雨は嫌いですか、私は好きです
 一晴は悪びれた様子もなく、頭の後ろをぽりぽりと掻いた。その仕草があまりにも軽くて、雨音は思わず眉を顰める。

「……わざと、ですか」

 問い掛ける声は、できるだけ平静を装ったつもりだった。けれど、少しだけ尖ってしまったのは隠せない。

「うん」

 あまりにもあっさりと即答された。
 迷いのない肯定に、雨音は言葉を失う。そんな雨音を無視して、一晴は言葉を続けた。

「だってさ」

 一晴は傘の持ちてを少しだけずらして持ち直す。
 雨音に掛かる雨粒を避けるように、さりげなく角度を変えながら。

「駅までって言ったら、すぐ終わっちゃうじゃん」
「……あ、当たり前です」
「そーだけど。なんか、それってもったいないなって思って」

 さらっと言われたその言葉に、雨音の心臓が一拍遅れて跳ねた。

(もったいない……?)

 何が。何が、もったいないのか。
 聞かなくても分かってしまいそうで、雨音は唇を噛む。

「それに」

 一晴は前を向いたまま続けた。

「小森さん、今日ずっと逃げようとしてたし」
「……っ!」
「駅までの最短ルートだったら、絶対途中で走って帰るでしょ」
「そ、そんなこと——……」

 慌てて否定しかけて、言葉が止まった。

(……するかも)

 実際、駅が見えた瞬間に「じゃあ」と言って駆け出す自分の姿が、容易に想像できた。
 一晴はそれを見透かしたように、くすっと笑う。

「ね?」

 悔しいけれど、何も言い返せない。
 雨はまだ強く降り続いている。
 見慣れない住宅街の道を、二人の足音が静かに進んでいく。
 しばらくして、雨音は小さく呟いた。

「……ずるいです」
「え?」
「遠回りって言わないで連れてくるなんて」

 一晴は少しだけ驚いた顔をした後、ふっと笑った。

「だって、言ったら断るでしょ」
「断ります」
「ほら」

 あっさり言われて、雨音はむっと眉間に皺を寄せる。
 ほんの少しだけ、眼鏡のレンズに映る一晴の顔が歪んだ気がした。

「でもさ、こうでもしないと、小森さん俺と歩いてくれないじゃん」

 その言葉に、雨音の足が止まりかける。
 雨が傘を叩く音だけが、二人の間に落ちた。

「……」

 どう返したらいいのか分からない。
 怒るべきなのか。 呆れるべきなのか。それとも——……。
 分からないまま、雨音は小さく息を吐いた。
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