カーテンコールのその先に
第一章、壊れかけの芝居小屋
『さぁ、その剣をこちらへ』
スピーカーから流れる女神の厳かな声に応じるように、私はゆっくりとステップを踏み、手にした木剣を泉へと投げ入れた。
「この者が本当に勇者であれば、女神が姿を現すであろう!」
壇上で声を張り上げているのは、仰々しいマントを翻した王様――ペケウス役の悠真だ。その足元では、縄で縛られた勇者ネオン役のリンドウが、悔しげに膝をつかされている。
作中最大の見せ場である、ネオンが内乱罪の審判に掛けられる緊迫のシーン。
王に仕える従者役の私は、祈るような心地で泉の行方を見つめた。
その時、舞台袖から強烈なライトが照射され、まばゆい光が辺りを包み込んで―――
「はい、ストップ」
客席の最前列から、パンッと乾いた手拍子が響いた。
同時にラジカセのスイッチが切られ、さっきまで小屋を満たしていた荘厳な環境音や女神のボイスが、ぷつりと途切れる。
私は突き出した手の形のまま、ストップをかけた本人である『時計塔の精霊』へと視線を向けた。
……時計塔の精霊、というのは彼の本名ではない。いつも胸元に『時計塔』とデカデカとプリントされた謎の白いTシャツを着ているから、みんなからそう呼ばれているだけの、私達の仲間だ。
「なんかダメだった?」
私が尋ねると、時計塔の精霊は小さく首を傾げた。
「雰囲気がちょっと……緊張感がないと言うか……」
「大道具はダンボールだからね……仕方ないよ」
「予算ねぇしなぁ〜」
ペケウス王こと悠真が、やけくそ気味にマントをばさりと翻す。ちなみにその豪華そうなマントの正体は、近所のリサイクルショップのワゴンセールで買った遮光カーテンだったりする。
「なんか、インパクト欲しいよね」
「インパクト……バージージャンプで飛び降りるとか?」
「何でそんな発想に!?」
私が即座にツッコむと、時計塔の精霊は一切表情を崩さずに、大真面目なトーンで返してきた。
「だってインパクトって言ったら高さだし……」
「えぇ……」
「また床に穴が……。僕、また修理するの嫌ですよ」
「まだ前の床抜け事件の傷、完全に直ってないだろ」
「だからあれは事故だって」
時計塔の精霊が必死に言い訳する。
「勇者が激怒して玉座を蹴ったら、段ボールが想像以上に弱かっただけだから、多分大丈夫なはず」
「その下も腐ってたんだよ!」
当時の惨劇を思い出したのか、悠真がガシガシと頭を掻きむしる。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
時計塔の精霊の襟元を掴んでがくがくと揺さぶり始めた悠真を、リンドウが苦笑しながらなだめる。
時計塔精霊の襟を掴みながら、ガクガクと揺さぶる悠真をなだめていたリンドウ。
リンドウはこの四人の中で、最年長で精神年齢も落ち着いている中学三年生。みんなの頼れるお兄さん的に存在。生徒会長もやってるんだよ!
舞台中央の床に目を落とすと、今も周囲と少しだけ色の違う新しい板がはめ込まれているのがわかる。あれが、先週に必死に直したあの日の修理跡だ。
この芝居小屋は、もともと劇団の団長さんのものだった。
小柄で、いつもお腹の底から響くような大きな声で笑う、太陽みたいな人。
『舞台はな、生きてるんだぞ!生き物なんだ!』
そう言っては、愛おしそうに古いスポットライトを雑巾で磨いていた。
けれど、膨らんだ借金が返せなくなって、ある日突然、団長さんは姿を消した。夜逃げをしたらしいと噂で聞いたけれど、電話には今も繋がらない。
残されたのは、あちこちがボロボロの芝居小屋と、舞台裏に積まれた大量の段ボール。それから、ひょっこり机の上に置かれていた『好きに使え』という、置き手紙のような権利書だけだった。
「あの頃は、たくさんお客さんいたよね……」
私がぽつりと言うと、悠真が舞台の縁に腰掛けながら「それな」と短く同意した。
「他の役者も私生活が忙しくなったりで、僕達以外辞めちゃったからね」
リンドウがポケットから取り出した飴玉を口に放り込む。
その横で、悠真は舞台にノートを広げ、せっせと数学の宿題を解き始めていた。
(まだ終わってなかったんかい……)
私は心の中で呆れ混じりのツッコミを入れる。
「おい、二次関数って何だよ」
「我が王国に放物線は不要!って言っとけ」
「それでテスト乗り切れるなら言うわ」
悠真はシャーペンを噛みながら、唸った。
「心乃は?」
「私?私はもう終わった!」
「すげぇな、おい」
悠真の言葉に両手を腰に当てて、ドヤ顔で悠真を見下ろす。
「どうだ、凄いだろー!崇めよ崇めよ」
「誰がお前を崇めるかよ」
「え、ひっどー」
「こら、二人共ケンカはしない」
リンドウの声は穏やかだけど、ちゃんと圧がある。
私と悠真は同時にそっぽを向いた。
「別にケンカしてねーし」
「してないし」
「息ぴったりじゃん」
時計塔の精霊が真顔で言う。
「「どこが、こいつと!!」」
またしても綺麗にハモってしまい、互いに凄まじいメンチを切り合った。
リンドウが肩を揺らして小さく笑いながら、長机の真ん中に置いてあるお菓子カゴに、新しくチョコレートの袋を追加してくれた。
私はそこからすかさずチョコを一つむしり取り、ひょいっと口に放り投げる。
「あー幸せ」
「前回来てくれたお客さんは、八人だったね」
「そのうち三人は迷い込んだだけっていう」
悠真がシャープペンシルを動かす手を止めてぼやいた。
私は机の上に『お芝居交換日記』と書かれたノートを広げ、ボールペンを握ったままため息をつく。
「書くことないね...」
「ほとんど雑談ばっかだもんな」
交換日記、という名目で始めたはずのノートだったが、実際のところ中身は――。
《床抜け注意》
《玉座強度:紙からダンボールへ》
《本日の反省:バージージャンプ禁止》
……ただの生存報告と、貧乏劇団のインフラ整備記録にしかなっていない。
「これ、誰が読んで楽しいの?」
私がノートを掲げて尋ねると、客席の時計塔の精霊がまっすぐこちらを見つめて言った。
「未来のオレ」
「あ、タイムカプセル的なやつね……」
それから一時間ほど、私たちは宿題を手伝ったり(ほとんどリンドウが悠真に教えていただけだが)、次の劇の演出について他愛のない雑談を交わしたりして過ごした。
やがて、スピーカーから街中に響く夕焼け放送のメロディが流れ始める。
今週の炊事当番であるリンドウは、「じゃあ、僕は一足先に戻るね」と、芝居小屋の裏手にある家へと繋がるドアへ向かった。
この芝居小屋はリンドウの家と裏口で直結しており、町外れのポツンとした場所にある。だから、夜遅くに私たちがどれだけ大声を張り上げて稽古をしても、近所迷惑だと文句を言う人は誰もいない。そこだけは、私たちの唯一の特権だった。
家と言うより社宅に近いかも。
夕焼け放送が、やけに間延びして聞こえる。
♪ゆーやけこやけでー......
「帰れって言われたから帰るわ」
悠真がシャーペンを置く。
「まだ宿題終わってないよ」
「自分の部屋でやる」
「そう言いながら、前回の中間テスト前日に朝方までゲーム三昧していたのは誰だっけ?」
舞台の端に腰掛け、暇そうにスマホの画面をタップしていた時計塔の精霊が、冷ややかな声で痛いところを突いてきた。
スピーカーから流れる女神の厳かな声に応じるように、私はゆっくりとステップを踏み、手にした木剣を泉へと投げ入れた。
「この者が本当に勇者であれば、女神が姿を現すであろう!」
壇上で声を張り上げているのは、仰々しいマントを翻した王様――ペケウス役の悠真だ。その足元では、縄で縛られた勇者ネオン役のリンドウが、悔しげに膝をつかされている。
作中最大の見せ場である、ネオンが内乱罪の審判に掛けられる緊迫のシーン。
王に仕える従者役の私は、祈るような心地で泉の行方を見つめた。
その時、舞台袖から強烈なライトが照射され、まばゆい光が辺りを包み込んで―――
「はい、ストップ」
客席の最前列から、パンッと乾いた手拍子が響いた。
同時にラジカセのスイッチが切られ、さっきまで小屋を満たしていた荘厳な環境音や女神のボイスが、ぷつりと途切れる。
私は突き出した手の形のまま、ストップをかけた本人である『時計塔の精霊』へと視線を向けた。
……時計塔の精霊、というのは彼の本名ではない。いつも胸元に『時計塔』とデカデカとプリントされた謎の白いTシャツを着ているから、みんなからそう呼ばれているだけの、私達の仲間だ。
「なんかダメだった?」
私が尋ねると、時計塔の精霊は小さく首を傾げた。
「雰囲気がちょっと……緊張感がないと言うか……」
「大道具はダンボールだからね……仕方ないよ」
「予算ねぇしなぁ〜」
ペケウス王こと悠真が、やけくそ気味にマントをばさりと翻す。ちなみにその豪華そうなマントの正体は、近所のリサイクルショップのワゴンセールで買った遮光カーテンだったりする。
「なんか、インパクト欲しいよね」
「インパクト……バージージャンプで飛び降りるとか?」
「何でそんな発想に!?」
私が即座にツッコむと、時計塔の精霊は一切表情を崩さずに、大真面目なトーンで返してきた。
「だってインパクトって言ったら高さだし……」
「えぇ……」
「また床に穴が……。僕、また修理するの嫌ですよ」
「まだ前の床抜け事件の傷、完全に直ってないだろ」
「だからあれは事故だって」
時計塔の精霊が必死に言い訳する。
「勇者が激怒して玉座を蹴ったら、段ボールが想像以上に弱かっただけだから、多分大丈夫なはず」
「その下も腐ってたんだよ!」
当時の惨劇を思い出したのか、悠真がガシガシと頭を掻きむしる。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
時計塔の精霊の襟元を掴んでがくがくと揺さぶり始めた悠真を、リンドウが苦笑しながらなだめる。
時計塔精霊の襟を掴みながら、ガクガクと揺さぶる悠真をなだめていたリンドウ。
リンドウはこの四人の中で、最年長で精神年齢も落ち着いている中学三年生。みんなの頼れるお兄さん的に存在。生徒会長もやってるんだよ!
舞台中央の床に目を落とすと、今も周囲と少しだけ色の違う新しい板がはめ込まれているのがわかる。あれが、先週に必死に直したあの日の修理跡だ。
この芝居小屋は、もともと劇団の団長さんのものだった。
小柄で、いつもお腹の底から響くような大きな声で笑う、太陽みたいな人。
『舞台はな、生きてるんだぞ!生き物なんだ!』
そう言っては、愛おしそうに古いスポットライトを雑巾で磨いていた。
けれど、膨らんだ借金が返せなくなって、ある日突然、団長さんは姿を消した。夜逃げをしたらしいと噂で聞いたけれど、電話には今も繋がらない。
残されたのは、あちこちがボロボロの芝居小屋と、舞台裏に積まれた大量の段ボール。それから、ひょっこり机の上に置かれていた『好きに使え』という、置き手紙のような権利書だけだった。
「あの頃は、たくさんお客さんいたよね……」
私がぽつりと言うと、悠真が舞台の縁に腰掛けながら「それな」と短く同意した。
「他の役者も私生活が忙しくなったりで、僕達以外辞めちゃったからね」
リンドウがポケットから取り出した飴玉を口に放り込む。
その横で、悠真は舞台にノートを広げ、せっせと数学の宿題を解き始めていた。
(まだ終わってなかったんかい……)
私は心の中で呆れ混じりのツッコミを入れる。
「おい、二次関数って何だよ」
「我が王国に放物線は不要!って言っとけ」
「それでテスト乗り切れるなら言うわ」
悠真はシャーペンを噛みながら、唸った。
「心乃は?」
「私?私はもう終わった!」
「すげぇな、おい」
悠真の言葉に両手を腰に当てて、ドヤ顔で悠真を見下ろす。
「どうだ、凄いだろー!崇めよ崇めよ」
「誰がお前を崇めるかよ」
「え、ひっどー」
「こら、二人共ケンカはしない」
リンドウの声は穏やかだけど、ちゃんと圧がある。
私と悠真は同時にそっぽを向いた。
「別にケンカしてねーし」
「してないし」
「息ぴったりじゃん」
時計塔の精霊が真顔で言う。
「「どこが、こいつと!!」」
またしても綺麗にハモってしまい、互いに凄まじいメンチを切り合った。
リンドウが肩を揺らして小さく笑いながら、長机の真ん中に置いてあるお菓子カゴに、新しくチョコレートの袋を追加してくれた。
私はそこからすかさずチョコを一つむしり取り、ひょいっと口に放り投げる。
「あー幸せ」
「前回来てくれたお客さんは、八人だったね」
「そのうち三人は迷い込んだだけっていう」
悠真がシャープペンシルを動かす手を止めてぼやいた。
私は机の上に『お芝居交換日記』と書かれたノートを広げ、ボールペンを握ったままため息をつく。
「書くことないね...」
「ほとんど雑談ばっかだもんな」
交換日記、という名目で始めたはずのノートだったが、実際のところ中身は――。
《床抜け注意》
《玉座強度:紙からダンボールへ》
《本日の反省:バージージャンプ禁止》
……ただの生存報告と、貧乏劇団のインフラ整備記録にしかなっていない。
「これ、誰が読んで楽しいの?」
私がノートを掲げて尋ねると、客席の時計塔の精霊がまっすぐこちらを見つめて言った。
「未来のオレ」
「あ、タイムカプセル的なやつね……」
それから一時間ほど、私たちは宿題を手伝ったり(ほとんどリンドウが悠真に教えていただけだが)、次の劇の演出について他愛のない雑談を交わしたりして過ごした。
やがて、スピーカーから街中に響く夕焼け放送のメロディが流れ始める。
今週の炊事当番であるリンドウは、「じゃあ、僕は一足先に戻るね」と、芝居小屋の裏手にある家へと繋がるドアへ向かった。
この芝居小屋はリンドウの家と裏口で直結しており、町外れのポツンとした場所にある。だから、夜遅くに私たちがどれだけ大声を張り上げて稽古をしても、近所迷惑だと文句を言う人は誰もいない。そこだけは、私たちの唯一の特権だった。
家と言うより社宅に近いかも。
夕焼け放送が、やけに間延びして聞こえる。
♪ゆーやけこやけでー......
「帰れって言われたから帰るわ」
悠真がシャーペンを置く。
「まだ宿題終わってないよ」
「自分の部屋でやる」
「そう言いながら、前回の中間テスト前日に朝方までゲーム三昧していたのは誰だっけ?」
舞台の端に腰掛け、暇そうにスマホの画面をタップしていた時計塔の精霊が、冷ややかな声で痛いところを突いてきた。

