扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇
「猊下は、動かれないとの事です」
聖王が難しそうな顔で机に肘を立てた。
「長く、アレとはまともに話をしていないな」
ため息とともに吐き出された声が後悔と共に沈む。
「私もです、父上」
皇太子であるディエルの兄・ラエルは額に手をあて、項垂れている。彼の隣に蒼褪めた頬で、座っているのは、トゥリローゼから輿入れしてきた皇太子の妃だ。王妃は孫である少年に、少し離れたところで、手製の布絵本を読み聞かせていた。
ミアリエルは、居心地悪そうに座りなおし、報告書を携えてこの部屋に来たラストゥーリャの紡ぐ言葉を静かに聞いていた。
小さな庭園を望む、王の私室に、当代アゼリアス王室を構成している者が顔を揃えていた。
だがそこに二人の兄弟が居ない。大司祭であるディエル、それから右将軍であるシェイル。
ミアリエルは陰鬱が支配する室内を見回し、結局彼らと同じように肩を落とした。
歪な家族だと思う。――王族だからか。
この数年、家族が同じ空間に同時に顔を揃えることなど、公式行事の際以外には、殆ど無かった。
それでも彼女が幼い時、甥っ子である皇太孫が生まれたころまでは、この小さな空間は、いわゆる一般的な家族を構成している民たちと等しく、暖かい雰囲気に包まれていた。いつからこのようにバラバラな形になったのだろう。
しかし庶民の出でもある母はこの奥宮においても、以前と近しい生活を望み、それを父王は受け入れた。母親の違う兄達も皆、最初の頃は、今みたいに遠い、と感じる存在ではなかった。話をしたいとき、という感覚もなく、一緒に居た記憶しかない。
「聖教会への補正予算、国内行事および法整備の見直し――」
ラエルが懊悩を滲ませながら言う。
「いや、いっそ国外任務に出すか。特使として正式に」
大司祭という名分を守りつつ、実質的に権限を奪う。
大司祭であるとともに、ディエルはアゼリアス王室の人間である。
前線で命をとしているいるシェイルに対し、大神殿に引き籠っているディエルという世論戦に持ち込む。
「――血が流れれば、祈りが生まれる。秩序が壊れれば新しい信仰が生まれる、そう言ったのだな」
普段は柔和な目が、射抜くようにラストゥーリャを見る。
「その発言だけを捉えれば、思想的に国家に対する反逆とも考えられる」
「陛下……ですが」
「無論リアス聖教会は政治とは異なる立場にあって良い。だが、その教会を構成している人員は我が国の民でもあろう」
「待って! なんでこんな時にディル兄さまが糾弾されるの?」
弾かれた様に、ミアリエルが立ち上がった。
勢いで、座っていた椅子が引き倒され、母は少年を庇うように抱きかかえるのが横目に見えた。
沈黙していた空気が、砕け散る音がした。
「姫殿下」
ラストゥーリャが静かに諌めようとするより早く、聖王が手を上げた。
「ミアリエル、座りなさい」
ラエルが諌めても、ミアリエルは首を振る。
「だって……家族なのに! なんで喧嘩するの!」
彼女の言葉は拙く、幼い。
だがその真っすぐさだけが、会議の冷気をかろうじてゆらがせた。
「ミアリエル」
王の声は落ち着き払っていた。
「これは喧嘩ではない。国を動かすための判断だ」
短く、硬いその言葉に温度はない。
王は感傷を持たないまま話を続ける。
「ディエルは大司祭だ。そしてこのアゼリアス聖王国を構成する王族の一人でもある」
ラエルも淡々と頷いた。
「軍事面を担うのがシェイル、宗教面を担うのがディエル。役目どおりに働いてもらう。それだけの話です」
ミアリエルは唇を尖らせ、
「やだ……離れ離れになるのやだ……」と呟き、涙をこらえる。
だが誰も、慰めない。
誰も、立ち止まらない。
その隙間で、ただひとりの名が響く。
「ディエルを前線へ特使として送る」
王の決定は氷の刃のように会議を切り裂いた。
「介入はさせぬ。戦場の均衡を保て。それが特使としての義務だ」
ラエルが思案したのちに王に問う。
「拒否した場合は?」
「その時は……」
父王は遅れて、わずかに肩を落とした。
「神殿の権威と象徴を、こちら側が取り戻すだけだ」
ミアリエル以外、誰も眉一つ動かさなかった。
「猊下は、動かれないとの事です」
聖王が難しそうな顔で机に肘を立てた。
「長く、アレとはまともに話をしていないな」
ため息とともに吐き出された声が後悔と共に沈む。
「私もです、父上」
皇太子であるディエルの兄・ラエルは額に手をあて、項垂れている。彼の隣に蒼褪めた頬で、座っているのは、トゥリローゼから輿入れしてきた皇太子の妃だ。王妃は孫である少年に、少し離れたところで、手製の布絵本を読み聞かせていた。
ミアリエルは、居心地悪そうに座りなおし、報告書を携えてこの部屋に来たラストゥーリャの紡ぐ言葉を静かに聞いていた。
小さな庭園を望む、王の私室に、当代アゼリアス王室を構成している者が顔を揃えていた。
だがそこに二人の兄弟が居ない。大司祭であるディエル、それから右将軍であるシェイル。
ミアリエルは陰鬱が支配する室内を見回し、結局彼らと同じように肩を落とした。
歪な家族だと思う。――王族だからか。
この数年、家族が同じ空間に同時に顔を揃えることなど、公式行事の際以外には、殆ど無かった。
それでも彼女が幼い時、甥っ子である皇太孫が生まれたころまでは、この小さな空間は、いわゆる一般的な家族を構成している民たちと等しく、暖かい雰囲気に包まれていた。いつからこのようにバラバラな形になったのだろう。
しかし庶民の出でもある母はこの奥宮においても、以前と近しい生活を望み、それを父王は受け入れた。母親の違う兄達も皆、最初の頃は、今みたいに遠い、と感じる存在ではなかった。話をしたいとき、という感覚もなく、一緒に居た記憶しかない。
「聖教会への補正予算、国内行事および法整備の見直し――」
ラエルが懊悩を滲ませながら言う。
「いや、いっそ国外任務に出すか。特使として正式に」
大司祭という名分を守りつつ、実質的に権限を奪う。
大司祭であるとともに、ディエルはアゼリアス王室の人間である。
前線で命をとしているいるシェイルに対し、大神殿に引き籠っているディエルという世論戦に持ち込む。
「――血が流れれば、祈りが生まれる。秩序が壊れれば新しい信仰が生まれる、そう言ったのだな」
普段は柔和な目が、射抜くようにラストゥーリャを見る。
「その発言だけを捉えれば、思想的に国家に対する反逆とも考えられる」
「陛下……ですが」
「無論リアス聖教会は政治とは異なる立場にあって良い。だが、その教会を構成している人員は我が国の民でもあろう」
「待って! なんでこんな時にディル兄さまが糾弾されるの?」
弾かれた様に、ミアリエルが立ち上がった。
勢いで、座っていた椅子が引き倒され、母は少年を庇うように抱きかかえるのが横目に見えた。
沈黙していた空気が、砕け散る音がした。
「姫殿下」
ラストゥーリャが静かに諌めようとするより早く、聖王が手を上げた。
「ミアリエル、座りなさい」
ラエルが諌めても、ミアリエルは首を振る。
「だって……家族なのに! なんで喧嘩するの!」
彼女の言葉は拙く、幼い。
だがその真っすぐさだけが、会議の冷気をかろうじてゆらがせた。
「ミアリエル」
王の声は落ち着き払っていた。
「これは喧嘩ではない。国を動かすための判断だ」
短く、硬いその言葉に温度はない。
王は感傷を持たないまま話を続ける。
「ディエルは大司祭だ。そしてこのアゼリアス聖王国を構成する王族の一人でもある」
ラエルも淡々と頷いた。
「軍事面を担うのがシェイル、宗教面を担うのがディエル。役目どおりに働いてもらう。それだけの話です」
ミアリエルは唇を尖らせ、
「やだ……離れ離れになるのやだ……」と呟き、涙をこらえる。
だが誰も、慰めない。
誰も、立ち止まらない。
その隙間で、ただひとりの名が響く。
「ディエルを前線へ特使として送る」
王の決定は氷の刃のように会議を切り裂いた。
「介入はさせぬ。戦場の均衡を保て。それが特使としての義務だ」
ラエルが思案したのちに王に問う。
「拒否した場合は?」
「その時は……」
父王は遅れて、わずかに肩を落とした。
「神殿の権威と象徴を、こちら側が取り戻すだけだ」
ミアリエル以外、誰も眉一つ動かさなかった。