【野暮令嬢】と侮った皆様、覚悟はよろしいかしら?
命名:【常春の君】
ヘンリクの帰還から一夜明け、私はいつも通り朝の支度をしてもらうと、朝食のために部屋を出た。朝食の時間は一日のスケジュールの確認と指示のため、大人数での移動となる。
筆頭侍女、豪商ネルソン商会長の娘クロエ率いる専属侍女は彼女を含めて総勢五人。バーナム子爵家のセーラ、短剣の扱いに長け護衛を兼ねるミューラー男爵家の双子の姉妹グレーテルとヘルミーネに、調整能力に非常な才能を見せるボルシュ男爵家のヒルデガルドは秘書を兼務している。
そして、妹のセーラの出勤と共にやって来るバーナム子爵子息セインと、侯爵夫人の執務補佐のために執事長が付けてくれた執事が二人、パーゼマン子爵家のアダムと、オルツマン男爵家のロルフという顔ぶれだ。
私は密かに彼らを【最強クルー】と呼んでいる。
今日も彼らと共に和やかに言葉を交わしながら廊下を移動し、食堂に足を踏み入れたと同時に、思わぬ人物から声を掛けられた。
「おはよう……」
声のした方に顔を向けると、食堂の一番奥にある主人の席にヘンリクが座っている。昨日のうちにハンナの邸に行ったとばかり思っていたので驚いたが、それを顔には出さず、軽く膝を折ってにこやかに返事をした。
「おはようございます。ヴィッセル侯爵閣下」
その言葉に、「ああ、おはよう……」と言いながら執事長に目配せするも、執事長は前を向いたまま応じようとしない。察するに、私の名前を思い出せないのだろう。
いや、そもそも知らないのかも知れない。
『そう言えば、昨日【野暮令嬢】って連呼してたわね。もうそれで良いわ』
魂の声で結論付けると、笑顔と共に優しい声で答えてあげた。
「私の事は、今まで通り【野暮令嬢】とお呼び頂いて結構ですよ」
その言葉に、ヘンリクは持っていたフォークとナイフを取り落した様で、カシャンと食器に当たる高い音がした。
『昨日も羽ペンを落としていたわよね。手の筋肉が弱いのかしら?』
取り巻く人数が多く出入りも頻繁なため、私は食堂の出入口の一番近くにある末席を自分の場所と決めている。遥か遠く離れた主人の席に座るヘンリクと会話するには、割と声を張らないといけないから面倒だなと思っていたが、向こうから話しかけてくる気配はないようだ。
気を取り直し、私はクルーたちと朝のルーティーンに入った。
二人の執事へ侯爵夫人の執務の報告を受けて指示を出し、サインと確認が必要なものは後で部屋に届けるように伝えると、メモを取った二人は食堂を後にした。
セインには、国内で出版した本の内容を近隣四ヶ国に翻訳した原稿を渡して、それぞれ校正の際の要望や注意点を伝えて送り出す。
入れ替わりにやって来た執事見習いが捧げ持つ銀の盆にはいくつかの手紙が載っており、中を確認してセーラに渡し、返事の指示を出した。字の美しいセーラには手紙の代筆を頼んでいる。
そして最後の一通を手に取り、ゆっくり丁寧に開いた。懐かしい癖のある文字が並ぶ様子に思わず笑みがこぼれる。そこには、昨日依頼した夜会のエスコートの承諾に続き、明日オープンする美術館へのお誘いの言葉が綴られていた。
「バルテス前公爵閣下からエスコートの承諾を頂いたわ。それに、うふふ、明日、美術館へデートのお誘いよ」
私がそう言ってクロエとヒルデガルドに笑顔を向けると、シゴデキ女子の二人はすぐに行動を開始した。
「すぐにネルソン商会に連絡して、今日中にターコイズブルーのお衣装とアクセサリーを揃えます。バルテス公爵家には、夜会当日のドレスとアクセサリーのリストを揃えてお届けしますが、サッシュはバルテス家のお色のネイビーで作成するとお伝えしてよろしいですか?」
クロエの言葉に、「ええ、それでお願いね」と伝えると、彼女はメイドにメモを渡してネルソン商会へ届けるように指示した。
スケジュール帳を確認していたヒルデガルドは、補佐の執事を呼んで明日以降の予定を調整していた。
「書類のお仕事は、今日へ繰り上げ出来るものと、明後日以降に変更できるものを確認して貰っています。明日は一日、心置きなくお出かけをお楽しみください」
そう言ったヒルデガルドに笑顔を返し、ありがとうと伝えると、グレーテルとヘルミーネに声を掛けた。
「明日はよろしくね。頼りにしているわ」
そう言うと、二人は胸に手を当てて嬉しそうに「はい!」と返事をしてくれた。一通りの確認が終ったので席を立ち、ヘンリクに向かって軽く膝を折って退出しようとした時、彼が声を掛けて来た。
「我がヴィッセル侯爵家の伝統色はボルドーだ。ウェーバー公爵家のターコイズブルーを身に纏う理由を聞きたい」
私はヘンリクの後ろに従う執事長に一瞬視線を向け、ヘンリクに視線を戻すと、口元だけに笑みを浮かべてその問いに答えた。
「ヴィッセル侯爵閣下の仰る「侯爵夫人としての最低限の待遇」には予算が含まれておりませんでしょう? それに、この度の夜会で第二夫人と周知されるご予定のハンナ様のお衣装は、正妻にしか許されていない伝統色のボルドーで既に作成済とか。それは即ち、私にヴィッセル侯爵夫人としての行動は許さないということに他なりませんが?」
執事長は、真っ青な顔で振り返ったヘンリクに首を振って答えた。
「今まで侯爵夫人の予算は全てハンナ様に割り当てられておりました。今期の予算は既にほとんど残っておりませんし、ご結婚に当たって新たな予算も組まれてはおりません。奥様ご自身の資産に頼るしかない状況下では、ウェーバー女公爵たる奥様の伝統色を纏うのは致し方のないことです」
ヘンリクは、押し付けられた忌々しい結婚に際しての準備などするつもりはなく、実際、必要な事さえ一切していなかった事実を突きつけられて何も言えなかった。
それよりも、今度の夜会で第二夫人として紹介すると伝えたハンナが、とても喜んで衣装を依頼したことは知っていたが、まさか伝統色のボルドーで作成したなど夢にも思っていなかった。
王宮の夜会と言う公の場で、凋落の憂き目にあったとはいえ、最古参のウェーバー公爵家の女当主に対して、現段階で男爵令嬢でしかないハンナがとてつもない非礼を働く状況になるのだ。そしてそれを許し、その隣に立つ自分も共に、周囲から厳しい目を向けられる事は疑いの余地はない。そして、もう一つ気付いたことがある。
「もしかして、夜会の衣装もウェーバー公爵家の色なのか……」
ヘンリクのその呟きに、私は笑顔のまま答えた。
「ええ、昨日ご報告しました通り、招待状の返事はウェーバー女公爵の名で出しておりますから」
そう言って首を少しかしげて笑顔で会釈をし、食堂を後にした。
ヘンリクは、昨日、自分とハンナの名で招待状の返事を出したことを思い出した。
正妻と発表されたにもかかわらず、婚家の色を纏っていないウェーバー公爵家当主とバルテス前公爵が並び立つ前で、第二夫人とそろいのボルドーの衣装を着た自分とハンナが、周囲の冷たい目に晒されながら小さくなっている場面が脳裏に広がった。
今から出席を取り消す事は出来ないし、侯爵夫人の予算を捻出したところで、今から格式に沿ったドレスの作成はとても間に合わない。もしも間に合ったところで、着てくれる気がしない。
どうあれ、ハンナにはボルドーを着る事を禁じなくてはならない。
ヘンリクは、なぜこんなことになってしまったのかと悲嘆に暮れながら、一目惚れをしてしまった妻の後姿を切ない表情で見送っていた。
◆◆◆
一方、食堂を後にした私は、部屋への移動中に、この成り行きのシナリオだと思った物語を思い出していた。
『やはり物語は、大まかな流れをなぞった断片的なイベントの抜粋でしかないいうことね。現実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだわ。ハンナさんは今のところ奔放だという話は聞かないし、私だって、途中経過がどうあれ、「今まで本当に苦労をして来たんだね。頑張ってきた君に私の心からの愛を捧げ、世界で一番幸せにすると誓うよ」なーんて、頭の中は春真っ盛りです! みたいな軽いセリフで絆されたりしないもの。そうだわ! ヘンリクの事は【常春の君】(頭の中が)と命名しましょ! それにしても物語のヴィクトリア、チョロ過ぎない?』
などと、魂の声でぶつぶつと呟きながら黙々と移動する私を、クルーたちが痛々しく眺めていたことを知ったのは、部屋に戻ってからだった。
心配をかけてしまってごめんなさいね。
筆頭侍女、豪商ネルソン商会長の娘クロエ率いる専属侍女は彼女を含めて総勢五人。バーナム子爵家のセーラ、短剣の扱いに長け護衛を兼ねるミューラー男爵家の双子の姉妹グレーテルとヘルミーネに、調整能力に非常な才能を見せるボルシュ男爵家のヒルデガルドは秘書を兼務している。
そして、妹のセーラの出勤と共にやって来るバーナム子爵子息セインと、侯爵夫人の執務補佐のために執事長が付けてくれた執事が二人、パーゼマン子爵家のアダムと、オルツマン男爵家のロルフという顔ぶれだ。
私は密かに彼らを【最強クルー】と呼んでいる。
今日も彼らと共に和やかに言葉を交わしながら廊下を移動し、食堂に足を踏み入れたと同時に、思わぬ人物から声を掛けられた。
「おはよう……」
声のした方に顔を向けると、食堂の一番奥にある主人の席にヘンリクが座っている。昨日のうちにハンナの邸に行ったとばかり思っていたので驚いたが、それを顔には出さず、軽く膝を折ってにこやかに返事をした。
「おはようございます。ヴィッセル侯爵閣下」
その言葉に、「ああ、おはよう……」と言いながら執事長に目配せするも、執事長は前を向いたまま応じようとしない。察するに、私の名前を思い出せないのだろう。
いや、そもそも知らないのかも知れない。
『そう言えば、昨日【野暮令嬢】って連呼してたわね。もうそれで良いわ』
魂の声で結論付けると、笑顔と共に優しい声で答えてあげた。
「私の事は、今まで通り【野暮令嬢】とお呼び頂いて結構ですよ」
その言葉に、ヘンリクは持っていたフォークとナイフを取り落した様で、カシャンと食器に当たる高い音がした。
『昨日も羽ペンを落としていたわよね。手の筋肉が弱いのかしら?』
取り巻く人数が多く出入りも頻繁なため、私は食堂の出入口の一番近くにある末席を自分の場所と決めている。遥か遠く離れた主人の席に座るヘンリクと会話するには、割と声を張らないといけないから面倒だなと思っていたが、向こうから話しかけてくる気配はないようだ。
気を取り直し、私はクルーたちと朝のルーティーンに入った。
二人の執事へ侯爵夫人の執務の報告を受けて指示を出し、サインと確認が必要なものは後で部屋に届けるように伝えると、メモを取った二人は食堂を後にした。
セインには、国内で出版した本の内容を近隣四ヶ国に翻訳した原稿を渡して、それぞれ校正の際の要望や注意点を伝えて送り出す。
入れ替わりにやって来た執事見習いが捧げ持つ銀の盆にはいくつかの手紙が載っており、中を確認してセーラに渡し、返事の指示を出した。字の美しいセーラには手紙の代筆を頼んでいる。
そして最後の一通を手に取り、ゆっくり丁寧に開いた。懐かしい癖のある文字が並ぶ様子に思わず笑みがこぼれる。そこには、昨日依頼した夜会のエスコートの承諾に続き、明日オープンする美術館へのお誘いの言葉が綴られていた。
「バルテス前公爵閣下からエスコートの承諾を頂いたわ。それに、うふふ、明日、美術館へデートのお誘いよ」
私がそう言ってクロエとヒルデガルドに笑顔を向けると、シゴデキ女子の二人はすぐに行動を開始した。
「すぐにネルソン商会に連絡して、今日中にターコイズブルーのお衣装とアクセサリーを揃えます。バルテス公爵家には、夜会当日のドレスとアクセサリーのリストを揃えてお届けしますが、サッシュはバルテス家のお色のネイビーで作成するとお伝えしてよろしいですか?」
クロエの言葉に、「ええ、それでお願いね」と伝えると、彼女はメイドにメモを渡してネルソン商会へ届けるように指示した。
スケジュール帳を確認していたヒルデガルドは、補佐の執事を呼んで明日以降の予定を調整していた。
「書類のお仕事は、今日へ繰り上げ出来るものと、明後日以降に変更できるものを確認して貰っています。明日は一日、心置きなくお出かけをお楽しみください」
そう言ったヒルデガルドに笑顔を返し、ありがとうと伝えると、グレーテルとヘルミーネに声を掛けた。
「明日はよろしくね。頼りにしているわ」
そう言うと、二人は胸に手を当てて嬉しそうに「はい!」と返事をしてくれた。一通りの確認が終ったので席を立ち、ヘンリクに向かって軽く膝を折って退出しようとした時、彼が声を掛けて来た。
「我がヴィッセル侯爵家の伝統色はボルドーだ。ウェーバー公爵家のターコイズブルーを身に纏う理由を聞きたい」
私はヘンリクの後ろに従う執事長に一瞬視線を向け、ヘンリクに視線を戻すと、口元だけに笑みを浮かべてその問いに答えた。
「ヴィッセル侯爵閣下の仰る「侯爵夫人としての最低限の待遇」には予算が含まれておりませんでしょう? それに、この度の夜会で第二夫人と周知されるご予定のハンナ様のお衣装は、正妻にしか許されていない伝統色のボルドーで既に作成済とか。それは即ち、私にヴィッセル侯爵夫人としての行動は許さないということに他なりませんが?」
執事長は、真っ青な顔で振り返ったヘンリクに首を振って答えた。
「今まで侯爵夫人の予算は全てハンナ様に割り当てられておりました。今期の予算は既にほとんど残っておりませんし、ご結婚に当たって新たな予算も組まれてはおりません。奥様ご自身の資産に頼るしかない状況下では、ウェーバー女公爵たる奥様の伝統色を纏うのは致し方のないことです」
ヘンリクは、押し付けられた忌々しい結婚に際しての準備などするつもりはなく、実際、必要な事さえ一切していなかった事実を突きつけられて何も言えなかった。
それよりも、今度の夜会で第二夫人として紹介すると伝えたハンナが、とても喜んで衣装を依頼したことは知っていたが、まさか伝統色のボルドーで作成したなど夢にも思っていなかった。
王宮の夜会と言う公の場で、凋落の憂き目にあったとはいえ、最古参のウェーバー公爵家の女当主に対して、現段階で男爵令嬢でしかないハンナがとてつもない非礼を働く状況になるのだ。そしてそれを許し、その隣に立つ自分も共に、周囲から厳しい目を向けられる事は疑いの余地はない。そして、もう一つ気付いたことがある。
「もしかして、夜会の衣装もウェーバー公爵家の色なのか……」
ヘンリクのその呟きに、私は笑顔のまま答えた。
「ええ、昨日ご報告しました通り、招待状の返事はウェーバー女公爵の名で出しておりますから」
そう言って首を少しかしげて笑顔で会釈をし、食堂を後にした。
ヘンリクは、昨日、自分とハンナの名で招待状の返事を出したことを思い出した。
正妻と発表されたにもかかわらず、婚家の色を纏っていないウェーバー公爵家当主とバルテス前公爵が並び立つ前で、第二夫人とそろいのボルドーの衣装を着た自分とハンナが、周囲の冷たい目に晒されながら小さくなっている場面が脳裏に広がった。
今から出席を取り消す事は出来ないし、侯爵夫人の予算を捻出したところで、今から格式に沿ったドレスの作成はとても間に合わない。もしも間に合ったところで、着てくれる気がしない。
どうあれ、ハンナにはボルドーを着る事を禁じなくてはならない。
ヘンリクは、なぜこんなことになってしまったのかと悲嘆に暮れながら、一目惚れをしてしまった妻の後姿を切ない表情で見送っていた。
◆◆◆
一方、食堂を後にした私は、部屋への移動中に、この成り行きのシナリオだと思った物語を思い出していた。
『やはり物語は、大まかな流れをなぞった断片的なイベントの抜粋でしかないいうことね。現実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだわ。ハンナさんは今のところ奔放だという話は聞かないし、私だって、途中経過がどうあれ、「今まで本当に苦労をして来たんだね。頑張ってきた君に私の心からの愛を捧げ、世界で一番幸せにすると誓うよ」なーんて、頭の中は春真っ盛りです! みたいな軽いセリフで絆されたりしないもの。そうだわ! ヘンリクの事は【常春の君】(頭の中が)と命名しましょ! それにしても物語のヴィクトリア、チョロ過ぎない?』
などと、魂の声でぶつぶつと呟きながら黙々と移動する私を、クルーたちが痛々しく眺めていたことを知ったのは、部屋に戻ってからだった。
心配をかけてしまってごめんなさいね。