扉の向こうの王子様~終電帰りの限界社畜OL、玄関のドアを開けたら異世界と繋がっていました
「閣下」

 通された来客に、サーシャは続けそうになった疑問の言葉を飲み込んだ。
 脳裏を過ぎるのは、幾度となく叡智の塔へ逃げ込むように足を運んでいた少年の姿。
 歓迎するように応接椅子に向かって手を差し出すと、長躯の男は鬱屈を巧みに隠す。

 王都に程近い学術都市クァルツから、南国境寄りの観光の街サルスェに、サーシャが移動したのは今から三年程前だ。
 自ら望んだものでは無く、聖王庁が統括している各地の教区を、司教たちが順に回るのは慣例である。
 一所に腰を据えすぎて、物を見る目が偏らないように、という方針からでもある。

 鉱輝石の嵌めこまれた作り付けの石台に純銀製のポットを置くと、ややして柔らかな湯気が立ち上がる。
 サーシャは久方ぶりに顔をあわせる男に、持て成しの茶を淹れてしまうと、カップを二つ卓に置き椅子をひいた。

「昨秋のリウケです」

 リウケは沈静効果を齎す葉で、医療にも用いられる。
 天然温泉の沸きあがるサルスェが、観光都市のみならず療養地として挙げられるのは、こういった野草の多くがサルスェの西。
 ゼリアス山脈の麓付近の森でしか手に入らないというのも理由のひとつだ。

「昨秋は霜が例年より早く降りたが、熟成に足りないほどでは無かったのだな」

 一口味わったシェイルは答える。
 世間話をしに来たわけではなかったのだが。

 聖域を流れる独特な空気に、責めたてられる様な気がしてシェイルは何か話題を探していた。
 しかし、これといった事が思いつかず、結局「変わりないか」と続けた。

「そうですね……変わらず、平穏ですよ。雪嵐もあと一度訪れれば、華の季節になるでしょう」

「ああ、昨日のは凄かった。ここに来る前にエイネの堤を見てきたのだが、あれならなんとか持ちそうだな。ゼレスの方はクァルツ支部隊総出で作業中だ」

「ええ、こちらは夕刻にはおさまりましたよ。王都はやはり荒れましたか」

 昨晩を思い浮かべ、シェイルは苦々しい表情になった。

「明け方まで。お陰で閉じ込められた。ようやく今抜け出せたって訳だ」

 シェイルの言葉にサーシャは笑みを零す。
 王都から離れているとは云え、どこからともなく噂話は届くのだ。
 
 確信に微妙に触れる話題だが、サーシャは先ほどまでここにいた娘の事を思い浮かべた。稀有な色を二つも身に纏う娘の事を。

 直後、シェイルが弾かれたようにその部屋を飛び出したのは、言うまでも無い。

< 44 / 218 >

この作品をシェア

pagetop