騎士団長は奥さんの愛を取り戻したい。

ずっと言えなかったこと 2

 どうしてだろう。フィリアが泣くのを見るのは辛い。
 潰されたように喉が締まり、胸は痛み、どうすればいいのかわからなくなる。

 頼むからどうか泣き止んで欲しい。

「フィリア、ごめん」

 けれどその方法がわからなくて、グレンは途方に暮れながらひたすらに謝った。まるで無力な子供みたいだった。

「フィリアごめん。全部僕が悪かった、ごめん、ごめんね」

 だから泣かないで。
 フィリアはずっとグレンを睨んでいた。涙を両目いっぱいに溜めて、瞬きもしなかった。震える声で言われる。

「全部あなたのせいだわ」
「うん」
「あんな人と付き合うなんて」
「うん……」
「本当に浮気してたの?」

 グレンは小さくかぶりを振った。

「してない。……全部、仕組まれたことだったんだ」

 言って、すべてを打ち明けた。
 最初からエリザベトの計画だったこと。
 偶然の再会を装われ、グレンははめられたこと。
 フィリアに近づいた男は、エリザベトの弟だったこと。

「軍の諜報機関に動いてもらったから、間違いない」  

 言い終えたグレンの前で、フィリアは悲しげに瞳を伏せた。
 長いまつ毛には、涙が止まっていた。

「それを、信じろっていうの?」
「……いや」
「無理よ。私はあなたみたいになれない」

 エーリヒが別の男の子供だなんて。エリザベトのひどい嘘を、グレンは疑いもしなかったのに。

「仕方ないよ。あんな場面を見せられちゃ」

 そう言いかけたとたん、フィリアはまたグレンを睨みあげた。

「あなたが隙だらけだったからよ。まだ気持ちがあったんじゃないの?」
「ないよ。それは絶対にない」
「じゃあどうして……っ」

 フィリアはもういっぱいいっぱいになっていた。グレンはぎりぎりと胸を締め付けられる。息が苦しい。フィリアの痛みはこんなものじゃないのだろうに。彼女の声が刃物みたいにグレンを切り裂いた。

「どうしてキスされたの? 避けられなかったの?」
「……ごめん」
「謝って欲しいんじゃない!」

 あのひどい夜をやり直せたらどれだけいいだろう。
 けれど問題はそこではないのだと、フィリアは言った。

「あの女の人だけじゃない。いつも嫌だった、帰りが遅いのも、他の女の人の匂いがするのも」

 本当に自分はどうしようもないクズなのだと、頭を殴られた気分だった。三年も一緒にいて、なにも気付かなかっただなんて。フィリアが泣いて、グレンの胸はいよいよ危うくなる。

「さっきみたいなことがなかったら、弟だって言われても私は信じられなかった。あなたを疑って疑って、本当のことなんて見ようともしなかった。だって嫌だったのよ、あなたがあの人とキスしてたの、本当に嫌だったの」

 ほろほろと涙があふれる。まるで血のようだ。グレンはそれを止めなければと思うのに、指先の一つも動かせない。

「グレンさまなんて大嫌い」

 フィリアが自分で涙をぬぐいはじめる。そんなに強く擦ったら目にキズがついてしまう。グレンは自身も泣いていることに気づかず、そう胸を痛めた。

「あなたも、屋敷のみんなも、貴族らしくなんてしなくていいって言ってくれたわ。出来ることをやったらいいって。でも、私はもっとグレンさまに近づきたかった。だって家族だったから」
「フィリア……」
「マリさんにも言われたの。言いたいことは言った方がいいって。でも、それってとても怖いことだわ。傷つくかもしれないもの。だから言えなかった」

「違うよ、フィリア。僕が君に言わせなかったんだ」

 グレンはやっとの思いでそう口にする。

「僕が君を言いくるめたんだ」

 食堂で働いていた頃の送迎の時も、告白の時も、結婚の時も。
 そして結婚してからも。

 グレンはフィリアに安心して暮らして欲しくて、いろんな言葉で彼女に説明した。でもそれが結局はフィリアを不安にさせていたのだ。

「ごめん」

 泣き続けるフィリアに、グレンはもう手を伸ばせなかった。
 そんな資格もない。


 けれど、罪は償わなくてはいけない。


 グレンは背筋を伸ばした。
  
「なんでもする。僕と二度と会いたくないなら、異国に行っても構わない。気の済むまで殴ってもいいよ」
「そんなことしないわ」
「わかってる。でも、僕は君の希望を叶えたい」
 
 フィリアはまだ涙に濡れている瞳でグレンを見つめた。

「遅い」
「うん、ごめん」
「……エーリヒが一番可哀想だわ」
「うん」

 フィリアが赤くなった鼻をすする。そうして鼻声で言った。

「でも、いっぱい言えたから、少しスッキリした」
「もっと言ってもいいよ、ずっと聞くよ」
「別に。もうないわ」

 明日も明後日もその次の日も。
 本当はずっと一緒にいられたのに。

 明日の夜、彼女はもういない。

「あのね、グレン」
「ん?」
「いっぱいいろんなこと言っちゃったけど、私、普通に幸せだったのよ。あなたとの結婚」
「……」
「大好きだったの」

 幸せだった記憶が波のように押し寄せた。

「フィリア」

 振り払われてもいい。グレンはフィリアの腕をとり、そのまま強引に抱き寄せた。フィリアは抵抗しなかった。グレンの胸に顔を埋めて、ぎゅっとしがみついてくる。 
 
「……どうしたらあなたを許せるの?」
「許さなくていいよ」

 グレンは力の限りにフィリアを抱きしめた。甘い、知らない匂いが香る。
 やっぱり離れるなんて無理だと思った。そばにいたい。いて欲しい。

「ずっと許さなくていいよ」
「ずっと?」
「うん、ずっと」

 温かいフィリアの身体に、ほっとした。
 だから涙がこぼれる。

「……じゃあずっと許さないわ」

 フィリアの声は少しだけ和らいでいた。顔をあげ、涙するグレンを見て、困ったように眉を寄せる。

「あなたが後悔するくらい、そばでわがままを言ってあげる」
「…………そんなの、ご褒美だよ」

 揺らぐ視界の向こうには、最愛の人がいて。

「変な人」

 グレンをただ、喜ばせた。

 
 
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