美術室の絵
私の中学では、深夜、美術室に真っ赤な絵が現れるという噂があった。
その絵を刃物で切り裂くと、中には異世界が広がっていると言う。
少し前にこの噂を確かめようとした三年生の女子が一人、帰って来ないらしいというのは、有名な話だった。
ある日の夜、級友のクミと私は並んで塾からの帰途に着いていた。
クミとは特別仲良くはなかったけれど、一緒に帰ることは時折ある。
「ねえ」とクミが話しかけてきた。「美術室の噂、今から試してみない?」
クミは、頼まれると嫌とは言えない私の性格を分かっていた。
深夜の学校についた私たちは、二人して美術室に忍び込んだ。
部屋の真ん中に、木製のイーゼルが立っている。
「これだ。うわ、本当にある……」とクミがつぶやく。
二人で絵に近づく。
赤い油絵の具が何重にも塗りたくられ、絵の表面は岩のようにゴツゴツと盛り上がっていた。
クミはカッターナイフを取り出す。
やめなよ。
私はその一言が出せない。
クミは思い切り、左上から右下まで一息に分厚い赤色を切り裂いた。
途端。
「ガアアアアアッ!」
絶叫とともに、バリン! と音を立ててキャンバスの切れ目が内側から破られて広がり、中から真っ赤な腕が飛び出てきた。
まるで、ずっと内側から絵を押し破ろうとし続けていたかのように。
腕に続いて、頭、そして上半身が絵の破れ目から現れた。
クミが叫ぶ。
「あなたは……!」
異様な形相のために分かりづらいけれど、『それ』は女性の様だった。この中学の制服を着ている。
這い出ようとする『それ』の動きが、けれど、がくんと止まった。
見ると、腰の辺りを、絵の向こう側にいる別の何かの手に掴まれている。
『それ』はクミの腕を掴み、そのまま絵の中に引きずり込んだ。
私が慌てて覗き込むと、そこは狭く細い、傾斜のきつい縦穴だった。
深い底に、クミが尻もちをついている。
底でうごめいているのは、痩せこけた無数の人間の上半身の群れだった。
ひしめき合っているせいで、下半身は見えない。
思わずのけぞった私の目の前で、見えない誰かが今まさに塗り直して蓋をするように、赤い絵の具が上から塗り重ねられていく。
絵の傷は跡形もなく消えた。
私にはとても、もう一度絵を切り開くことはできなかった。
終
その絵を刃物で切り裂くと、中には異世界が広がっていると言う。
少し前にこの噂を確かめようとした三年生の女子が一人、帰って来ないらしいというのは、有名な話だった。
ある日の夜、級友のクミと私は並んで塾からの帰途に着いていた。
クミとは特別仲良くはなかったけれど、一緒に帰ることは時折ある。
「ねえ」とクミが話しかけてきた。「美術室の噂、今から試してみない?」
クミは、頼まれると嫌とは言えない私の性格を分かっていた。
深夜の学校についた私たちは、二人して美術室に忍び込んだ。
部屋の真ん中に、木製のイーゼルが立っている。
「これだ。うわ、本当にある……」とクミがつぶやく。
二人で絵に近づく。
赤い油絵の具が何重にも塗りたくられ、絵の表面は岩のようにゴツゴツと盛り上がっていた。
クミはカッターナイフを取り出す。
やめなよ。
私はその一言が出せない。
クミは思い切り、左上から右下まで一息に分厚い赤色を切り裂いた。
途端。
「ガアアアアアッ!」
絶叫とともに、バリン! と音を立ててキャンバスの切れ目が内側から破られて広がり、中から真っ赤な腕が飛び出てきた。
まるで、ずっと内側から絵を押し破ろうとし続けていたかのように。
腕に続いて、頭、そして上半身が絵の破れ目から現れた。
クミが叫ぶ。
「あなたは……!」
異様な形相のために分かりづらいけれど、『それ』は女性の様だった。この中学の制服を着ている。
這い出ようとする『それ』の動きが、けれど、がくんと止まった。
見ると、腰の辺りを、絵の向こう側にいる別の何かの手に掴まれている。
『それ』はクミの腕を掴み、そのまま絵の中に引きずり込んだ。
私が慌てて覗き込むと、そこは狭く細い、傾斜のきつい縦穴だった。
深い底に、クミが尻もちをついている。
底でうごめいているのは、痩せこけた無数の人間の上半身の群れだった。
ひしめき合っているせいで、下半身は見えない。
思わずのけぞった私の目の前で、見えない誰かが今まさに塗り直して蓋をするように、赤い絵の具が上から塗り重ねられていく。
絵の傷は跡形もなく消えた。
私にはとても、もう一度絵を切り開くことはできなかった。
終


