第4部 夜明けが世界を染めるころ、悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない
ディランの指先が、ためらいもなく私の手を包む。
その温度に、心臓が一瞬だけ跳ねた。

「……そろそろ、抜け出そうか」

低く落ちた声が、耳の奥に甘く残る。

「え……う、うん」

手を引かれるまま歩くと、連れて行かれた先は夜のガーデンだった。
月明かりに照らされた花々が、静かに揺れている。

「さすがに、夜は冷えるな」

そう言って、ディランが自分の上着をそっと肩にかけてくれる。
ふわりと彼の体温が移ってきて、思わず息が止まる。

「ありがとう」

「……それと」

少しだけ間を置いて、ディランが小さな包みを差し出した。

「これを」

開けてみると――

「……香水?」

「俺の好きな香りだ。君にも、お裾分け」

瓶を受け取ると、ほのかに柑橘系のやさしい香りが漂う。
それはどこか、彼の雰囲気に似ていた。

「ありがとうございます」

「もし……寂しくなったら、これをつけて」

いたずらっぽく微笑むその顔が、月明かりに照らされてやけに綺麗だ。

「俺のことを思い出してくれ」

「……なんですか、それ」

言い返しながらも、こんなふうに言われて、平気でいられるわけがない。

ディランは少しだけ視線を落とし、静かに息をついた。

「さて。もう遅い。君ともう少しいたいが……そうもいかないな」

エメラルドの瞳が夜に溶け、ルビーのように深く光る。
その目に映る自分が、少しだけ特別に見えた。

「部屋まで送ろう」

すっと手を取られ、自然に指が絡む。

「はい」

静かな廊下を、手を繋いだまま並んで歩く。
足音だけが響いて、ふたりの世界がそこにあった。

部屋の前で足を止めると、ほんの一瞬、名残惜しさが漂う。

「…今日はありがとうございました」

「ああ。おやすみ。次は――デートで会おう」

囁くような声。
互いに確認するように、約束した日程を確かめてから別れる。

扉が閉まったあとも、
肩にかけられた上着のぬくもりと、香水の香りだけがそっと残っていた。

――忘れられない誕生日だった。
< 83 / 217 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop