扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました

 中に入るのを躊躇していると、頭の上を小突かれた。
 凛子は憮然とした表情をするも、主に問う。

「えっと……見てはいけないものとか有りますか?」

「特に無い。不必要に持ち出せば判る」

 少し立て付けの悪い窓は、シェイルが片手で上にあげると、ぎしぎしと音をさせた。
 籠っていた空気が外に流れるのを感じ、凛子は漸く室内へと足を踏み入れる。
 正面の壁には、隣室へと続くであろう扉が薄く開かれたままだった。

「あっちの部屋にも資料とか有りますか?」

「ああ……」

 シェイルは大股で部屋を横切ると、その扉を大きく開け放つ。

「そこの棚と床にも幾つかあるから、併せて纏めておけ」

 男の腕の下から中を覗き込むと、資料部屋同様、酷い有様である。

 寝台が壁際にあり、寝具は丸められて床に落ちていた。
 酒瓶等も数本その横に転がっている。
 そして書類の類が床に積み上げられており、一部はバランスを失い崩れたように散らばっている。

 どこかで見た様な荒れ具合に、自分の部屋を思い出す。
 仕事の忙しさにかまけ、家事は放棄し、ただ寝る為だけの場所だったあの部屋。

 思わず横から男の顔を見上げると「なんだ」と片眉を上げて返される。
 疲労の色は欠片も見えなかった。
 
 だいたいこういう場合、自分の疲れには気が付かないものだ。

 次々と降ってくる案件を、片っ端から片付け、脳を連続稼働させていくと仕事以外はすべて些事となる。食べる事も休息する事も。最低限の人間らしさとして、衣類だけは着替える事を心掛けていたが、会社に寝泊まりを始めるとそれさえも、今日はちゃんと下着を替えた、というレベルまで落ちる。

 あの部屋から遠く離れたこの場所に住まう様になって、凛子自身はかつての自分の生活に関してよく思い出し、比較あるいは反省をしていなくもない。今の生活は慣れない事も多いが、最低限人間のレベルを保つという悲惨なものではなく、それなりに充足しているとも言えなくもない。

「判りました。()()やっておきます」

 シェイルに関しては思う所は沢山ある。
 それこそ言葉として簡単に説明できない感情もある。

 ただ、今は、かつての自分が後々からそう感じたように、少しは気楽に、あるいはもっと仕事に打ち込めるであろう補助業務を担ってあげても良いかなという気持ちになっていた。
 自分がそうであったように、きっと直ぐには気が付かないだろうけど。

 精々、上司となったこの男が、倒れないようなサポートをしよう。
 それもまた秘書官として与えられた業務なのだから。

 壁に背を預けたままこちらを見下ろしてくる青灰色の瞳に、凛子はにっこりと微笑む。

「それでは、いってらっしゃいませ。閣下」

 そして男の大きな背を押し出すと、荒れ果てた資料室と仮眠室に向き合った。

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