愛に目覚めた冷徹孤高の心臓外科医は、政略結婚妻を離さない ――旦那様、この結婚は契約ですよね?
 望田製薬の三男として生まれた俺は、円満とは言い難い家庭で育った。父と母の仲は冷え切っていたし、歳の離れたふたりの兄は勉学以外に興味がないのではないかと思うほど、ずっと机に向かっていた。

 先代から引き継いだ会社をさらに大きくすることしか脳にない父は、家庭を顧みない。母は大企業の妻としての役割をこなしつつも、家政婦同然の扱いを受けていた。

 俺が中学生の時。母は心の病を患い、外に出ることができなくなってしまった。母は部屋にこもりがちになり、この頃から、俺は母に会うことは少なくなった。

 高校生になり、俺は兄たちは父と同じように、望田製薬の成長にその身を捧げるべく勉学に励んだ。
 上の兄は父から経営を学ぶのに忙しく、下の兄は新薬の研究で家に居ない日々。部屋にこもりがちな母の気に触れないようにと、俺は自分の部屋で静かに勉強をして過ごすことが多かった。

 この頃には、母の心の病はやや落ち着いており、何度か自宅内で顔を合わせることはあった。だが、俺のちょっとした発言でも、彼女はヒステリーを起こすことがある。だから、話かけられれば相槌を打つ程度で、それ以上のことはできなかった。
 望田製薬の薬は優秀で、年間何万人もの命を救っている。それを俺も誇りに思っていたから、望田製薬の人間として薬学の道に進むことに、なんの疑問もなかった。

 そんな、ある日のこと。
 兄たちに追いつくべく部屋で勉強をしていた俺は、喉が渇いて自宅のキッチンへと向かった。そこで目にした光景に、狼狽した。

『母さん!』

 ついそう叫んでしまったのは、母が苦しそうに床に座り込んでいたからだ。

 母は噛みつくぞと言わんばかりの顔で俺を睨む。一瞬怯んだが、それでも俺は母のもとへ急いだ。
 罵られても、暴れられても、そのほうがいいと思った。子どもながらに、母の危機を感じ取ったのかもしれない。

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