亡者逃走中 in 現世
「全く……こんな茶番を見せられているこっちの身にもなってよ」
「……ハイ」
都市くんは額を押さえながら、小さく返事をした。
そんな微妙な空気を思い切りぶった切るように、宋が突拍子もない声を上げた。
「ねぇねぇ、ふと思ったんだけどさ。何でオムライスはオムライスなの?」
宋はローテーブルの横で、完全にリラックスして膝の上でごろんと仰向けになっているオムライスの腹を、両手でわしゃわしゃと無邪気に撫でながら言った。
撫でられているオムライスは、気持ちよさそうに目を細め、短いしっぽをぱたぱたとフローリングの床に打ちつけて喜んでいる。
「オムライスはオムライスだろう」
「いや、そういう意味じゃなくて……何でオムライスって名前にしたの?」
「そういうことか」
しょーくんは納得したように頷いた。
「それはねぇ……」
その言葉を聞いた瞬間、私はふと、オムライスと初めて出会った日のことを思い出した。
確か―――明治の頃だったと思う。
***
その日、私はとにかく退屈していた。
遠くの庭の方からは、「こら!また壁に落書きして!」と怒る閻魔の声と、そこから何やらイタズラを仕掛けようとして盛大に返り討ちに遭っている宋と都市くんの情けない悲鳴が微かに聞こえてくる。
今日の分の審判を早々に終えてしまった私は、特にやることも見つけられず、ひんやりとした板張りの長い廊下をふらふらと当てもなく歩いていた。
行き着いた先で、勢いよく(ふすま)を開ける。
「しょーくん遊ぼ!」
中にいた彼は、本棚の前でしゃがみ込み、和綴(わと)じの書物を次々と引き抜いては畳の上に積み上げていた。
「帰れ」
「何してるの?」
「人の話を聞け!」
部屋の中には(すみ)と紙の匂いがほのかに漂っている。
彼の周りに散らばっている本は、どれも漢字ばかりで難しそうで、見ているだけで頭が痛くなりそうだった。
(勉強熱心だね〜……!)
「……閻魔帳がどっかいった」
「え!?」
本を一冊ずつバサバサと確認しながら、「これでもない、あれでもない……」と珍しく本気で落ち込んでいる。
いつもは冷静沈着なしょーくんだが、本の扱いが少し乱暴で、いつもより心の余裕がまったくないのが一目で分かった。
あの真面目な彼が、最重要機密である閻魔帳を無くすなんて一大事だ。
「しょーくん、私も手伝う!」
「いいよ、帰れよ」
突っぱねられてしまったが、大量の本の中からお目当ての一冊を見つけるのは、そう容易なことじゃない。
それから一時間くらい、二人で部屋中をひっくり返すように探し回った。
重い書物の山をどけ、棚の怪しい裏側を覗き、文机(ふづくえ)の下に潜り込んでまで探して―――気づけば、いつもは完璧に整っていた彼の自室は、すっかり足の踏み場もないほど散らかっていた。
「ないねー」
「うん」
​畳の上に力なく座り込み、天井まで届きそうな本の山を見上げながら、二人で同時に深いため息をつく。
「もういい。閻魔に事情を話して新しいの作ってもらう」
「怒られるよ」
「秦や宋じゃあるまいし、日頃の行いが良いからそんな怒られないだろう」
「私より宋くんの方が怒られてるよ」
「いや、どっちも同じくらいだろ」
​そんな軽口を叩き合っているうちに、私はハッと思い出した。
そういえば昨日、この部屋にみんなで集まって、閻魔が買ってきてくれた現世のお菓子を広げて大騒ぎしていたっけ。
「あっ、しょーくん。昨日ここにお菓子こぼしたよね」
「え?……あ。思い出した。こぼしたのは秦だけど」
​しょーくんがじとーっとした、冷たい目で私を睨みつけてくる。
「あはは、そうだっけ〜?」
​私は口笛を吹くように、ぷいっと不自然に顔を背けたその時だった。ガサッと、部屋の隅に積まれた書類の陰で、何かが確かに動いたような気がした。
その正体は犬だった。
「犬……?」
「さっき拾ったんだよ。事故で死んだらしくて……前世は野良犬だったらしいんだ」
初江王はその犬のところへ駆け寄ると、「あっ!」と声を上げる。
「どうしたの?」
「あった!閻魔帳があった!!」
なんと、犬のお腹の下に、綺麗に包まれるような形で閻魔帳が敷かれていた。どうやら昨日こぼしたお菓子の甘い匂いに釣られて、この子が閻魔帳をキープしていたらしい。
そりゃあ、いくら棚を探しても出てこない訳だ……。
「ねーねー、しょーくん。この子の名前どうするの?」
「名前?」
「うん!」
しょーくんはうーんと腕を組み、真剣な顔で考え始める。現世の知識も豊富な彼なら、さぞハイカラな名前をつけるのだろうと期待して待っていると――。
「しぐれ煮……湯豆腐……佃煮(つくだに)……いなり寿司」
彼の口からボソボソと呟かれる単語が、すべて犬の名前候補だと気づいた瞬間、私の全身にぶわっと鳥肌が立った。
「しょーくん……?」
「よし、決めた」
私の引きつった声など耳に入っていない様子で、しょーくんが拳を握る。名前を呼ばれるのを察したのか、犬の黒い鼻がぴくりと動いた。
「今日からお前は――オムライスだ」
「しょーくん、オムライスって何?」
「前に人道に連れて行ってもらった時、食べて美味しかった料理だ」
「えー良いなぁ〜!私も行きたい行きたい!」
あまりの羨ましさに、私は畳の上をごろごろと転がりながら子供のように駄々をこねた。
「何でしょーくんだけ連れて行ってもらったの?」
「ちゃんと審判したからって閻魔は言ってた。秦もちゃんと審判したら連れて行ってくれるんじゃないか?」
「……がんばる」
犬──いや、“オムライス”になってしまった犬はぽかんとした顔でこちらを見上げていた。
「オムライス、おいで」
しょーくんが手招きをする。
犬は一瞬きょとんとしてから、とことこ歩いてきてしょーくんの足元に座った。
その仕草が妙に素直で、 しょーくんはほんの少しだけ目を見開く。
「……ちゃんと座れるじゃないか」
その足元で、オムライスは誇らしげに胸を張っている……ように見えた。
しっぽがぱたぱたと忙しなく揺れている。
「可愛い〜!」
私は我慢できずに思わずしゃがみ込み、その小さな頭を撫で回した。
ふわっと温かい、生きている時と変わらない生命の感触が、手のひらを通じて伝わってきた。
***
「―――って訳!」
​私がそこまで一気に話し終えると、部屋にいた全員の視線が、一斉にしょーくんへと突き刺さった。
「お前のネーミングセンスヤバすぎだろ」
「オムライス、良かったね。一歩間違えたら『しぐれ煮』とか『佃煮』とか、渋すぎる名前になってたんだよ……」
「いや、オムライスも大概でしょ」
「なるほど、だからオムライスですか……ってなる訳ないでしょう!」
好き勝手言われる中、オムライスは気にした様子もなく、 しょーくんの足元でごろんと転がった。
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