扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
前回来た時と同じ部屋だ。
象牙色の長椅子と、深緑のソファ。小さなテーブルの上には、今日は白磁の茶器が用意されていた。銀の燭台には新しい蝋燭が立てられ、柔らかな光を放っている。
壁際の棚に並ぶ酒瓶が、燭台の光を反射してきらめく。
「折角だから、お茶をどうぞ」
白磁のカップから、花の香りが立ち上った。
所謂、花茶だろうか。ゆっくりと蕾が開く様は、いつか見た事がある。ここではない世界で。
「ありがとうございます」
緊張しながら口にした茶は、ほのかに甘く、舌に残る余韻が心地よい。
「それで? 護衛の配置確認とは言っても、もう既に始まっているでしょう?」
リゼットが微笑みながら、ソファに優雅に腰を下ろし、足を組んだ。
「あの……はい。実際に店内で過ごされる方たちと、同じ時間滞在するように、という命令で……今日はリゼットさんのお客さん代わりとして、私がお時間を頂戴する事になりました」
「なるほどね。外に居るあの子たちでも良かったのに」
リゼットは煙管を取り出すと、火を点けた。
象牙細工の煙管から、紫煙が立ち上る。
「じゃあ、私達、女同士で秘密のお話でもする?」
「え? あ、でも全部記録する事になってるので、他愛もない話題しか出来ないかも……です」
「そんな、つまらないわ」
リゼットは煙を吐き出す。
その煙が、燭台の炎に揺らめいて消えていった。
「こんなのどう? 私とシェイル様がどんな時間を、かつて過ごした、とか」
凛子は言葉に詰まる。
カップを持つ手が、わずかに震えた。
いや、それは色々とあるのだろうが、別に当人からわざわざ聞きたいとは思わない。それなりに想像もつく。この場所がどのような目的で経営されているのか。アラサーに足をかけている自分だって、それなりの経験はある。
黙り込んでしまった凛子を眺め、リゼットは面白そうに笑う。
「私も退屈していたところだし」
彼女は煙管をテーブルの端に置くと、凛子をじっと見つめた。
「お風呂でも入っていく? 専用浴室が備え付けてあるのよ。貴賓室だからこの部屋。それに浴槽もとっても広いの」
「お風呂……」
唐突に降られた話題だが、もしそれが足を伸ばせるくらい広い浴槽なら、実に魅力的な提案だった。
二刻もの時間を、会話だけでもたせる自信が無い。シータ家には浴室も浴槽もついていたので、入浴に関する不満は無かったのだが、軍官舎の共同浴室は、本当に、身体を清めるための最低限の設備しか無く、当然足を伸ばして浸かれる浴槽も無かった。
浴室の片隅に、ドラム式洗濯機のようなサイズの四角い入れ物が有り、そこに溜めてある湯を、桶で掬って使用するという、実に原始的な物なのである。
「やだ、本気にした? 可愛いわね」
「――あ、つい」
「素直なのね。とっても」
リゼットが小首を傾げると銀の飾りが、かすかな音を立てた。
「でもそうね、どうせすることも無いし、お風呂入っちゃいましょ」
するりと立ち上がり、ドレスの肩紐を落とす。白く滑らかな肌は、仄かな明かりの中でも、手入れされているのが良く分かる。
「こっちよ」
「え、本気ですか!?」
「ずっと向かい合って、お茶飲み続けるのも疲れるじゃない」
言いながら、隣室の扉を開くと、湯が常に溜められているのか、白い湯気がすっと帯を引くように室内に流れ込んできた。
そんな訳で、想像以上に広い浴槽に肩まで身体を沈め、向かい合っているという状況に、なってしまった。
リゼットに、高価そうな石鹸水で、髪まで丁寧に洗ってもらい、完全に寛いでいる自分に、凛子は一応反省はしている。これで湯船につかりながら日本酒といきたいところだが、室内での会話は全て記録する事となっている為、滅茶苦茶怒られそうだな、と額に落ちてくる雫を手で払った。