アンケート ― 選ばないという選択 ―

第52話 ログの外側

有栖川が戻ってきたのは、十分ほど後だった。

「翔さんから連絡がありました」と有栖川は言った。「ユリさんの消息については、まだ分かっていません。ただ——」有栖川が少し間を置いた。「Aラインの最新アクセスが、今朝六時にありました」

ミオが顔を上げた。

「久坂さんですか」と美佳は言った。

「分かりません。でも翔さんは、アクセス元の端末が昨夜とは別のものだと言っています」

倉庫の中が静かになった。

ミオが「別の端末」と小さく繰り返した。独り言のような声だった。

「心当たりがありますか」と美佳は聞いた。

「久坂さん以外にAラインを使える人間は、いないはずです」ミオは言った。「設計した私と、久坂さんだけが知っている経路なので」

「はずです、というのは」

「久坂さんが誰かに渡した可能性があります」ミオは膝の上の手を、ゆっくり握った。

「あの人は、必要だと判断したら渡す人です」

美佳は有栖川を見た。有栖川が小さく頷いた。

「少し整理させてください」と美佳は言った。ミオに向けて、でも自分自身に向けても言っていた。

「LAPISは止まっていない」

「正確には」とミオが引き取った。「表層は止まっています。でも私が知らない経路で、誰かが深層を動かし続けています」

「その誰かは久坂さんか、久坂さんが渡した人間」

「はい」

「@LAPIS_echoも、共感ボタンも、ユリへの接触も──全部その延長線上にある」
ミオが頷いた。

美佳は少し考えた。「久坂さんは昨夜、設計図のデバイスを置いていきました。止めてほしいという意味だと受け取りました」

「そうだと思います」

「でも今朝、別の端末からAラインにアクセスがあった」

「はい」

「それは矛盾しませんか」

ミオが静かに答えた。「久坂さんは、自分では止められなかったんだと思います。だからあなたに渡した」

美佳はその言葉を、すぐには返さなかった。

有栖川が「一つ確認していいですか」と言った。ミオに向けていた。

「ミオさんは今、このサーバーにアクセスできる状態ですか」

「できます」

「Bラインから」

「はい。ただ──」ミオは少し言いにくそうにした。「私のアクセスでできることは限られています。設計したのは私ですが、久坂さんがその後に改修を重ねていて、私の知らない構造が増えています」

「止めることは」

「全部は止められません」とミオは言った。迷わずに言った。「私が設計した部分だけなら、落とせます。でも久坂さんが加えた部分は、触れない」

「どのくらいの割合ですか」

「今の状態で言えば──」ミオは少し目を閉じた。「三分の一くらいです。私が落とせるのは」

有栖川が「三分の一」と繰り返した。確認するように。

「共感ボタンの収束機能は、久坂さんが加えた部分です」とミオは言った。「個別生成のDMも。私が落とせるのは、最初の選択ログの収集部分と、基本的な接続経路です」
美佳は「それでも落とした方がいいですか」と聞いた。

ミオが美佳を見た。

「あなたが決めることだと思います」とミオは言った。

「なぜ私が」

「久坂さんがそう判断したからだと思いま
す。あなたに渡した」

「それはあなたの判断ではないですね」
ミオが少し黙った。「そうですね」とミオは言った。「私の判断は──落とした方がいいと思っています。三分の一でも」

「理由は」

「残りの三分の二が動き続けるとしても、最初の接続経路が消えれば、新しい端末を引き込む入口が一つ減ります。ユリさんのような人が、これ以上増えにくくなる」

美佳は頷いた。それは分かった。

「少し外に出てもいいですか」と美佳は有栖川に言った。

二人で倉庫の外に出た。シャッターを少し下ろして、ミオに聞こえない距離を作った。

海が見えた。曇った空の下、灰色の水面が広がっていた。波が低く、静かだった。

「有栖川さんはどう思いますか」と美佳は言った。

「ミオさんのことを信じていいかどうか、ということですか」

「それもあります。でも、今決めていいかどうか、ということです」

有栖川がしばらく海を見ていた。「翔さんにもう少し調べてもらった方が、確実ではあります」と有栖川は言った。「ただ──」

「ただ」

「Aラインの別端末からのアクセスが今朝あったとすれば、待てる時間がどのくらいあるか分かりません」

美佳は海を見た。

「ユリが心配です」と美佳は言った。それだけを言った。

「私もです」と有栖川は答えた。

倉庫に戻ると、ミオが立っていた。さっきまで座っていた場所から、少し移動していた。

壁際の棚の前に立って、何かを見ていた。

「これ」とミオが言った。

棚の上に、一冊のノートがあった。

美佳はすぐに分かった。「ユリのノートですか」

「違います」とミオは言った。「私のです」
美佳はミオの隣に立った。ノートは古かった。表紙が日焼けして、角が擦れていた。

「ここに置いていたんですか」

「以前、少しここを使っていた時期があります」とミオは言った。「置いたまま、忘れていました」

「見てもいいですか」

ミオが少し間を置いて、「どうぞ」と言った。

美佳がノートを手に取って開いた。最初のページに、日付があった。六年前。

文字は小さく、几帳面で、でも行と行の間が狭すぎた。急いで書いたのではなく、紙が足りないと思いながら書いていたような密度だった。

内容は問いだった。問いだけだった。

今日選んだことは、明日の自分が選んだことになりますか。

正しいと思ってしたことが間違っていたとき、正しいと思った気持ちはどこに行きますか。

誰かに影響を与えることと、誰かを変えることは、どう違いますか。

美佳はゆっくりページをめくった。問いが続いていた。答えは一行もなかった。

「これがLAPISの前身ですか」と美佳は聞いた。

「そうです」とミオは言った。「最初は自分の問いを書くためだけのノートでした。でも、書いても書いても足りなかった。他の人の問いと比べたかった」

「それがシステムになった」

「はい」

美佳はノートの途中のページで手を止めた。
わたしが選んだことは、わたしが選んだことになりますか。

設計図の最後のページと同じ問いだった。でもここでは、ノートの中ほどに、他の問いたちに混じって書かれていた。特別扱いされていなかった。

「この問いだけが設計図の最後に残ったのは、なぜですか」と美佳は聞いた。
ミオが少し考えた。「一番、答えが出なかったから、だと思います」

「他の問いは」

「他のは──答えが出たわけじゃないですが、少し遠くなりました。時間が経って。でもこれだけは、近いまま、今もここにある」ミオは自分の胸のあたりに手を当てた。無意識のような動作だった。

美佳はノートを閉じて、ミオに返した。

「一つだけ言っていいですか」と美佳は言った。

「はい」

「その問いは、答えが出なくていいと思います。私は」

ミオが美佳を見た。

「答えが出ない問いを持ち続けることが、あなたがあなたであることの証拠かもしれない。それを誰かに確かめてもらわなくても」
ミオは何も言わなかった。でも、さっきとは少し違う沈黙だった。

美佳は端末を取り出して、翔に連絡を入れた。

「今から動いていい?」

翔からの返信は早かった。「準備できています。ミオさんのBラインと連携できれば、落とせる範囲が少し広がるかもしれない」
美佳はミオを見た。「翔という人間がいます。私たちの仲間です。技術的な連携をしてもらえますか」

ミオが頷いた。「やります」と言った。

「怖くないですか」と美佳は聞いた。

ミオが少し考えた。「怖いです」とミオは言った。「でも、怖いからやらないとは違うと、最近思うようになりました」
美佳は「それは私も同じです」と言った。

有栖川が端末を構えながら、静かに翔への接続を始めた。倉庫の外では、波が変わらず打ち返していた。
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