位継承の届けを出して手続きは完了した。これでもう新侯爵となった自分の決定に意を唱える事は出来ない。

平民街を中心に広がっていた噂を、顔の広い友人の一人にぽつりと漏らせば、瞬く間に社交界に広がった。ノートン子爵はこのままでは商売を続けられる状態ではない。しかし、ブノワ侯爵となった自分が手を差し伸べて後ろ盾になれば商売を再開できるし、エレノア嬢の名誉もある程度は回復できるのだ。子が生まれればノートン家は存続できるというのに、断るなど馬鹿な事を。

ノートン子爵の東国との太いパイプと優れた商才、何よりも金の卵を産むエレノア嬢を、大義名分を以って手中に出来るこのチャンスをみすみす逃す程に愚鈍ではない。
長年、馬鹿な弟の尻拭いをし続けて来た甲斐があったというもの。最後にこれほど役に立ってくれるとは思わなかった。

エレノア嬢が自分の手を取った事は、既に街では噂になっているはずだ。仕上げに、エレノア嬢が実質的に自分の妻になった事を突きつければ、ノートン子爵は何もできはしない。
全ては自分の思い通りだ。
ブノワ小侯爵は、清楚で可憐なエレノアの姿を想いうかべ、こみ上げる笑いを抑えることなく上機嫌で別邸に向かった。


◆◆◆
ニーナの店に移ってから、エレノアは早朝に礼拝堂に赴くようになった。
礼拝堂はニーナの店から目と鼻の先にある。表通りを抜けると大きな広場に突き当たり、両側の建物が途切れて視界が広がったと同時に、中央に建つ礼拝堂の厳かな姿が目に入る。

きっかけはネリーだった。
イザベラとは会えなくとも手紙のやり取りは続いていて、つなぎ役のシスターに手紙を届けるネリーは、礼拝堂のシスターたちとすっかり懇意になっている。
ある日、エレノアが礼拝に行けなくなった事を嘆いていると知った彼女たちから、ネリーを通じて、夜明け前の早朝に自分たちが祈りを捧げる時間なら、姿を見られずに礼拝が出来るのではと提案を受けたのだ。それ以来、夜明け前の早朝にネリーと共に祈りを捧げに通っている。



そしていよいよ父の帰還の日。
祈りを聞き届けてくれた女神様へ深い感謝と共に、助け出してくれたファルマ公爵とイザベラに祝福とご加護がありますように。エレノアは長い祈りを捧げた。
やっと父に会える。それはエレノアにとって苦しみの中の一筋の光だった。
急いで出迎えの準備をしようと、礼拝堂を出た所にブノワ侯爵家の馬車が停まっていた。
ネリーが庇うように前に立ち、エレノアが背を向けて礼拝堂に入ろうとした時だった。
馬車から降りて来たオーギュストの兄、ブノワ小侯爵が深々と頭を下げたのだ。

「この度の弟の不始末は、どんなに詫びても償いきれない。本当に申し訳ない」

掛けられた言葉を無視する訳にはいかない。しかし、噂が席巻する中、ブノワ侯爵家は動かなかった。それはエレノアを切り捨てたも同義なのだ。
エレノアは、一礼して再び礼拝堂に入ろうとした。

「待ってくれ! 父が危篤なのだ。最期にエレノア嬢に謝りたいと願っている。どうか最後の懺悔として、一目だけでいい! 会ってやってくれないか。この通りだ、頼む!」

その言葉に振り返ったエレノアに、ブノワ小侯爵は更に続けた。

「どうか! 旅立つ父の最期の願いを聞き届けてくれ! 私たちを許してくれとは言わない。しかし、哀れな父に最期の慈悲をかけて欲しい。どうかこの通りだ!」

辺りが白み始めた早朝、広場で朗々と発せられた言葉は大きく響き、何事かと顔を出した街の人々には、深々と頭を下げるブノワ小侯爵の姿とエレノアの姿が嫌でも目に入る。

これ以上人目を集める訳にはいかない。エレノアがネリーの背に手を当てると、彼女は広場をぐるりと見渡し、微かに頷いた。
それを合図に、エレノアがブノワ小侯爵に近づくと、彼は丁寧にエスコートしてエレノアとネリーを馬車に乗り込ませた。

思った通り、連れて行かれたのはブノワ侯爵邸ではなかった。
街の通りに並ぶ瀟洒な作りのその家は、貴族が愛人などを囲う、よくある別邸そのものだ。
門を入ってすぐの馬車寄せの前はすぐに玄関の扉になっている。
ブノワ小侯爵はエレノアが逃げられないように腕を取って家に連れ込むと、抗議の目を向けて立っているエレノアに笑顔を向けて言った。

「君を第二夫人にしようと思ってね。悪い話じゃないだろう? ここでのんびり暮らすと良いよ。お父上にはすぐに会えるように取り計らうから、心配しないで」

そう言って手を取り、指先に口づけようとしたところで、エレノアはするりと手を振りほどいた。
その様子を見てほくそ笑んだブノワ小侯爵は、エレノアに顔を近づけて優しい口調で語りかけると玄関を出て行った。

「その可愛らしい顔で、実は気が強い所も気に入ってるんだよ。もう逃げられないんだから大人しく私に可愛がられた方が身のためだよ」

悪魔は優しい顔をしている。
どこかで聞いたセリフが、エレノアの頭の中に木霊した。


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