名前を呼ぶまで、春は来ない
第4話 初めての撮影
仮入部から一週間が経った。
週二回の活動日には、必ず写真部の部室に顔を出すようになった。火曜日と金曜日、放課後の一時間だけ。それが、私と写真部の約束だった。
部室では、それぞれが自分の撮った写真を持ち寄って見せ合ったり、次の撮影テーマについて話し合ったりしていた。私はまだほとんど発言しなかったけれど、誰もそれを責めなかった。
三島先輩は「そのうち話したくなるわよ」と言い、朝倉くんは何も言わずにカメラの操作を教えてくれた。
少しずつ、カメラに慣れてきた。
最初は持つのも怖かった一眼レフが、今では自然に首にかけられるようになった。シャッターを切る音も、最初は大きすぎて恥ずかしかったけれど、今は心地いいリズムに聞こえる。
金曜日の放課後、三島先輩が集合をかけた。
「みんな聞いて。明日、校外撮影に行こうと思うんだけど、誰か来れる人いる?」
水野くんと伊藤さんが手を挙げた。朝倉くんは、カレンダーを確認してから頷いた。
「桜井さんは?」
三島先輩が、こちらを見た。
「……明日?」
「そう。午前中に駅前の公園に集合して、二時間くらい撮影する予定。もちろん、無理なら大丈夫」
校外撮影。部員みんなで外に出て、写真を撮る。
それは、部室の中で一人で撮るのとは全く違うことだった。人と一緒に行動する。会話をする。もしかしたら、お昼を一緒に食べることになるかもしれない。
それは、怖かった。
でも——。
「……行きます」
自分の口から、そう言っていた。
翌日、土曜日の朝。
久しぶりに早起きして、クローゼットから服を選んだ。制服じゃなくて、私服。最近はずっと制服ばかりで、私服を着るのは何ヶ月ぶりだろう。
白いシャツに、ベージュのカーディガン。ジーンズと、歩きやすいスニーカー。鏡を見ると、いつもの自分より少しだけ明るく見えた。
「おはよう。今日、出かけるの?」
リビングで朝食を準備していた母が、少し驚いた顔で聞いてきた。
「うん。写真部で撮影」
「そう。お弁当、作ろうか?」
「大丈夫。コンビニで買う」
「……そう」
母は、何か言いたげな顔をしたけれど、結局何も言わなかった。
トーストを齧りながら、私はスマホで駅前公園の場所を確認した。家から自転車で十五分くらい。集合時間は午前十時。
時計を見る。まだ八時半だった。
九時四十五分、駅前公園に着いた。
広い芝生と、池のある公園。週末だから、家族連れや犬の散歩をしている人たちで賑わっていた。
ベンチに座って待っていると、最初に朝倉くんが来た。
「おはよう。早かったね」
「……緊張して、早く来すぎちゃった」
正直に言うと、彼は少し笑った。
「俺も、初めての校外撮影の時はそうだった」
朝倉くんは、カメラバッグを肩にかけていた。中に二台のカメラと、いくつかのレンズが入っているらしい。
「桜井さんは、カメラ持ってきた?」
「借りてきました。三島先輩が貸してくれて」
私が首にかけているカメラを見て、彼は頷いた。
「そのカメラ、使いやすいよ。初心者にちょうどいい」
十時ちょうどに、三島先輩と水野くん、伊藤さんが到着した。
「じゃあ、みんな揃ったから始めよう!」
三島先輩が、元気よく宣言した。
「今日のテーマは『生活の中の光』。日常の風景の中にある、光を撮ってきて。太陽の光でも、木漏れ日でも、水面の反射でも、なんでもいい。それぞれ自由に撮影して、十二時にここに集合ね」
部員たちが散っていく。
水野くんは池の方へ、伊藤さんは木立の方へ。三島先輩は何やら子供たちが遊んでいる広場を見ている。
私は、どこへ行けばいいのかわからなかった。
「桜井さん、一緒に回る?」
朝倉くんが、声をかけてきた。
「……いいの?」
「うん。最初は誰かと一緒の方が撮りやすいと思うから」
二人で、公園の中を歩いた。
朝は少し肌寒かったけれど、日が高くなるにつれて暖かくなってきた。四月の終わり。桜はもう散ってしまったけれど、新緑が目に眩しい季節。
朝倉くんは、時々立ち止まってカメラを構えた。
芝生の上で遊ぶ子供たち。ベンチで本を読む老人。散歩している犬。
彼のファインダーは、人に向けられることが多かった。
「朝倉くんは、人を撮るのが好きなんだ」
私が聞くと、彼は少し考えてから答えた。
「そうかもしれない。人の顔には、その人の時間が刻まれてる気がするから」
「時間?」
「うん。表情とか、仕草とか。その人がどんな人生を送ってきたか、何を考えてるか。それが、一瞬の中に全部詰まってる」
彼の撮った写真を見せてもらった。
笑顔で走る子供。穏やかな表情で本を読む老人。尻尾を振る犬。
どの写真にも、確かに「時間」があった。その人の、その瞬間の生き方が、一枚の写真に閉じ込められていた。
「桜井さんは、何を撮りたい?」
朝倉くんが聞いてきた。
「……わかんない」
正直に答えた。
人を撮るのは、まだ怖い。声をかけるのも勇気がいるし、ファインダーを通して人の顔を見るのも、なんだか申し訳ない気持ちになる。
でも、風景を撮るのもピンとこない。ただ綺麗な景色を撮っても、それは絵葉書と同じだ。
「じゃあ、歩きながら探そう。何か引っかかるものがあったら、それを撮ればいい」
彼は、また歩き出した。
私も、その後ろをついていく。
池のほとりに来た時、私は立ち止まった。
水面に、木々の緑が映っていた。風が吹くたびに、水面が揺れて、映り込んだ景色が歪む。
その歪みが、なぜか心に残った。
ファインダーを覗く。
揺れる水面。映り込んだ空と木。でも、何かが違う。
少し角度を変える。しゃがんで、低い位置から撮ってみる。
すると、水面の向こうに、人の影が映り込んだ。
ベンチに座っている人。その人の輪郭が、水面に溶け込んで、まるで幻みたいに見えた。
シャッターを切った。
「見せて」
朝倉くんが、液晶画面を覗き込んだ。
私も一緒に見る。
水面に溶ける人影。歪んだ緑と空。境界線が曖昧な世界。
「……これ、いいね」
彼が、小さく呟いた。
「何がいいの?」
「人がいるのに、人じゃないみたいに見える。存在してるのに、溶けてる感じ」
存在してるのに、溶けてる。
その言葉が、妙に胸に刺さった。
私も、そんな感じで生きてきた気がする。教室にいるのに、いないみたいに。存在してるのに、誰にも気づかれないように。
「これが、桜井さんの見てる世界なのかな」
朝倉くんが、こちらを見て言った。
「……どういう意味?」
「なんていうか、ちゃんとそこにあるのに、触れられない感じ。近くて遠い、みたいな」
それから二時間、私は公園の中を歩き続けた。
木漏れ日が作る影。階段の手すりに反射する光。ベンチの隙間から見える空。
どれも、はっきりとは見えないものばかり撮っていた。
光と影の境界。水面の歪み。ぼやけた輪郭。
そういうものばかりに、ファインダーが向いていた。
十二時、集合場所に戻ると、他の部員たちもすでに集まっていた。
「じゃあ、今日撮った写真を見せ合おう」
三島先輩の提案で、みんなが液晶画面を見せ合う。
水野くんは、光の筋を綺麗に捉えた写真。伊藤さんは、木の葉の間から漏れる優しい光。三島先輩は、子供たちが遊ぶ広場の賑やかな光景。
そして、私の番が来た。
「桜井さんは、どんなの撮った?」
三島先輩が聞いてきた。
私は、カメラを差し出した。
みんなが液晶画面を覗き込む。
水面に溶ける人影。歪んだ光。ぼやけた境界線。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……すごい」
最初に声を出したのは、伊藤さんだった。
「これ、どうやって撮ったんですか?」
「ただ、水面にしゃがんで……」
「構図がいいね。人の影が、まるで水の中にいるみたいに見える」
水野くんが言った。
「でも、ちょっと暗くない?」
三島先輩が首を傾げた。
「暗いんじゃなくて、静かなんだと思います」
朝倉くんが言った。
「静かな写真。桜井さんらしい」
私らしい。
その言葉が、不思議と嬉しかった。
解散してから、私は一人で駅まで歩いた。
朝倉くんが「一緒に帰る?」と聞いてくれたけれど、断った。一人で、今日のことを考えたかった。
駅のホームで電車を待ちながら、カメラの液晶画面をもう一度見た。
水面に溶ける人影。
これが、私の見ている世界。
朝倉くんはそう言った。
近くて遠い世界。触れられない世界。
でも、写真にすれば、少しだけ形になる。
言葉にできないものが、シャッターを切った瞬間に、何かになる。
家に帰ると、母がリビングにいた。
「おかえり。どうだった?」
「……楽しかった」
そう言ってから、自分でも驚いた。
楽しかった、なんて言葉を、いつぶりに使っただろう。
「そう。よかったね」
母は、嬉しそうに笑った。
「今日撮った写真、見せてくれる?」
「……いいよ」
私は、カメラを母に渡した。
母が液晶画面を見て、少し驚いたような顔をした。
「澪、こんな写真撮るんだ」
「変?」
「ううん。綺麗。でも、ちょっと寂しい感じもする」
寂しい。
そうかもしれない。
私の撮る写真は、いつも少しだけ寂しい。
でも、それが今の私なら、仕方がないのかもしれない。
夜、ベッドに横になりながら、今日を振り返った。
初めての校外撮影。朝倉くんと二人で公園を歩いたこと。みんなに写真を見せたこと。
どれも、少し前の私なら絶対にしなかったことだった。
でも、怖くなかった。
少なくとも、思っていたほどは。
写真があれば、言葉はいらない。
シャッターを切れば、何かが伝わる。
そう思えるようになったから、少しだけ勇気が出た。
スマホに、通知が来た。
写真部のグループLINEだった。
三島先輩からのメッセージ。
『今日はお疲れ様! みんなの写真、すごくよかったよ。特に桜井さんの水面の写真、今度の写真展で使えそう』
写真展。
そんな大それたこと、私にはまだ無理だ。
でも、いつか──。
いつか、私の撮った写真を、誰かに見てもらえる日が来るかもしれない。
そんなことを、初めて思った。
週二回の活動日には、必ず写真部の部室に顔を出すようになった。火曜日と金曜日、放課後の一時間だけ。それが、私と写真部の約束だった。
部室では、それぞれが自分の撮った写真を持ち寄って見せ合ったり、次の撮影テーマについて話し合ったりしていた。私はまだほとんど発言しなかったけれど、誰もそれを責めなかった。
三島先輩は「そのうち話したくなるわよ」と言い、朝倉くんは何も言わずにカメラの操作を教えてくれた。
少しずつ、カメラに慣れてきた。
最初は持つのも怖かった一眼レフが、今では自然に首にかけられるようになった。シャッターを切る音も、最初は大きすぎて恥ずかしかったけれど、今は心地いいリズムに聞こえる。
金曜日の放課後、三島先輩が集合をかけた。
「みんな聞いて。明日、校外撮影に行こうと思うんだけど、誰か来れる人いる?」
水野くんと伊藤さんが手を挙げた。朝倉くんは、カレンダーを確認してから頷いた。
「桜井さんは?」
三島先輩が、こちらを見た。
「……明日?」
「そう。午前中に駅前の公園に集合して、二時間くらい撮影する予定。もちろん、無理なら大丈夫」
校外撮影。部員みんなで外に出て、写真を撮る。
それは、部室の中で一人で撮るのとは全く違うことだった。人と一緒に行動する。会話をする。もしかしたら、お昼を一緒に食べることになるかもしれない。
それは、怖かった。
でも——。
「……行きます」
自分の口から、そう言っていた。
翌日、土曜日の朝。
久しぶりに早起きして、クローゼットから服を選んだ。制服じゃなくて、私服。最近はずっと制服ばかりで、私服を着るのは何ヶ月ぶりだろう。
白いシャツに、ベージュのカーディガン。ジーンズと、歩きやすいスニーカー。鏡を見ると、いつもの自分より少しだけ明るく見えた。
「おはよう。今日、出かけるの?」
リビングで朝食を準備していた母が、少し驚いた顔で聞いてきた。
「うん。写真部で撮影」
「そう。お弁当、作ろうか?」
「大丈夫。コンビニで買う」
「……そう」
母は、何か言いたげな顔をしたけれど、結局何も言わなかった。
トーストを齧りながら、私はスマホで駅前公園の場所を確認した。家から自転車で十五分くらい。集合時間は午前十時。
時計を見る。まだ八時半だった。
九時四十五分、駅前公園に着いた。
広い芝生と、池のある公園。週末だから、家族連れや犬の散歩をしている人たちで賑わっていた。
ベンチに座って待っていると、最初に朝倉くんが来た。
「おはよう。早かったね」
「……緊張して、早く来すぎちゃった」
正直に言うと、彼は少し笑った。
「俺も、初めての校外撮影の時はそうだった」
朝倉くんは、カメラバッグを肩にかけていた。中に二台のカメラと、いくつかのレンズが入っているらしい。
「桜井さんは、カメラ持ってきた?」
「借りてきました。三島先輩が貸してくれて」
私が首にかけているカメラを見て、彼は頷いた。
「そのカメラ、使いやすいよ。初心者にちょうどいい」
十時ちょうどに、三島先輩と水野くん、伊藤さんが到着した。
「じゃあ、みんな揃ったから始めよう!」
三島先輩が、元気よく宣言した。
「今日のテーマは『生活の中の光』。日常の風景の中にある、光を撮ってきて。太陽の光でも、木漏れ日でも、水面の反射でも、なんでもいい。それぞれ自由に撮影して、十二時にここに集合ね」
部員たちが散っていく。
水野くんは池の方へ、伊藤さんは木立の方へ。三島先輩は何やら子供たちが遊んでいる広場を見ている。
私は、どこへ行けばいいのかわからなかった。
「桜井さん、一緒に回る?」
朝倉くんが、声をかけてきた。
「……いいの?」
「うん。最初は誰かと一緒の方が撮りやすいと思うから」
二人で、公園の中を歩いた。
朝は少し肌寒かったけれど、日が高くなるにつれて暖かくなってきた。四月の終わり。桜はもう散ってしまったけれど、新緑が目に眩しい季節。
朝倉くんは、時々立ち止まってカメラを構えた。
芝生の上で遊ぶ子供たち。ベンチで本を読む老人。散歩している犬。
彼のファインダーは、人に向けられることが多かった。
「朝倉くんは、人を撮るのが好きなんだ」
私が聞くと、彼は少し考えてから答えた。
「そうかもしれない。人の顔には、その人の時間が刻まれてる気がするから」
「時間?」
「うん。表情とか、仕草とか。その人がどんな人生を送ってきたか、何を考えてるか。それが、一瞬の中に全部詰まってる」
彼の撮った写真を見せてもらった。
笑顔で走る子供。穏やかな表情で本を読む老人。尻尾を振る犬。
どの写真にも、確かに「時間」があった。その人の、その瞬間の生き方が、一枚の写真に閉じ込められていた。
「桜井さんは、何を撮りたい?」
朝倉くんが聞いてきた。
「……わかんない」
正直に答えた。
人を撮るのは、まだ怖い。声をかけるのも勇気がいるし、ファインダーを通して人の顔を見るのも、なんだか申し訳ない気持ちになる。
でも、風景を撮るのもピンとこない。ただ綺麗な景色を撮っても、それは絵葉書と同じだ。
「じゃあ、歩きながら探そう。何か引っかかるものがあったら、それを撮ればいい」
彼は、また歩き出した。
私も、その後ろをついていく。
池のほとりに来た時、私は立ち止まった。
水面に、木々の緑が映っていた。風が吹くたびに、水面が揺れて、映り込んだ景色が歪む。
その歪みが、なぜか心に残った。
ファインダーを覗く。
揺れる水面。映り込んだ空と木。でも、何かが違う。
少し角度を変える。しゃがんで、低い位置から撮ってみる。
すると、水面の向こうに、人の影が映り込んだ。
ベンチに座っている人。その人の輪郭が、水面に溶け込んで、まるで幻みたいに見えた。
シャッターを切った。
「見せて」
朝倉くんが、液晶画面を覗き込んだ。
私も一緒に見る。
水面に溶ける人影。歪んだ緑と空。境界線が曖昧な世界。
「……これ、いいね」
彼が、小さく呟いた。
「何がいいの?」
「人がいるのに、人じゃないみたいに見える。存在してるのに、溶けてる感じ」
存在してるのに、溶けてる。
その言葉が、妙に胸に刺さった。
私も、そんな感じで生きてきた気がする。教室にいるのに、いないみたいに。存在してるのに、誰にも気づかれないように。
「これが、桜井さんの見てる世界なのかな」
朝倉くんが、こちらを見て言った。
「……どういう意味?」
「なんていうか、ちゃんとそこにあるのに、触れられない感じ。近くて遠い、みたいな」
それから二時間、私は公園の中を歩き続けた。
木漏れ日が作る影。階段の手すりに反射する光。ベンチの隙間から見える空。
どれも、はっきりとは見えないものばかり撮っていた。
光と影の境界。水面の歪み。ぼやけた輪郭。
そういうものばかりに、ファインダーが向いていた。
十二時、集合場所に戻ると、他の部員たちもすでに集まっていた。
「じゃあ、今日撮った写真を見せ合おう」
三島先輩の提案で、みんなが液晶画面を見せ合う。
水野くんは、光の筋を綺麗に捉えた写真。伊藤さんは、木の葉の間から漏れる優しい光。三島先輩は、子供たちが遊ぶ広場の賑やかな光景。
そして、私の番が来た。
「桜井さんは、どんなの撮った?」
三島先輩が聞いてきた。
私は、カメラを差し出した。
みんなが液晶画面を覗き込む。
水面に溶ける人影。歪んだ光。ぼやけた境界線。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……すごい」
最初に声を出したのは、伊藤さんだった。
「これ、どうやって撮ったんですか?」
「ただ、水面にしゃがんで……」
「構図がいいね。人の影が、まるで水の中にいるみたいに見える」
水野くんが言った。
「でも、ちょっと暗くない?」
三島先輩が首を傾げた。
「暗いんじゃなくて、静かなんだと思います」
朝倉くんが言った。
「静かな写真。桜井さんらしい」
私らしい。
その言葉が、不思議と嬉しかった。
解散してから、私は一人で駅まで歩いた。
朝倉くんが「一緒に帰る?」と聞いてくれたけれど、断った。一人で、今日のことを考えたかった。
駅のホームで電車を待ちながら、カメラの液晶画面をもう一度見た。
水面に溶ける人影。
これが、私の見ている世界。
朝倉くんはそう言った。
近くて遠い世界。触れられない世界。
でも、写真にすれば、少しだけ形になる。
言葉にできないものが、シャッターを切った瞬間に、何かになる。
家に帰ると、母がリビングにいた。
「おかえり。どうだった?」
「……楽しかった」
そう言ってから、自分でも驚いた。
楽しかった、なんて言葉を、いつぶりに使っただろう。
「そう。よかったね」
母は、嬉しそうに笑った。
「今日撮った写真、見せてくれる?」
「……いいよ」
私は、カメラを母に渡した。
母が液晶画面を見て、少し驚いたような顔をした。
「澪、こんな写真撮るんだ」
「変?」
「ううん。綺麗。でも、ちょっと寂しい感じもする」
寂しい。
そうかもしれない。
私の撮る写真は、いつも少しだけ寂しい。
でも、それが今の私なら、仕方がないのかもしれない。
夜、ベッドに横になりながら、今日を振り返った。
初めての校外撮影。朝倉くんと二人で公園を歩いたこと。みんなに写真を見せたこと。
どれも、少し前の私なら絶対にしなかったことだった。
でも、怖くなかった。
少なくとも、思っていたほどは。
写真があれば、言葉はいらない。
シャッターを切れば、何かが伝わる。
そう思えるようになったから、少しだけ勇気が出た。
スマホに、通知が来た。
写真部のグループLINEだった。
三島先輩からのメッセージ。
『今日はお疲れ様! みんなの写真、すごくよかったよ。特に桜井さんの水面の写真、今度の写真展で使えそう』
写真展。
そんな大それたこと、私にはまだ無理だ。
でも、いつか──。
いつか、私の撮った写真を、誰かに見てもらえる日が来るかもしれない。
そんなことを、初めて思った。