彼は魅惑のバレリーノ
「あの、私はこれで。」

壁ドンしていた手が少し緩んだ瞬間、
私は向きを変えてドアノブに手を伸ばした。

その手を、すぐに掴まれる。

「逃げないで。」

耳元に落ちた声は、
低くて、甘くて、必死だった。

「俺のこと嫌い?
ねぇ、何言われた?」

ああ、もう。
逃げられない。

私はくるっと向き直った。

「矢野さんが、柊くんは人を自分の部屋には入れないって……
ご飯も作ってもらったことないって。」

「うん。」

「前に付き合ってた彼女とも一緒に住んでなかったって!」

「うん。」

「それって、自分の生活ペースを崩されたくないってことでしょ?
私、邪魔じゃん。」

「ちがう。」

「なんで?」

柊くんは一度、ゆっくり息を吸った。

「確かに昔の俺は、自分のテリトリーに人を入れない。
だからと言って今の俺だってどうでもいい人を部屋に入れるほど、優しいやつじゃない。」

「え?」

「付き合ってた彼女はいたけど……
それよりも自分のことが優先だった。
バレエに本気で向き合ってた時期だし、
相手もそれをわかってたと思ってる。同業者だったし。」

「それって……あの綺麗な人?」

「うん。天音と……二年かな。」

「そっか。
その綺麗な人がね。
“貴女とは住む世界が違う”って……言ってた。」

柊くんの表情が、はっきり変わった。

「……なにそれ。」

低くて、怒りを押し殺した声。

その一言に、
胸がドクンと跳ねた。
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