騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
 案内されたのは、宮廷の本殿から渡り廊下を隔てた迎賓棟(げいひんとう)だった。

 外国からの使節や高位の賓客(ひんかく)を迎えるための場所らしく、本殿の重厚さとは異なる、落ち着いた華やかさがある。
 磨き上げられた床。
 壁を飾る織物。
 等間隔に置かれた燭台。
 どこを見ても、客人を迎えるために整えられた空間だった。

 先導する役人の後を追いながら、セレスティアは辺りを見回す。
 やがて二階へ上がり、廊下の奥で足が止まった。

 「こちらが、セレスティア様のお部屋でございます」

 開かれた扉の向こうに、広々とした室内が現れる。

 寝室だけではない。
 手前には応接を兼ねた居間があり、大きな窓からは帝都の街並みまで見渡せた。

 「……すごい」

 思わず、小さく声が漏れる。
 その横から室内を覗いたリタも、目を瞬かせた。

 「随分と立派なお部屋ですね」

 「長期のご滞在にも差し支えのないよう、必要なものは一通りご用意しております」

 役人はそう答えると、廊下の隣の扉を示した。

 「リタ様のお部屋はこちらに。ベイル様と書記官殿にも、同じ階にそれぞれお部屋をご用意しております」

 セレスティアの肩から、わずかに力が抜ける。
 少なくとも、皆と引き離されることはないらしい。

 「何かご入用のものがございましたら、控えの者へお申し付けください。可能な限り、すぐにご用意いたします」

 「ありがとうございます」

 セレスティアが礼を返す。
 至れり尽くせり――という言葉が、そのまま当てはまりそうだった。
 そのとき、廊下の先に立つ二人の兵士が目に入った。

 「……あの方たちは?」

 問いかけると、役人はごく自然に答えた。

 「皆様の警護を担当する者にございます」

 「警護……」

 「はい。滞在中は常時、この区画に配置されます」

 セレスティアは小さく頷いた。

 他国からの客人を迎えるのだから、それ自体は不自然ではない。
 むしろ、当然の配慮なのだろう。

 「なお、宮廷内をご移動の際には、担当の者をお呼びください」

 続いた言葉に、セレスティアは役人を見る。

 「担当の方を?」

 「宮廷内には、立ち入りを制限している区画もございますので」

 役人の声音は変わらない。

 「皆様の安全のためでもございます。外出をご希望の場合も、事前にお申し付けいただければ手配いたします」

 禁止、とは言っていない。
 どこへも行けないわけではない。

 それでも――

 セレスティアは、ほんのわずかに眉を寄せた。

 その傍らで、ベイルが口を開く。

 「……随分と行き届いているな」

 役人がベイルへ向き直った。

 「ご不便のないよう、万全を期しております」

 「そうか」

 それだけだった。

 声音にも、表情にも、特別なものはない。

 けれどセレスティアは、ちらりとベイルを見る。

 「……ベイル様?」

 「何でもない」

 短く返してから、ベイルの視線が廊下へ向く。

 警護の兵。
 少し離れた場所に控える侍従。
 そして、この区画へ続く階段。

 一度だけ、それらを確認するように視線を巡らせた。

 「本日のところは、どうぞごゆっくりお休みください。明日の予定につきましては、改めて担当の者よりご案内いたします」

 役人は一礼する。

 「それでは、失礼いたします」

 足音が遠ざかっていく。

 扉が閉じると、室内に静けさが戻った。

 それぞれの部屋へ移る前に、四人はそのままセレスティアの居間に残っていた。

 リタが、ふう、と息を吐いた。

 「……すごい待遇ですね」

 そう言いながら、改めて室内を見回す。

 「こんなお部屋を用意してもらえるなんて。もっと堅苦しいところを想像していました」

 「私も」

 セレスティアは窓辺へ歩み寄った。

 眼下には、夕刻を迎えつつある帝都が広がっている。

 遠くに連なる屋根。
 行き交う馬車。
 その向こうには、かつて暮らしていたこの国の景色。

 三年ぶりに見る景色には、確かに懐かしさがあった。

 けれどーー

 不思議と、帰ってきたという感覚はなかった。


 「……何も、不自由はなさそうね」

 ぽつりと零した、そのとき。

 「そう見えるようにはできている」

 背後から返された声に、セレスティアは振り返った。

 ベイルが、窓から少し離れた場所に立っていた。

 「……どういうこと?」

 ベイルはすぐには答えず、窓の外へ一度視線を向ける。

 「部屋は同じ階。お前の侍女もいる。王国側の書記官もいる。外出も禁止されていない」

 ひとつずつ確認するように言葉を置く。

 「王国が出した条件には、何一つ反していない」

 書記官が、わずかに表情を引き締めた。

 「……確かに」

 ベイルは続ける。

 「だが、宮廷内を移動するには担当者を通す。外へ出るにも事前に申告が必要。廊下には常時、帝国兵がいる」

 リタの表情から、先ほどまでの感心が少しずつ消えていく。

 「それって……」

 「別におかしなことじゃない」

 ベイルは淡々と言った。

 「他国の人間を宮廷内に滞在させるなら、どれも説明はつく」

 「では……」

 セレスティアが問いかける。

 「何が気になるの?」

 ベイルは、わずかに目を細めた。

 「整いすぎている」

 「……え?」

 「俺たちが文句を言えるところがない」

 セレスティアは言葉を失った。

 「王国側の要求は全て守っている。ーーその上で、こちらの動きは、帝国側が把握できるようになっている」

 書記官の表情が、わずかに険しくなる。

 「……なるほど。こちらから異議を申し立てる余地を残さず、行動だけは管理下に置いている、ということですね」

 「ああ」

 ベイルは短く答えた。

 「閉じ込めてはいない。だが、自由にさせてもいない」

 一瞬、沈黙が落ちる。

 書記官が考え込むように口元に手を添えた。

 「となると、やはりアストレア公がーー」

 「その話は後だ」

 不意に、ベイルが遮った。

 書記官が眉を上げる。

 ベイルは答えず、室内を一瞥した。

 ほんのわずかな間。
 
 書記官の表情から、問いの色が消える。

 「……承知しました」

 リタが二人を見比べた。

 「……何です?」

 ベイルは室内へもう一度だけ視線を巡らせた。

 「……いや。何もないなら、それでいい」

 リタが怪訝(けげん)そうに眉を寄せる。

 「ただ、ここは俺たちの城じゃない」

 リタもようやく意味を察したのか、室内を見回す。

 それきり、誰もノクティスの名を口にしなかった。

 セレスティアは、改めて部屋を見回した。

 美しい調度品。
 柔らかな長椅子。
 窓から差し込む夕暮れの光。

 何ひとつ、不快なものはない。
 何ひとつ、拒絶する理由もない。

 ――なのに。

 ふと、脳裏に声が蘇った。

 『何も失わずに済む』
 『何も捨てずに済む』
 『すべて、守られる』

 あの夜。
 夢の中で聞いた、ノクティスの穏やかな声。

 セレスティアの指先が、無意識に胸元へ触れる。
 そこには今も、ベイルから贈られたネックレスがある。

 その仕草に気づいたのか、ベイルがわずかに眉を寄せた。

 「……セレスティア?」

 ベイルの声に、セレスティアははっと顔を上げる。

 「どうした」

 「……ううん。何でもない」

 セレスティアは、ネックレスからそっと手を離した。

 もう一度室内へ視線を巡らせる。
 美しく、快適で。
 何も不足していない場所。

 それなのに――

 なぜだろう。
 先ほどまでよりも、ほんの少しだけ。
 この部屋が広く見えなくなっていた。
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