第4部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない
「返すついでに、一つだけ、いいか?」

嫌な予感しかしない。

「……なんですか」

「――ご主人様、って呼んでみて」

思考が一瞬で真っ白になる。

ぞわり、と背中を甘い悪戯みたいな感覚が撫でた。

「……この、バカディラン!!」

感情が先に口を突いて出た。

「ふんっ」

ぷいっと背を向けると、後ろでくすりと笑う気配。

「……可愛いな」

低く、愉しそうで、どこか甘やかすような声。

距離を取ろうと一歩踏み出した、その瞬間。

背後から、そっと抱きしめられた。

逃げ場がなくなるほど近い。
ディランの体温が、背中越しに伝わってくる。

耳元を掠める吐息。

「……紅茶、ありがとう」

低くて、優しくて、反則みたいな声。

「俺を労ってくれたんだろう」

胸の奥が、じんわり熱を帯びる。

「……まあ」

それ以上、言葉が出なかった。

「おやすみ」

抱く力が、ほんの少しだけ緩む。

「ティアナ」

名前を呼ばれただけで、心が引っ張られる。

「……はい」

ようやく身体を離し、扉に手をかける。

背中に、まだ視線が刺さっている。

去り際。

扉がゆっくりと開かれ、私は思わず振り返った。

扉にもたれ、どこか満足そうに微笑むディラン。
ひらりと手を振る仕草が、妙に優しい。

小さく頭を下げ、静かに部屋を後にする。

――扉が閉まってもなお、
彼の気配だけが、離れなかった。
< 180 / 217 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop