鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜
第23話 偽りの拒絶、最愛の嘘
嵐山で過ごしたお正月が、もう遠い夢みたいだった。
——なのに。
「鷹宮主任、資料をお持ちしました」
「ありがとう。そこに置いといて」
パソコンの画面から目を逸らさず、短く返される声。
いつもと同じ言葉。 いつもと同じ声音。
――なのに、目が合わない。
(……今の、なに)
ほんの些細なことのはずなのに。
胸の奥に、小さな棘が刺さったみたいに引っかかった。
あの日、いのさんのご挨拶から戻ってきた璋さんが、『四ノ宮のばあちゃんやねん……葵も今度、紹介するわ』と少し疲れた顔で教えてくれた。
でも、それからの璋さんは、どことなくよそよそしい。
普通に会話もするし、ご飯も一緒に食べる。
触れているのに、遠い。
「今日の資料、どこか不備がありましたか?」
「ん?……いや、上出来やったで」
「そうでしたか……」
会話は成立しているのに、続かない。
(前は、もっと……自然に、笑えてたのに)
「珍しいやん、葵が家で仕事の話するん。どしたん?」
不意に向けられた声に、少しだけ救われる。
けれど。
(……違う)
どこが、とは言えない。
ただ、いつもの距離じゃない。
その時、璋さんのスマホが鳴った。
「悪い、ちょっと出るわ」
立ち上がる背中が、わずかに強張って見えた。
閉まったドアの向こう側。
低く押し殺した声が、かすかに漏れてくる。
「……分かってる」
次に聞こえた言葉は、聞き取れなかった。
ただ、いつもの璋さんの声じゃない。
(……仕事の電話、だよね)
そう思いたいのに。
胸の奥のざわつきは、収まらなかった。
「お待たせ」
戻ってきた彼の気配に、少しだけ肩の力が抜ける。
再びドライヤーの温風が髪を揺らす。
その流れに合わせて、指先が触れる。
――はず、だった。
そっと撫でられているのに。
優しいはずなのに。
(……遠い)
触れているのに、届かない。
「ん、乾いたで」
「……璋さん」
呼ぶと、彼は「ん?」といつも通りの優しい声で振り返る。
ほんの少しだけ、背伸びをする。
――キス、してほしくて。
けれど。
唇が触れる直前で、ふわりと逸らされて。
落ちてきたのは、優しく触れるだけの、髪への口づけだった。
(……なんで、逸らしたんだろう)
「……風邪ひくで、先に寝とき」
何事もなかったみたいな声音。
ほんの一瞬のことなのに。
気のせいだと思うたび、胸の奥の違和感だけが、消えなかった。
***
その違和感は、消えるどころか、ゆっくりと確かな形を持ちはじめていた。
あの日を境に、璋さんは変わった。
言葉は、必要最低限。
同じ空間にいるのに、 どこか別の場所にいるみたいに遠い。
一緒に食卓を囲んでも、 会話は続かない。
(……前は、違ったのに)
朝、目を覚ましたとき。
隣にあるはずの体温は、もうない。
シーツに残るわずかな皺だけが、そこにいたかもしれない証拠みたいに残っている。
(……この皺が消えたら、本当にあの日々はなかったことになってしまう)
そんな恐怖に駆られて、あたしは冷えたままの彼の場所に、そっと身を寄せた。
気付けば、朝の「充電」のキスも、
玄関での「いってらっしゃい」も。
(……最初から、なかったみたい)
あんなに近くにいたのに。
今はもう、 触れることすらできない距離にいるみたいで。
彼と暮らしているはずなのに、あたしは世界で一番孤独な場所にいる気がした。
『あんたたち、ケンカでもした?』と雪乃先輩には言われたけれど。
ケンカのほうが、よっぽどいい。
だって理由が分かるから、解決できる。
でも……そうじゃない。
(……あたし、嫌われた?)
冷めていくコーヒーの湯気を見つめながら、あたしの胸の奥には、正体のわからない不安がじわじわと毒みたいに回り始めていた。
***
確かめる勇気を持てないまま、気付けば週末になっていた。
「おはよう……ございます……会社?」
リビングに立つスーツ姿に、 思わずそう声をかける。
「ちょっと、用があって四ノ宮の本邸に行ってくるわ」
「そうなんですね……」
少しだけ迷ってから、口を開く。
「……晩ごはん、何がいいですか?」
やっと、ゆっくり一緒に食べられると思ったから。
けれど。
「いや、しばらく帰らんから……」
――え。
一瞬、意味が分からなかった。
「堀川ちゃんもたまには、ゆっくりし」
その呼び方に、 胸がきゅっと締めつけられる。
「璋さんっ?!……」
あたしの抗議は、シトラスの香りに掻き消された。
強く抱きしめられる。
なのに。
その腕は――どこか、弱い。
「じゃあ……」
それ以上、何も言わずに、離れていく。
ドアが閉まる音だけが、やけに大きく響いた。
追いかければいいのに。
どうしてか、
足が、動いてくれなかった。
――触れられたのに、突き放されたみたいだった。
***
閉まったドアの向こう側。
廊下に一人立った俺は、震える手で口元を覆った。
ポケットの中で、スマホが震える。
――見なくても分かる。
「……クソッ」
強く拳を握りしめる。
今すぐ戻って、あの温もりを抱きしめたい。
(……あかん)
一度でも触れたら、 全部、壊れる。
優しさを向けた瞬間、 決めたはずの覚悟が揺らぐ。
だから。
振り返らへん。
――それが、俺が葵についた
優しいふりをした、最低な嘘。
俺は、そのまま歩き出した。
——なのに。
「鷹宮主任、資料をお持ちしました」
「ありがとう。そこに置いといて」
パソコンの画面から目を逸らさず、短く返される声。
いつもと同じ言葉。 いつもと同じ声音。
――なのに、目が合わない。
(……今の、なに)
ほんの些細なことのはずなのに。
胸の奥に、小さな棘が刺さったみたいに引っかかった。
あの日、いのさんのご挨拶から戻ってきた璋さんが、『四ノ宮のばあちゃんやねん……葵も今度、紹介するわ』と少し疲れた顔で教えてくれた。
でも、それからの璋さんは、どことなくよそよそしい。
普通に会話もするし、ご飯も一緒に食べる。
触れているのに、遠い。
「今日の資料、どこか不備がありましたか?」
「ん?……いや、上出来やったで」
「そうでしたか……」
会話は成立しているのに、続かない。
(前は、もっと……自然に、笑えてたのに)
「珍しいやん、葵が家で仕事の話するん。どしたん?」
不意に向けられた声に、少しだけ救われる。
けれど。
(……違う)
どこが、とは言えない。
ただ、いつもの距離じゃない。
その時、璋さんのスマホが鳴った。
「悪い、ちょっと出るわ」
立ち上がる背中が、わずかに強張って見えた。
閉まったドアの向こう側。
低く押し殺した声が、かすかに漏れてくる。
「……分かってる」
次に聞こえた言葉は、聞き取れなかった。
ただ、いつもの璋さんの声じゃない。
(……仕事の電話、だよね)
そう思いたいのに。
胸の奥のざわつきは、収まらなかった。
「お待たせ」
戻ってきた彼の気配に、少しだけ肩の力が抜ける。
再びドライヤーの温風が髪を揺らす。
その流れに合わせて、指先が触れる。
――はず、だった。
そっと撫でられているのに。
優しいはずなのに。
(……遠い)
触れているのに、届かない。
「ん、乾いたで」
「……璋さん」
呼ぶと、彼は「ん?」といつも通りの優しい声で振り返る。
ほんの少しだけ、背伸びをする。
――キス、してほしくて。
けれど。
唇が触れる直前で、ふわりと逸らされて。
落ちてきたのは、優しく触れるだけの、髪への口づけだった。
(……なんで、逸らしたんだろう)
「……風邪ひくで、先に寝とき」
何事もなかったみたいな声音。
ほんの一瞬のことなのに。
気のせいだと思うたび、胸の奥の違和感だけが、消えなかった。
***
その違和感は、消えるどころか、ゆっくりと確かな形を持ちはじめていた。
あの日を境に、璋さんは変わった。
言葉は、必要最低限。
同じ空間にいるのに、 どこか別の場所にいるみたいに遠い。
一緒に食卓を囲んでも、 会話は続かない。
(……前は、違ったのに)
朝、目を覚ましたとき。
隣にあるはずの体温は、もうない。
シーツに残るわずかな皺だけが、そこにいたかもしれない証拠みたいに残っている。
(……この皺が消えたら、本当にあの日々はなかったことになってしまう)
そんな恐怖に駆られて、あたしは冷えたままの彼の場所に、そっと身を寄せた。
気付けば、朝の「充電」のキスも、
玄関での「いってらっしゃい」も。
(……最初から、なかったみたい)
あんなに近くにいたのに。
今はもう、 触れることすらできない距離にいるみたいで。
彼と暮らしているはずなのに、あたしは世界で一番孤独な場所にいる気がした。
『あんたたち、ケンカでもした?』と雪乃先輩には言われたけれど。
ケンカのほうが、よっぽどいい。
だって理由が分かるから、解決できる。
でも……そうじゃない。
(……あたし、嫌われた?)
冷めていくコーヒーの湯気を見つめながら、あたしの胸の奥には、正体のわからない不安がじわじわと毒みたいに回り始めていた。
***
確かめる勇気を持てないまま、気付けば週末になっていた。
「おはよう……ございます……会社?」
リビングに立つスーツ姿に、 思わずそう声をかける。
「ちょっと、用があって四ノ宮の本邸に行ってくるわ」
「そうなんですね……」
少しだけ迷ってから、口を開く。
「……晩ごはん、何がいいですか?」
やっと、ゆっくり一緒に食べられると思ったから。
けれど。
「いや、しばらく帰らんから……」
――え。
一瞬、意味が分からなかった。
「堀川ちゃんもたまには、ゆっくりし」
その呼び方に、 胸がきゅっと締めつけられる。
「璋さんっ?!……」
あたしの抗議は、シトラスの香りに掻き消された。
強く抱きしめられる。
なのに。
その腕は――どこか、弱い。
「じゃあ……」
それ以上、何も言わずに、離れていく。
ドアが閉まる音だけが、やけに大きく響いた。
追いかければいいのに。
どうしてか、
足が、動いてくれなかった。
――触れられたのに、突き放されたみたいだった。
***
閉まったドアの向こう側。
廊下に一人立った俺は、震える手で口元を覆った。
ポケットの中で、スマホが震える。
――見なくても分かる。
「……クソッ」
強く拳を握りしめる。
今すぐ戻って、あの温もりを抱きしめたい。
(……あかん)
一度でも触れたら、 全部、壊れる。
優しさを向けた瞬間、 決めたはずの覚悟が揺らぐ。
だから。
振り返らへん。
――それが、俺が葵についた
優しいふりをした、最低な嘘。
俺は、そのまま歩き出した。