愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 日々執刀医として脳を休める暇のない瑞樹さんが、少しでも脳の昂ぶりを中和してくれたらいい。
 そんな思いで彼に知らせると、最初こそよくわからないようだったが、今はこの香りを気に入ってくれたようだ。
 彼はいつも就寝前にここに来て、タブレット端末を見たり分厚い医学書を読んだりしている。

 私はふたつの香りが優しく部屋を包んだことを確認して火を消し、ウェルネススペースを出た。彼の邪魔をしてはいけない。

 しばらくすると、ウェルネススペースに彼が入ってきたのがベッドルームの小窓から見えた。彼は今日もそこにあるソファに腰かけ、難しい顔をしてタブレットを覗いている。

 だが彼はこの後、ベッドルームには来ない。父が用意したクイーンサイズのベッドで眠るのは私ひとりで、彼はいつも書斎で寝ている。
 それが彼の望むことなら、それがきっと私たちの正解なのだろうと思う。

 彼はいつもと変わらない。いつもと同じだからこそ、実感もない。

 だけど今日、私はこの人の妻になった。明日、結婚式がある。その事実は変わらない。

 私が風呂から上がると、もうウェルネススペースに彼の姿はなかった。

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