扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
 一週間後。
 イズラル帝国は、撤兵を決定した。
 そして三国貿易協定が、締結された。
 ロマーヌは、内乱の危機を脱し、若き公子を中心に団結する。
 トゥリローゼが受けた国境沿いの争事には、ロマーヌとイズラルより違約金が支払われた。

 報告は簡潔だった。
 調停は成功した。

 だが、代償は、あまりに深く、取り返しがつかない。

 ディエルの左腕喪失、および特定の人物に対する感情のみ欠落。
 凛子の特定の人物に対する記憶のみ消失。

 ミアリエルは奥宮を抜け出し、学術庁の塔から祝宴の雰囲気を纏っている王宮を見下ろし、ぽつりと呟く。

「みんな……傷だらけじゃない……」

 その声は、誰にも届かず宙に溶けた。

◇◇◇

 凛子は暖かな室内で毛布に包まり、医師の問いに淡々と答えていた。

「記憶障害……?」

「ええ。特定の人物との関係性が、すっぽり抜けています」

 特定の人物。
 そう、たったひとりだけ。

 シェイルは廊下で、壁に額を押し付けたように立ち尽くしていた。

 声をかければいいのに。
 名前を呼べばいいのに。
 一歩が出ない。
 胸の奥には、凛子のあらゆる記憶が鮮烈に残っているから、この距離の方が安全だった。

「今度は……俺が、忘れられる番か」

 その言葉は喉奥で崩れ苦し気に溜息を吐いた。

「ディエル……お前は、本当にひどいことをする」

 だがしかし、怒りは遠く寂しさだけが残る。
 肝心の弟は、この場所に在ったという証を全て捨てて去ってしまった。

 ややして、面会許可が下りた。
 扉が開かれた瞬間、視界の中に見知らぬ男の影が差す。

「リィン」

 凛子は反射的に身体を引いてしまう。
 知らない人物が、自分の名を呼ぶ。
 それなのに、なぜか泣きたいような奇妙な衝動が溢れ、困惑する。

「ごめんなさい……えっと、あなた、誰……?」

 シェイルは、確かに、笑おうとした。
 けれど、唇はうまく動かなかった。

「俺は――アゼリアスの剣を預かる者。それで十分だ」

 凛子の頬にそっと触れると、指先を通じて、震えがシェイルに届いた。

「――私、何か、大切なことを忘れてる」

 シェイルの胸倉を掴み上げる様な残酷な言葉に、血の味がするほど唇を嚙みしめる。

「気にするな」

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