扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
◇◇◇

 血塗れの鎧を引きずり、シェイルが駆け寄る。

「ディエル! やめろ!」

 その言葉は届かない。
 ディエルの瞳は兄を認識していながらそこに何も宿していない。

 紋様術式の暴発の瞬間、世界が裏返るかのようだった。
 光が裂け、地が裂け、大地が裂け、空気が軋み、すべて赤色に染まった。誰かの叫び。誰かの断末魔。術が暴れ狂い、すべてを飲み込み、焼き付けていく。

 ディエルの視界はやがて色を失い、次に見えたのは、自分の左腕が肩から無いという事実だけ。

 痛みは遅れてやってきた。
 だが叫びは上がらない。
 胸の内のほうが、ずっと空洞だった。

 シェイルに関する感情が綺麗に抉り取られている。
 無感情のままそれだけを確認し、ディエルは立ち上がる。彼の目的は果たされた。世界の完成。失われたのは、救いか、罪か。

 帝国軍とロマーヌ軍、トゥリローゼ兵、アゼリアスの騎士達。
 怒号と不信が渦巻く中に、片腕の大司祭がゆっくりと進み出る。

 その一歩ごとに空気が締め付けられる。

「終わりの時間が近づいている。これ以上の争いは必要ない」

 帝国の将軍が唇を噛む。

「貴様ら聖職者や魔術師の気まぐれで、我らが退くと?」

「私が施したいのは恐怖ではない。愚かさをやめろと告げているのだよ。確かに、イズラルは五万の兵を集めた、だが――この先、トゥリローゼが参戦し、アゼリアス介入するだろう。つまり、戦は、長期化する」

「それが何だ」

「あなた方の補給線は?」

 ディエルの問いに、将軍は黙る。

「イズラルは、確かに強大だが――この大陸の反対側まで、補給を続けられるか? それに――聖王庁は、この戦を侵略戦争と認定する。つまり、大陸全土に向けて、イズラルへの非難声明を出す」

 将軍の顔色が、変わる。

「貴方たちは――孤立するだろうな」

「……脅迫か」

 ディエルは、無感情の瞳をいきり立つ将軍に向けた。

「これは、提案ですよ」

「提案?」

「ええ。戦などやめて、その代わりに――貿易協定を結ぶのはいかがか?」

「貿易ぃ?」

「ロマーヌの工業技術。アゼリアスの鉱物資源。そして、イズラルの広大な市場。三国で協定を結べば、すべてが利益を得るのでは? 戦で奪うより、よほど確実にね」

 ディエルが掌を上に向ける。
 光の梯子が天へと伸びて、灰に塗れた戦場に光の粒子を撒き散らした。
 戦場に沈黙が広がり、重圧だけが残る。

「新興国である貴国は知らぬだろうが、アゼリアスが他国の侵略を受けないのは、この大陸において、もっとも魔術と軍事に秀でているから」
 
 この場を支配している男の言葉に逆らうものは現れなかった。
 
 黒髪の女が微笑みながら、彼の影から姿を現す。
 そして男に甘えるよう、残っている腕に身体を寄せた。
 濃紺の瞳が、細められ、ディエルの掌に重ねるように自分の手をのせる。
 黒い霧のような靄が梯子に纏わりつくように登り、戦場に闇の粒子を撒き散らした。
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