気がつかないで
驚いて固まってしまった俺に、霜降くんは苦笑いをした。
そして、言葉を続ける。

「寝てる間に脳が記憶の処理をするんだけど、その時ひとり分の記憶を消しちゃうんだって。記憶の端にある人から、ひとりひとり。那月とは中学3年から一緒だけど、忘れたことはない。そのくらい大切な奴は、なかなか忘れないんだって」

霜降くんはすごく悲しそうな顔をした。
今まで、どんな思いをして生活してきたのだろう。
忘れたくない人を忘れるかもしれない。
そんまふうに不安なんじゃないか?

「だからあんたと離れろって言ったんだと思う。俺はまた忘れていくことに傷つく。それに、あんたは俺に忘れられて傷つく。そういう負の連鎖が少しでもなくなるように」

そっ…か。
そういうことだったんだ、離れろって言ったのは。

「治らない病気だからさ、今の対処法としてはどうでもいい人を毎日ひとり覚えるんだ。それで寝れば、その人を忘れるだけ。でもさ、もしその人が大切な人になったら……意味ないんだろうな」

その“対処法”とやらも、霜降くんからしたら不安が増えていっているだけなんだろうな。
だから、霜降くんは人と関わろうとしないんだ。
その人が大切な人にならないように。

「じゃあ…俺は霜降くんにはあんまり関わらない方がいいかな?」

そう恐る恐る聞くと、霜降くんは「うーん」とうなった。

「俺、とあさんがいなくなったら悲しいよ?」

「え?」

「だから、とあさんは俺に忘れられないようにして」

心臓がドキッと跳ねた。
それって、俺のことが大切ってこと?
優しく笑う霜降くんから目が離せなかった。

***

あれから3日経って、霜降くんの印象はだいぶ変わった。
そのせいで、教員は大騒ぎ。
「あの問題児をどうやって手懐けたんですか!?」と、よく言われる。
でも、校長先生だけはそれがわかっていたように笑っていた。

「とあさん」

今日も帰りのホームルーム終わりに、霜降くんに話しかけられる。
俺は振り返って微笑んだ。

「なに?」

「教えてほしい問題あるんだけど。時間ある?」

俺は腕時計で時間を確認する。
桃乃には最近はお迎え遅くなるって言ってあるし、まだ大丈夫かな。
そう考えた俺は、顔をあげて霜降くんを見る。

「うん。大丈夫だよ。荷物置いたらいつものところに行くから、待ってて」

「わかった」

——いつものところ。
旧校舎の奥の部屋が、いつも集まる場所になっている。
本来なら注意すべきなんだけど、教員は黙認してるからいいみたい。
俺も利用しちゃってるから、人のこと言えないけど。
俺は一度ため息をついた後、自分のデスクに荷物を置いて出ていった。
足早に旧校舎に向かって、俺はいつも通り教室の扉を開けた。

「あ、とあさん!やっほ〜」

「あれ?那月くん?」

俺は首を傾げながら、扉を閉めた。
霜降くんだけしかいないと思っていたから、那月くんがいることに驚いてしまう。

「ごめん、俺がこいつ呼んだ。勉強教えてほしいって」

「そうそう。俺勉強についていけなくって」

「那月くんは授業に出てないせいじゃない?」

俺がそう言うと、那月くんは笑顔で固まった。
あ、やば。
俺なんかひどいこと言った?
霜降くんはくすくす笑ってる。

「とあさん容赦ないな。てか、那月もただの自業自得だろ。傷つくなよ」

そういうことか。
授業に出てないことで成績が悪いって自覚してるんだ。

「はいはーい。ま、そんなことはいいからさっさと勉強しようよ。ほら、とあさんも座って!」

僕は那月くんに促されるまま、定位置に座った。
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