2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました
 流れ込む言葉の奔流は、後頭部を殴りつけられたような痛みを伴う。
 凛子は間抜け面で、滑らかに動く口をただ見ていた。

「隔離結界が保たれるのは、およそ半刻でしょう。ですからその間に交わされるすべての会話は記憶していただきたいのです。私はアゼリアス聖王国天文院長官。ラストゥーリャ・ハルス・ウル・シータと申します。

 世界における新観点、新発想を根幹となす魔術に関しては私の方が多少得手としておりますので、魔術院の彼等では無く私が此処に居るという事は、今、議論されるべき事ではありません。無論、貴女が、私では役不足と判断される場合、後日、三位以上の署名を持って再論議の申し立てを要求する事が可能です。

 またこれらの言葉は立会人であるアゼリアス聖王国聖王庁大司祭猊下によって保障されます。さて、貴女の名前はリィンで、宜しいでしょうか? 異界の方」

 圧迫面接もかくやという状況に、凛子の口はあいたまま塞がらない。

 一息に告げられた言にディエルは、ここ数日におけるラストゥーリャの心労に思いを遣りながらも、苦笑を禁じえない。

「聞こえていますか? 言葉が通じていないという訳では無いと思うのですが」

 ぺたりと血濡れの扉の上に座り込んだままの体制で固まっていた凛子は、訝しげに顔を覗き込まれ、漸く僅かに体を揺らす。

 長身の男が腰を落として、視線が近くなった。
 細められている瞳に侮蔑の色は無いが、友好的な色も無い。

 凛子は逡巡した後「あのう」と遠慮がちな声を出した。

 先生、質問です。といった具合に右手を挙げる。
 どの点が判らないのかを自身で理解してから質問に来なさい。と反対に怒られそうな気分にもなるが、目の前の男が吐いた台詞から、せめて自分にとって意味のある単語を拾い上げる。

「えーっと、私は……リィンと呼ばれて? 名乗っているけど、本名は高宮・凛子。高宮が家名って事になるのかな。凛子が名前で、こっちの人たちは発音し難いみたいだからリィンって事になった……みたいです」

 日本語をもってして、彼等に語りかけるのは、実に奇妙である。
 本当に自分の言葉が通じているのだろうか。内心で首を捻りながらも凛子は、のろのろと思いついた事から声に乗せていく。

「本当に私の言っていることが、そっちに理解して貰えているのか、実感ないんだけど……今、貴方の話した言葉は、確かに日本語に私には聞こえてる。これって、魔法だか魔術とかが使われたって事? あの、血をどぱーっとか……」

 そこまで言って、凛子は視線を落とした。
 身に着けている衣服に、幾つも血痕が飛んでいる。
 座り込んでいる板の上にも。
 両腕の傷は塞がっていてそういえば、全く痛みを感じていないが、如何せん見た目が悪い。血で汚れているのはこの場において、自分だけなのである。

「正直……なんだか……気持ち、」

 悪い。と続けようとして、凛子は言葉を飲み込む。ラストゥーリャが剣呑そうに目を光らせたような気がする。

「気持ちが……気分が、悪いみたい。そう! 体調不良! 女性は血の匂いに慣れているっていうけど、流石に他人様の血液振りかけられると……血に酔いました先生」

 顔を俯かせていたディエルが、小さく肩を揺らす。
 ラストゥーリャはいよいよ不機嫌を顔に張り付かせる。
 エイゼルは気配を殺したまま身動ぎしない。

「あのね、先生っていうか。先生ぽいなーって。えーっとシャールのお友達で上司な、らすとーりゃさんが貴方?」

「…………なるほど。まず、そこからですね…………」

 ついに、ディエルが堪えきれないといった様子で吹き出した。

 どこからも隔絶された空間を作り上げるのが隔離結界である。
 そしてその場は、予め、ある程度の定義付けをする事が出来る。

 以前、凛子が体験した場は、シェイルにとって――誰にも知られぬ誰も知らぬ――場。
 そして結界を閉じた彼を世話する他者が存在している事。
 その他者とは自分達と同類、若しくは近しい体内構造を持ち、音をもって意思疎通が可能な存在である事。
 閉じられた場は、他者の理に準ず。
 理に準じた時間は二昼夜の間結界を保持する。

 かつて黒き賢者が作り上げた扉には、そう定義された紋様術式が刻み込まれていた。

 シェイルは、魔術こそはないが、似たような社会構造の歴史を持つ世界の存在である凛子に配慮し「彼を世話する他者は、概ね自分よりも劣位にある」と定義されている部分を「衣食住の確保。命に関する保障」と告げた。

 同様の場をディエルも経験している。

 今、凛子が座り込んでいる一枚板は、かつてディエルが開いた扉である。

 一時的な物だが、彼女と会話を成立させる為に、ラストゥーリャがその一部分を書き換えた。

「あれなら三つとも保管庫で埃を被っていますよ」と、何食わぬ顔で言っていたが、十四年と云う長き年月を、黒き賢者は無駄にしなかったらしい。密やかに研究と解析を続けていたのでなければ、たかだか数日で、隔離結界を定義する術式を書き換える芸当など出来やしない。

 刻まれている紋様は簡潔ではあるが、非常に精微だった。

 隔離結界内の理を他者に委ねるのではなく、他者と共有する。
 これによって、意思疎通が可能な上、存在する他者の時間に委ねた結果の流れる時間差は、解消される。

 点の集合体が創り上げた世界は膨大であるという。膨大な数の異なる理があるのだ。
 それらは自然に交じり合うことは無く、それぞれの理において始まり終わる。

 だがしかし、この非常識な存在は、閉ざされた彼の箱庭に生きづき今もなお荒らしている。興味を覚えない訳が無い。理解したいとまでは思わないが、面白い。

「つまり……ここは魔術による隔離結界というものの中で、一時間……半刻しかそれは持たない。それが過ぎたら、今らくーに自動翻訳されてるのが出来なくなって、意思疎通が測れないって事……」

 膝を抱え、凛子は窓の向こうを見る。いつか見た黒い靄が流れている。
 淡々と語っていたラストゥーリャは小さく頷き、先を続ける。

「私達は、貴女の身に起こったこの世界への干渉について、その要因となるべく物を調査すべきと判断しております。また、異なる理を持つ存在が異なる理に於ける界に与える影響についての予測。その間貴女の協力と助力を要請致します。世界における異端である貴女が果たすべき責務と私は考えておりますが、天災ともいえる事象である事を考慮して……」

「しかもシャール知らないのか……」

「私の話、聞いていますか?」

「うーん。聞いてるような、聞いていないような、聞こえてはいますけど」

「…………」

 そう肩をすくめた凛子に、むっとした表情を浮かべるラストゥーリャを見て、ディエルは声を殺して笑う。自分達兄弟以外で、黒き賢者を黙らせる存在というのは、なかなか珍しい。

「ね、リィン。シャールってリィンの大切な人?」

 会話の行方を見守っていたディエルが、唐突に口を挟む。
 ラストゥーリャは余計な事を言うな、と眉を寄せる。

「いいじゃない少し位話聞いても。だって、この世界に来ちゃったリィンはトゥーリャと知り合いだっていうその男を探してたんでしょう?」

「大切っていうか……、ここがシャールの言ってた世界なんだーって思ったら、シャールに聞けばどうにかなるかなって。らすとーりゃさんは凄い魔術師だって言ってたし。帰り方判るかもしれないって思って」

「じゃあその凄い魔術師であるトゥーリャが目の前に居るなら無事解決なんじゃない?」

「解決……なのかな……」

「うん、だって、君はきっと帰れるよ。元の世界に」

「え、本当!?」

「トゥーリャは言葉を捏ね繰り回す癖があるけどね」

「猊下」

「君がちょっと協力してくれれば、帰れる方法もあるよって言いたかったみたいだよ。ね。トゥーリャ」

 そこで、隔絶された世界は、唐突に開かれた。
 滞留していた時間が流れ始める。

 リアス神を讃える賛美歌が、遠く。
 謳うように、ディエルは凛子に語りかける。

「帰るまでにはさ……きっと会えるよ。君の言うシャールに」

 しかし、凛子の耳に届く言葉はもはや彼女の知る言葉ではない。

 一瞬だけきょとんとした表情を浮かべた凛子だが、曖昧な顔で首を傾げる。

「それでは、本日の査問はここまでとす。なお、エイゼル・アンレイを天文院長官ラストゥーリャ・ハルス・ウル・シータの名において、天文院長官付き管理官と任命し、娘の監視役を命ず」

 すでに彫像と化していたエイゼルは突然任命された、中央執政官の役名を聞こうとも、やはり固まったまま動かない。

 ラストゥーリャはこめかみを指で押さえ、踵を返す。
 リアス聖教会大神殿の敷地内の右奥。
 大司祭の居住空間として整えられた建物は、やはり結界で閉ざされている。

 さらに、異界の娘が住まうあの部屋の周辺には、許可された者しか出入り出来ない結界が張り巡らされている。凛子自身は入ることは出来ても出ることが出来ないという定義付けが術式に施され、彼女は二重結界の檻の中に閉じ込められているのだ。

 背後からの足音にラストゥーリャは嫌味をこめた視線を持って、出迎える。

「貴方は……どうなさりたいんですか。あの娘を」

「そういう君も、どうしたいの?」

 飄々と、ディエルは応える。

「ま、研究馬鹿の君が少しでも長く手元においておきたいって考える気持ちは、判らないでもないよ。あれはなるほど、異質だ」

 軽く肩を叩き通り過ぎて行くディエルの背中に、愚痴のひとつでも零したかったが、ラストゥーリャは小さな溜息を一つ落とすだけに留まった。
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