騎士団隊長の初恋は、訳あり男装剣士でした
宮廷への入場は、驚くほどあっけなく終わった。
身分を示せば、門兵たちは何も問わず、静かに道を開ける。
かつて何度か訪れたはずの場所。
それでも、足を踏み入れた瞬間、どこか遠く感じられた。
石造りの回廊を進む。
磨き上げられた床に、一行の足音が規則正しく響いていく。
やがて辿り着いた重厚な扉の前で、セレスティアの足がわずかに止まった。
必要な手続きを終えればいい。
それだけのはずなのに、胸の奥に引っかかるものが消えない。
セレスティアは小さく息を整え、その違和感を振り払うように足を進めた。
応接の間へ通される。
用意された席へと案内され、セレスティアは静かに腰を下ろした。
ベイルはその傍らに控え、リタと王宮書記官もそれぞれ席に着く。
帝国側の役人と形式通りの挨拶。
続いて、持参した書簡の確認が行われる。
長旅を労う言葉が交わされ、今後の日程について簡単な説明が始まった。
すべてが滞りなく進んでいた。
ーーその時。
不意に、扉が開く。
一人の男が、何の前触れもなく室内へと足を踏み入れた。
空気がわずかに張り詰める。
名乗りもない。
しかし、誰一人としてその侵入を咎めようとはしなかった。
帝国側の人間たちが、ほんのわずかに道を開ける。
その中心にーー自然と人の視線を集める男がいた。
セレスティアは、ゆっくりと立ち上がる。
(……まさか)
鼓動が、ひとつだけ遅れる。
ーー記憶と現実が重なった。
葡萄酒色の髪に、暗赤の瞳。
作り物めいたほどに整った顔立ち。
ーーノクティスだった。
その美貌は、男女を問わず人の目を惹きつける。
ーーそれなのに。
セレスティアの胸に浮かぶのは、見惚れるような感覚ではない。
それよりも先に、無意識に身構えてしまう。
それは、これまで何度顔を合わせても変わらなかった。
ノクティスは室内を一瞥すると、ゆっくりとセレスティアへ視線を向けた。
そして、何事もなかったかのように穏やかに口を開く。
「セレスティア殿。この度はご足労頂き、ありがとうございます」
そこで一度言葉を切り、ノクティスは改めてセレスティアへ視線を据えた。
「……またお会いできて光栄です。お変わりないようで、何よりです」
その声音は、あまりにも整いすぎていてーー感情の揺らぎを感じさせない。
セレスティアは、ほんのわずかに息を整えた。
表情は崩さない。
「……こちらこそ、光栄に存じます。アストレア公」
形式通りの応答。
それ以上でも、それ以下でもない。
ーーけれど。
目の前に立つ男を見つめながら、胸の奥に残っていた疑念が、少しづつ輪郭を帯びていく。
ノクティスは、穏やかな表情を崩さない。
「本日は長旅でお疲れでしょう」
それまでとは少し違う、労うような言葉だった。
「身分と継承に関する確認、ならびに諸手続きについては、こちらでも準備を進めております」
わずかに間を置く。
「ですが、今日のところは、まずお休みください」
セレスティアは、わずかに目を瞬かせた。
てっきり、この場で何かを問われるものと思っていた。
けれどノクティスは、それ以上踏み込もうとはしない。
「滞在中のお部屋もご用意しております。必要なものがあれば、遠慮なくお申し付けください」
「……ありがとうございます」
セレスティアが答える。
ノクティスは小さく頷いた。
「正式な確認は、明日改めて」
そう告げると、彼の視線が一度だけ動いた。
セレスティアの傍らに立つ、ベイルへ。
ほんの一瞬。
二人の視線が交わる。
ベイルは何も言わない。
ノクティスもまた、何も言わなかった。
ただ、その暗赤の瞳がわずかに細められる。
そして何事もなかったかのように視線を戻すと、
「どうぞ、ごゆっくり」
穏やかな一言だけを残し、踵を返した。
扉が閉じる。
室内に、再び静けさが戻った。
ーーけれど。
先ほどまでと同じ静けさではなかった。
セレスティアは閉じられた扉を見つめる。
その傍らで、ベイルもまた、閉ざされた扉からしばらく視線を外さなかった。
「……あの方が、アストレア公なのね」
不意に落ちたリタの言葉に、セレスティアが振り返る。
「ええ」
リタはどこかうっとりしたような眼差しで、閉ざされた扉を見つめていた。
「ものすごく美しい方だって、話には聞いていたけれど……」
ほう、と小さく息を吐く。
「本当だったのね。……思わず見惚れちゃった」
「……そうなの?」
セレスティアが、思わず聞き返す。
リタが、ゆっくりとセレスティアへ顔を向けた。
「……セレスティア様、それ、本気で聞き返してます?」
「え?」
「あんな美しい殿方を目にして、そんな反応ができるご令嬢はなかなか居ないと思いますよ」
セレスティアは少し考えた様子で、閉じられた扉へもう一度視線を向けた。
「……確かに、人目を惹く容姿なのは知っているけれど」
ぽつりと零す。
「…………」
リタは、何とも言えない顔でセレスティアを見つめた。
しばしの沈黙のあと、その視線がベイルへ向く。
「……よかったですね。ベイル様」
唐突に話を振られ、ベイルの眉がわずかに動いた。
「何がだ」
「いえ、別に」
リタはすっと真顔に戻った。
「……しかし、少々意外ではありました」
それまで黙っていた王宮書記官が、静かに口を開いた。
「アストレア公の名は、もちろん存じております。ですがーー」
書記官は、閉ざされた扉へ視線を向けた。
「今回の件は、あくまでセレスティア様の出自と継承権の確認、それに伴う身分上の手続きです。本来であれば、担当の高官だけでも十分に対応できる案件かと」
リタが、わずかに首を傾げる。
「つまり……あの方が、わざわざ出てくるようなことではない?」
「ええ。少なくとも、到着した我々を自ら出迎える必要まではなかったでしょう」
書記官は一度言葉を切る。
「宮廷魔術師長ともなれば、なおさらです」
先ほどまでとは違う沈黙が落ちた。
「……やはり、あいつが絡んでいるな」
ベイルが低く呟く。
セレスティアは、その言葉にゆっくりと視線を向けた。
ベイルの目は、ノクティスが消えた扉へと向けられている。
ーー同じことを、彼女も感じていた。
やがて帝国側の役人が立ち上がった。
「それでは、皆様を滞在のお部屋へご案内いたします」
その言葉に促され、一行は応接の間を後にした。
身分を示せば、門兵たちは何も問わず、静かに道を開ける。
かつて何度か訪れたはずの場所。
それでも、足を踏み入れた瞬間、どこか遠く感じられた。
石造りの回廊を進む。
磨き上げられた床に、一行の足音が規則正しく響いていく。
やがて辿り着いた重厚な扉の前で、セレスティアの足がわずかに止まった。
必要な手続きを終えればいい。
それだけのはずなのに、胸の奥に引っかかるものが消えない。
セレスティアは小さく息を整え、その違和感を振り払うように足を進めた。
応接の間へ通される。
用意された席へと案内され、セレスティアは静かに腰を下ろした。
ベイルはその傍らに控え、リタと王宮書記官もそれぞれ席に着く。
帝国側の役人と形式通りの挨拶。
続いて、持参した書簡の確認が行われる。
長旅を労う言葉が交わされ、今後の日程について簡単な説明が始まった。
すべてが滞りなく進んでいた。
ーーその時。
不意に、扉が開く。
一人の男が、何の前触れもなく室内へと足を踏み入れた。
空気がわずかに張り詰める。
名乗りもない。
しかし、誰一人としてその侵入を咎めようとはしなかった。
帝国側の人間たちが、ほんのわずかに道を開ける。
その中心にーー自然と人の視線を集める男がいた。
セレスティアは、ゆっくりと立ち上がる。
(……まさか)
鼓動が、ひとつだけ遅れる。
ーー記憶と現実が重なった。
葡萄酒色の髪に、暗赤の瞳。
作り物めいたほどに整った顔立ち。
ーーノクティスだった。
その美貌は、男女を問わず人の目を惹きつける。
ーーそれなのに。
セレスティアの胸に浮かぶのは、見惚れるような感覚ではない。
それよりも先に、無意識に身構えてしまう。
それは、これまで何度顔を合わせても変わらなかった。
ノクティスは室内を一瞥すると、ゆっくりとセレスティアへ視線を向けた。
そして、何事もなかったかのように穏やかに口を開く。
「セレスティア殿。この度はご足労頂き、ありがとうございます」
そこで一度言葉を切り、ノクティスは改めてセレスティアへ視線を据えた。
「……またお会いできて光栄です。お変わりないようで、何よりです」
その声音は、あまりにも整いすぎていてーー感情の揺らぎを感じさせない。
セレスティアは、ほんのわずかに息を整えた。
表情は崩さない。
「……こちらこそ、光栄に存じます。アストレア公」
形式通りの応答。
それ以上でも、それ以下でもない。
ーーけれど。
目の前に立つ男を見つめながら、胸の奥に残っていた疑念が、少しづつ輪郭を帯びていく。
ノクティスは、穏やかな表情を崩さない。
「本日は長旅でお疲れでしょう」
それまでとは少し違う、労うような言葉だった。
「身分と継承に関する確認、ならびに諸手続きについては、こちらでも準備を進めております」
わずかに間を置く。
「ですが、今日のところは、まずお休みください」
セレスティアは、わずかに目を瞬かせた。
てっきり、この場で何かを問われるものと思っていた。
けれどノクティスは、それ以上踏み込もうとはしない。
「滞在中のお部屋もご用意しております。必要なものがあれば、遠慮なくお申し付けください」
「……ありがとうございます」
セレスティアが答える。
ノクティスは小さく頷いた。
「正式な確認は、明日改めて」
そう告げると、彼の視線が一度だけ動いた。
セレスティアの傍らに立つ、ベイルへ。
ほんの一瞬。
二人の視線が交わる。
ベイルは何も言わない。
ノクティスもまた、何も言わなかった。
ただ、その暗赤の瞳がわずかに細められる。
そして何事もなかったかのように視線を戻すと、
「どうぞ、ごゆっくり」
穏やかな一言だけを残し、踵を返した。
扉が閉じる。
室内に、再び静けさが戻った。
ーーけれど。
先ほどまでと同じ静けさではなかった。
セレスティアは閉じられた扉を見つめる。
その傍らで、ベイルもまた、閉ざされた扉からしばらく視線を外さなかった。
「……あの方が、アストレア公なのね」
不意に落ちたリタの言葉に、セレスティアが振り返る。
「ええ」
リタはどこかうっとりしたような眼差しで、閉ざされた扉を見つめていた。
「ものすごく美しい方だって、話には聞いていたけれど……」
ほう、と小さく息を吐く。
「本当だったのね。……思わず見惚れちゃった」
「……そうなの?」
セレスティアが、思わず聞き返す。
リタが、ゆっくりとセレスティアへ顔を向けた。
「……セレスティア様、それ、本気で聞き返してます?」
「え?」
「あんな美しい殿方を目にして、そんな反応ができるご令嬢はなかなか居ないと思いますよ」
セレスティアは少し考えた様子で、閉じられた扉へもう一度視線を向けた。
「……確かに、人目を惹く容姿なのは知っているけれど」
ぽつりと零す。
「…………」
リタは、何とも言えない顔でセレスティアを見つめた。
しばしの沈黙のあと、その視線がベイルへ向く。
「……よかったですね。ベイル様」
唐突に話を振られ、ベイルの眉がわずかに動いた。
「何がだ」
「いえ、別に」
リタはすっと真顔に戻った。
「……しかし、少々意外ではありました」
それまで黙っていた王宮書記官が、静かに口を開いた。
「アストレア公の名は、もちろん存じております。ですがーー」
書記官は、閉ざされた扉へ視線を向けた。
「今回の件は、あくまでセレスティア様の出自と継承権の確認、それに伴う身分上の手続きです。本来であれば、担当の高官だけでも十分に対応できる案件かと」
リタが、わずかに首を傾げる。
「つまり……あの方が、わざわざ出てくるようなことではない?」
「ええ。少なくとも、到着した我々を自ら出迎える必要まではなかったでしょう」
書記官は一度言葉を切る。
「宮廷魔術師長ともなれば、なおさらです」
先ほどまでとは違う沈黙が落ちた。
「……やはり、あいつが絡んでいるな」
ベイルが低く呟く。
セレスティアは、その言葉にゆっくりと視線を向けた。
ベイルの目は、ノクティスが消えた扉へと向けられている。
ーー同じことを、彼女も感じていた。
やがて帝国側の役人が立ち上がった。
「それでは、皆様を滞在のお部屋へご案内いたします」
その言葉に促され、一行は応接の間を後にした。