『塵を抱き、塵を払う』― 業とともに生きた半世紀 ―
第十一章 業とともに生きる
比叡山の朝は、静かだ。
風の音も、鳥の声も、すべてが遠くで響く。
山の空気は冷たく、澄みきっていて、まるで人の心の奥底をそのまま映し出す鏡のようだった。

彼は、毎年必ずこの山に戻ってくる。

高野山の阿闍梨との仏縁、比叡山千日回峰行大阿闍梨との出会い、
そして「涓塵会」の活動――
それらはすべて、彼の人生が“精神の道”へと向かう必然だった。

山に入るたび、彼は自分の過去と向き合う。
今までの人生のすべてが、彼の中で“業”として静かに積み重なっていた。
だが、彼は言う。

「後悔はない」

それは強がりではない。
本心だった。
過去のどの瞬間も、
どの選択も、どの痛みも、今の自分を形づくるために必要だった。

そして、彼は続ける。

「苦労もない」

人はよく「苦労した」と言う。
だが彼にとって、苦労とは“避けたいもの”ではなく、“生きるための燃料”だった。
苦しみも、挫折も、裏切りも、すべてが彼を前へ押し出した。

では、何が残ったのか。
彼は静かに笑う。

「あるのは未練、そして欲だ」

未練――
それは、まだやり残したことがあるという証。
もっと良くなりたい、もっと深く知りたい、もっと遠くへ行きたい。
その想いが、彼を山へと向かわせる。

欲――
それは、ただの物欲ではない。
“生きたい”という強烈な生命力。
“もっと成長したい”という渇望。
“人の役に立ちたい”という願い。

それらはすべて、彼の中で静かに燃え続けている。
比叡山の冷たい空気を吸い込みながら、彼は思う。

――俺はまだ終わっていない。

人生は、何度でもやり直せる。
何度でも立ち上がれる。
そして、何度でも変われる。

彼は今日も山を歩く。
過去の業を抱えながら、それでも前へ進むために。

その背中は、かつて憧れた鉄道運転士であった亡き父の背中と同じように、まっすぐで、力強かった。
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