ふたつの弧が、重なるとき ~六年越しの両片思い。不器用なふたりが、東京で0センチメートルになるまで。~

第48話

「じゃあ……お邪魔しようかな」

 僕が静かにそう答えた瞬間、美絵は絵に描いたようにパチリと瞬きをし、口をぽかんと開けて固まった。

「…………えっ!?」
 数秒のフリーズの後、自動ドアの前で裏返った声が夜の住宅街に響く。

 からかうつもりで放ったであろう冗談を正面から受け止められ、彼女の顔がみるみるうちに赤く染まっていくのが、街灯の下でもはっきりとわかった。

「あ、えっと、うそ、ほんとに!? いや、ダメじゃない、ダメじゃないけど……部屋、散らかってるかも!」
 慌てふためき、宙を泳ぐ彼女の小さな手。
 その姿があまりにも可愛らしくて、張り詰めていた僕の口元からも、思わずふっと小さな笑みがこぼれた。

 もちろん、付き合いたての彼女の部屋に、夜に上がり込むことには、ある種の緊張感がある。
 けれど、今日だけは、どうしてももう少し話がしたかった。

「大丈夫だよ」と言った彼女の顔が、いつもの笑顔ではないこと。
 その瞳の奥に、まだ不安が揺れていたことに、気づかないふりはできなかったからだ。

 それにこれは、彼女のためだけではない。
 彼女の不安につけ込もうとする他の男が……現れないとは言えない。
 自分のためにも、まだ付き合いたてでこれから関係をつくっていく二人の間に、隙をあまり作りたくなかった。
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