鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜
第15話 芽生えた想いに花束を
(……最悪や)
ベッドに腰を下ろし、天井を仰ぐ。
枕からも、葵と同じシャンプーの香りがして逃げ場がない。
目を閉じても、無駄やった。
浮かぶのは――
風呂上がりの、火照った顔。
コーラルレッドに染まった、葵の唇。
(……なんで、あんなことしてん)
触れる理由を、探しただけやろ。
喉が、ひりつく。
さっき風呂上がりの葵が、そのリップをつけて出てきたとき。
松原に「かわいい」と言われた、あの唇。
(……俺が選んだ色、やぞ)
ショッピングモールで声かけられたときもそうやった。
『……俺の連れに、気安く触れんな』
気づいたら、口が先に動いてた。
考える前に、身体が引き寄せてた。
あの瞬間だけは、理性も立場も、全部吹き飛んでた。
(……独占欲、丸出しや)
後輩で、部下で、同居中。
守る立場のはずやのに。
――でもほんまは。
(……めちゃくちゃ触りたい)
甘やかして。
距離を縮めて。
期待させて。
一番タチ悪いんは、俺や。
『これ以上、触れたらあかん』
あれは葵やなくて、自分に言うた言葉やった。
(……戻られへん)
『男が女にリップ贈る意味、知ってる?』
『――「キスしたい」って意味だからね』
雪乃の、あの得意げな顔が浮ぶ。
(全部わかってて言ったな……ほんま腹立つ)
でも。
新人時代の頑張りしか知らない、
甘えベタな彼女が、俺の腕の中で泣いた。
あの泣き顔を見た瞬間、線引きなんか、とっくに消えてたんやろな。
(……先に壊れるんは、俺やわ)
葵が、近づくたびに。
笑うたびに。
名前を呼ぶたびに。
全部、壊したくなる。
(……ほんま、地獄やな)
また一つ、持て余す熱を抱えながら、俺は静かに目を閉じた。
***
あたしは、いつも通りの顔で、仕事をする。
でも視線は、無意識に彼を追っていた。
(……あ)
休憩室で、他の女性と話してる。
外では微塵も感じさせない、完璧な「上司」の男の顔。
あたしを翻弄したあの熱い指先なんて、まるでなかったことみたいに。
(……なんで、あんな顔するんですか)
胸の奥で、芽生えた嫉妬と独占欲が、ちりりと音を立てて燃え上がる。
「羨ましい彼女」になりたいんじゃない。
あたしは――
この人の、特別になりたい。
でも、言えない。
(……もう少しだけ、甘えさせて下さい)
***
(……あかん)
頭の中、全部葵や。
朝の「いってらっしゃい」まで思い出して、息苦しい。
(……甘いの飲も)
自販機の前、ふらふらしながらブラックコーヒー飲んでる葵を見つけた。
(……かわええな、ほんま)
口元が緩むのがわかって、慌てて手で隠す。
それでも葵らしい仕草に、笑みが溢れた。
――その直後。
松原と楽しそうに笑う葵。
(……なんやねん、その顔。殺しにきてるやろ)
あいつには、そんな無防備な顔すんのか。
喉の奥が、焼けるように熱い。
(……俺がどれだけ我慢してると思ってんねん)
あかん、もう限界や。
連れ去りたい。
俺だけのもんにしたい。
(……覚悟しぃや)
ぐしゃり、と手の中の紙カップが歪んだ。
***
机に置いた飲みかけのキャラメルマキアート。
なんとなく、鷹宮先輩が好きな味を、飲んでみたくなって、持ち帰ってきた。
舌先に残るキャラメルの甘さが、鷹宮先輩と重なり不埒に疼く。
「ただいま」
振り返ると、そこにはネイビーの眼鏡を少し指で押し上げた、鷹宮先輩が立っていた。
いつもと違う、獣みたいな視線で、あたしを射抜いている。
「キャラメルマキアート……?」
「先輩が好きな味かなって、思ったら……」
ふわりと広がるキャラメルの甘い香りが、理性をあざ笑うように鼻をくすぐった。
「……お前、ほんまにズルいわ」
低く、地を這うような声。
先輩は一歩、また一歩と、あたしとの距離を詰めてくる。
「松原と笑ってた思たら、今度はこれか」
「……葵、ほんまにタチ悪いな」
あまりの熱量に気圧されて、あたしは無意識に後ずさった。
ドスンっとぶつかる低く音。
――気づいたときには、逃げ場がなかった。
それを打ち消す鷹宮先輩の、怖いほど甘く優しい体温。
わずかに鼻をくすぐる、清潔なシトラスと甘いキャラメルの混じった香り。
憧れてたはずの壁ドンも、
この距離では、ただの逃げ場の消失だった。
「へぇ……そーなんや」
たったそれだけの相槌なのに、背筋がぞくりと震える。
「鷹宮先輩……っ」
呼んだ声が、情けなく揺れる。
視線を上げると、綺麗な指がネクタイを少しだけ緩める。
社内随一のイケメンは、余裕そのものの表情でこちらを見下ろしていた。
仕事では決して見せない、近すぎる距離。
「……そんな顔で見られて、ほっとけるわけないやろ」
――その言葉。
ずっと、
後輩だからだと思ってた。
でも。
ネイビーの眼鏡越しに射抜くその瞳は、もう、上司のそれじゃない。
牙を隠すのをやめた、一人の男の熱そのものだった。
「もう逃がさへんから」
低く艶やかに囁く声。
ほんの数センチまで、唇が近づく。
――息が触れる距離。
「覚悟しぃや?」
怖いのに。
どうしようもなく、甘い。
気づけば、震える唇から、音が漏れていた。
「……好きなんです、先輩が」
「……我慢、しなくていいですよ」
息が、止まる。
「……嫌われるのが怖くて、ずっと言えなかった。……でも、好きです」
鷹宮先輩の瞳が暗く、熱く揺れた。
そして、奪うように腕の中へ閉じ込められた。
――堪えていたものが、切れたみたいに。
「…………先に言うなや、俺なんかとっくに好きやったわ」
「俺がどれだけ耐えてきたと思ってんねん……」
小さく落ちたその声に、あたしも思わず抱きしめ返す。
「……あたしもです」
「……好きて言うたら最後、俺はもう止まれへん」
先輩の手が、あたしの顎を持ち上げた。
壊れ物を扱うような手つきなのに、言葉はあまりにも剥き出しで。
「逃げ道ないで」
「後悔しても知らんからな」
低く掠れた声で囁かれた言葉に、あたしの理性が音を立てて崩れていく。
先輩の親指が、あたしの唇の端を、あの日と同じようにゆっくりなぞる。
けれど、あの時よりもずっと力強く、独占的な熱。
「っ……」
吐息が触れる。
――その瞬間。
ぐぅぅぅ……。
静寂を切り裂いた音に、時間が止まる。
「「…………っ」」
「……お前、タイミング神か」
「違っ……これは不可抗力です!」
あたしは顔がこれでもかと言うほど真っ赤になり、
先輩は一瞬だけ目を伏せ、肩を震わせた。
その反応に、 なんだか少しだけ、拗ねたくなる。
「葵」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
――息が、止まった。
さっきより、ずっと危ない目。
熱を一切逃がしていない、男の顔。
「わかっててやってるやろ」
頬を撫でる指先に、わずかに力がこもる。
「そんな顔で誘ったら、俺がどうなるか」
低く、掠れた声。
「……壊したいくらい抱きしめたいんを、オジサンのなけなしの理性で止めてるんやからな」
その言葉と、視線と、熱に、ゾクリとする。
「このまま終わると思うなよ」
指の腹であたしの唇を押さえたあと、鷹宮先輩はようやく距離を離した。
「早よ食お」
そう言ってキッチンへ向かう背中に、まだ熱が残っている。
(……望んで、捕まえた)
もう、後戻りなんてできない。
捕まえたはずなのに、 捕まってるのは、きっとあたしのほうだ。
あたしは 初めて好きになった人のもとへ、
まっすぐ駆け寄った。