2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
 小ぶりな花弁が可愛らしいアンジェは春の花の代表である。

 妹姫から、退出を促すようにアンジェの花冠をぽいと手渡されたシェイルは、微妙な気持ちでそれを眺めた。練習用と称し作られたそれは、編み目が非常に粗く、暫くの間持ち歩いていただけで簡単に崩れてしまった。風に浚われた花弁の先を見遣り、溜息一つ落とすと、庭木の間に押し込める。

 祝祭週間に行われる華宵祭で未婚の男女はアンジェの花冠を意中の者に送り、その気持ちに応える意思がある者は、花冠から一輪の花を抜き出して身を飾る。

 ここ数年で、市井から広がった奥ゆかしい求愛は、いまや王宮の奥深くにまで浸透している。妹姫が花冠を送る相手はいったい誰なのだろう。先ほど彼女のサロンで話題に上っていた何人かの名前に、それだけはありえない――と、首を横に振りつつも、シェイルは外宮の西側へと足を向けた。

 外敵の侵入を拒むように複雑に絡み合う回廊。幾つかの階段を上り下りすると、尖塔への入り口が並ぶ楕円の広場に出ることが出来る。天文院や図書院などが集められた、アゼリアスの頭脳の結晶である尖塔群凡てをひっくるめ、叡智の塔と呼ばれている。

 そして学術庁下にある一介の天文院の長が、叡智の塔主と渾名されていることに、誰も疑問を持たないのは、魔術研究に関して秀でた彼に、この大陸においては並ぶ存在が居ないからかもしれない。事実、大掛かりな空間転送理論法は商業・軍事面において非常に有益な研究結果である。良きにしろ悪しきにしろ。

「やあ、シェイル」

「何をしているんだこんな所で」

 叡智の塔主の執務室。
 まるで自分がそこの主である、といわんばかりの顔で出迎えた異母弟にシェイルは首を捻る。

「何って、息抜き」

 茶化すような口調に、シェイルは呆れた表情で、手近にあった椅子を引き寄せた。

「聖火はどうした」

「僕が始終張り付いている必要は無いじゃない」

「お前……大司祭だろう」

「そういう君だって将軍サマでしょう。ま、もうすぐ戻るよ宵の儀礼までにする事あるしね」

 アンジェの花の香りを乗せた柔らかな風が白金の髪をふうわりと揺らす。
 甘やかな笑みを乗せ、一日遅く生まれた異母弟はカップを口に運ぶ。

 弟と二人きりの会話は続かない。
 室内に沈黙が降りる。

 成人するまで奥宮で育てられた兄弟達の仲は良好だったと言えよう。しかし異母兄の立太子に合わせ、異母弟は聖教会を終の棲家と定めた。自分は父王や後継である異母兄の忠実なる臣である事を主張するため、軍部へ。兄弟達が顔を合わせるには諸手続きが必要となり、だんだんと距離が離れていった。

 もちろん、謁見という形で週に数回異母兄とは言葉を交わしているが、大司祭となった異母弟が公式に王宮へ姿を現すのは、月に一度。それもお互い、周囲を沢山の人間に囲まれ、直接会話する事など滅多に無い。

 それぞれの場で得た情報を交換するために選んだのは、叡智の塔主の執務室だったが、それも皇太孫誕生の頃から数を減らし、今では三人が揃うことなど滅多に無かった。ゆえに、たった数日を挟んで弟と私的な場で会うのは非常に珍しい。

 ついとディエルの指先が自分に伸ばされるのを視界の端で捕らえる。

「もう貰ったの? 気の早い娘がいるね」

 その指先が摘んでいるのは薄桃色の花弁。

「ああ、さっきミアリエルの茶会に顔を出したから……」

「まさか妹と同世代の娘にするつもり?」

「そんな訳ないだろう」

「だろうね。――ねえシェイル」
 花弁を弄んでいたディエルが、それを床に落とす。
「探し物は見つかった?」

 話題の流れからは当然といえよう。シェイルは苦い顔をして口を開く。

「いや……」

「それにしても、シェイルにあんな顔をさせるなんてねえ」

 確かにあの時の自分は、冷静さを欠いていた。

「どんな娘なのか、想像もつかないな」

 冗談めかして片目を瞑るディエルの言に、言い訳がましく心の内で言葉を重ねる。

 生じた感情も日を置いてしまえば、どうにか頭の片隅に追いやれる。
 彼の日常は、祝祭週間であることも手伝い、忙殺の一言につきる。だからこの部屋に足を運んでしまったのは、ちょっとした息抜きなのだ。そう、弟がここに居るのと同じ理由。

「さてと、僕はそろそろ戻ろうかな」

 話を切り上げるようにディエルは立ち上がる。
 去り際に「トゥーリャは保管庫に居るみたいだよ」と、シェイルの肩を軽く叩く。

 意味深な笑みが、その表情に含まれていたことに、思考の波間を漂っていた彼は、気がつかなかった。

◇◇◇

 ――ここに来てした事。
 凛子は、憮然とした表情で行儀悪く椅子に横座りをしていた。

 起床し朝食を摂り放置され、昼食を摂り昼寝をし、夕方湯浴みをし夕食を摂り寝酒が用意される。なんともいえない監禁生活に突入し、早くも四日目である。

 パンを千切っては窓の桟に並べていた彼女に、この閉鎖空間で顔を合わせている時間が一番長い二人の青年が、物言いたげな視線を向けてくるが、凛子は気にもせず、その非生産的な行為を続ける。持っていたパンをすべて崩してしまうと、立ち上がり窓からだいぶ離れたところに椅子を持って移動し、並んでいるパンくずを眺める。

 鳥でもやってこないかと思っていたのだが、可愛らしい訪問者の訪れは一向に無い。

 そう、自分は籠の鳥だ。

 扉外の通路はどこまでもまっすぐに伸びているにも関わらず、歩けども歩けどもまるで魔法のように元の場所へ戻される。

 窓から身を乗り出して確認した建物の外観は、自分の居る部屋が角部屋であること。そして二階であることを示していた。それにも関わらず通路を歩いても階段らしき物にあたる事は無く、気がついたら寝台のある部屋の前に戻っている。

 寝台のある隣の部屋は洗面所と浴室。この階には二部屋しかないのだろうか。
 いや、そんな筈はない。

 ならば、この青年達はいったいどこからこの部屋にやってくるのだ。運ばれてくる料理はいつでも温かい。虜囚である自分が室内から出る事を制限されたり、うろうろ廊下を歩き回ることを制されることがないのは、此処が閉ざされた完璧な空間だからだと、無言の主張をしているように思えた。

 遠くから澄んだ歌声が響いていた。
 天に向かって枝葉を伸ばす木立の合間に見える蒼。
 落ちる木漏れ日の光。
 白の空間は夢のような檻。清潔で穏やかで憂いの色さえ曖昧にする監獄。

 だが、その微温湯のような空気が、一瞬にして変わる。

 白を塗りつぶしてしまう闇色。髪も瞳も身に纏う衣も漆黒の存在。
 胡乱な顔を窓外に向けていた凛子は、その色を視界の端に捕らえ弾かれた様に立ち上がった。
 警戒の色を顕わにする凛子に向かって、黒衣の男は目礼する。

 その異質の入室と同時に、二人の青年達が卓上を片付けていく。
 巨大な一枚板が室内へと運ばれてきた。黒衣の男が指示をし、それは床に置かれた。

 ディエルが顔を覗かせ、エイゼルもまた居た堪れなそうな表情を浮かべ入室してくる。給仕の青年達が入れ替わりに出て行き、扉が閉ざされた。

 三人の男と、唯一の女性である自分。
 想像もしたくない展開が、凛子の脳裏を過ぎる。

 そして、それは唐突に始まった。

 黒衣の男が、手を空に差し伸べ低い声で言葉を紡ぎ始める。
 それに倣うようディエルも左手を空に差し伸べる。
 二人の男によって紡がれる調べは、単純に美しい。
 韻を踏み、時に二重の音程へと別れ詠唱が続く。

 まるで白昼夢を見ているような感覚に陥る。
 こちらを見ることも無く二人の男は言葉を紡ぐ。
 凛子の緊張もやや解れ、好奇心が勝った瞬間だった。
 
 異様な光景に、あんぐりと口を開く。

 黒衣の男が床に置かれた板に向かって左手を下ろすと同時に、その掌に裂傷が走る。
 そして優美に手を差し伸べたディエルの掌にも同様の傷口が開き、鮮血が落とされた。

 しかし紡がれる調べは、止むことが無い。

 ――おかしい! この人たち絶対頭がおかしい!

 この状況に立たされ、漸く、心の底から身の危険を感じた凛子は、引ける腰に言うことを聞かせようと力をこめる。ずりずりと窓に向かって、足を動かす。脱出口はただひとつ、窓だ。しかし籠の鳥は、自らその籠を出ることはかなわない。エイゼルが、凛子の腰を浚う。

「ぎゃあああ――――」

 担がれ、詠唱を続ける男達の間、血まみれの板の上に荷物のように置かれる。

「いやあああ! 血っ! 血っ!!」

 後ろから自分を抱え込む力に抗おうと、もがくけれど、男の力には適わない。

 恐慌状態に陥った凛子に、更なる追い討ちがかかる。
 エイゼルに掴まれた手首に、裂傷が走った。

「――――なっ……!」

 痛みよりも、事実が凛子を打ちのめす。

 無理やり切り裂かれた肌。
 血塗れた床に転がる自分に対して、右側に白衣の男。左側に黒衣の男。背後にエイゼル。

「っ、ぎゃああああああああああああああああああああああああ」

 だがしかし、次の瞬間、凛子の耳に飛び込んできたのは、理解できる言葉だったのだ。

「ごめん! 本当にごめんねリィン!」

「ああ、これで会話が出来るね」

「その娘の口を塞いで下さい。私は寝不足なんです。頭に響きます」
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