鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜
第27話 もう離さない手、離れない心
「はじめまして堀川葵さん。あなた、ここがどういう場かおわかり?」
美と気品に圧倒されて、息をするのも忘れそうになる。
一歩踏み出せば、飲み込まれてしまいそうな気配。
「わかっています……」
静かな圧が、空気を張り詰めさせる。
「四ノ宮の人間と一緒になるって、あなたが思ってるよりずっと重いことよ」
「茉白っ……」
「璋は黙ってなさい」
ぴたりと遮る宝生さんの声。
彼女の視線は、あたしを捉えたまま。
「わかりません、先のことなんて……」
ただ、今の正直な想いを言葉にのせる。
「正直、あなたに会うのも怖かったです。家柄だって、立場だって、何もかも違いすぎるから」
比べ始めたらきりがないし、暗い気持ちになるだけ。
一瞬、自分の視線が揺れる。
「それでも――」
顔をあげて、まっすぐに見る。
「それでも、諦められないんです」
「欲しいのは、璋さんただひとりです」
沈黙を破るように、低い声が落ちる。
「……俺もや」
璋さんの言葉に、胸の奥が強く震えた。
「茉白さんにとって、鳥居さんがそうであるように」
「――あたしにとっては、四ノ宮璋さんなんです」
その瞬間。
璋さんの瞳に灯っていた絶望が、鮮やかな熱に塗り替えられた。
「……葵」
次の瞬間、強く腕を掴まれた。
「もう、離さん」
そのまま、引き寄せられる。
「……っ」
腕の中の体温が、あまりにも現実で。
逃げていた時間が、一気に戻ってくる。
「ですってよ、璋、良かったじゃない」
「……言うたやろ。葵はめっちゃええ女やって」
「認めてあげるわ」
茉白は、ふっと笑った。
「……ありがとう。璋の隣に立つのが、あなたで良かったわ」
そう言って宝生さんは、カップを一口啜った。
その目はもう、試すものじゃない。
「……いいわ。璋は、あなたに返す」
「だから――最後まで、手放さないで」
「宝生さん……」
「じゃ、破談ってことで。璋、葵さんを幸せにしたげなさいよ」
あっさりとした声で、手を震る。
「あぁ、茉白もな」
「余計なお世話よ……でも」
軽く肩をすくめたあと、宝生さんは真面目な顔で言う。
「お互い、ここからが、本当の正念場なのだから」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
「堀川さん、ありがとうございました」
鳥居さんの穏やかな声が、空気をやわらかくほどく。
「そんな、鳥居さんのおかげですっ……」
彼がいなければ、ここまで来られなかった。
あたしは改めてお辞儀をする。
「さあ、次は葵さんの番です、言いたいこと全部ぶつけてきてくださいね」
いたずらっぽく笑うその顔に、背中を押される。
――もう、逃げない。
***
玄関のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
さっきまでの喧騒が嘘みたいに、静かな部屋。
繋がれたままの手だけが、やけに熱い。
「……あたし、まだ怒ってるんだからね」
「うん……」
「……勝手に決めて、勝手に離れてっ……」
「うん……」
手をひかれたまま、ソファに座らされる。
座りなれた感触なのに、まだ張り詰めたままの心。
「言いたいこと……いっぱい……あるんですっ」
「うん……ちゃんと……聞く」
「……重荷だった?……」
ずっと、聞けなかった言葉。
「ちゃうよ……そんなわけないやろ」
低く、でも震えるくらい優しい声。
(あぁ……もう、だめ)
「……あたしも、ごめんなさい」
「……逃げたんじゃないのに……」
「ちゃんと向き合う前に、璋さんの手を離してしまった……」
溢れ出した涙と一緒に、止まっていた時間が動き出す。
「……ずっと寂しかったっ……璋さんが……足りないっ……」
「……俺もや……」
璋さんが小さく息を吐く。
「死ぬほど足りんかった」
そのまま、ゆっくり向き合う。
「……ごめん。もう、逃げへん」
その声に、迷いはなかった。
「…………触れてもええ?」
忘れていた鼓動が、跳ねる。
あたしは、小さく頷いた。
次の瞬間、そっと抱き寄せられる。
さっきまでとは違う。
壊さないように、確かめるみたいに。
(…………璋さんだ)
璋さんの香りと腕の中にいる実感がわいて、ぽろぽろと涙が止まらなかった。
璋さんが、あまりにも優しく甘やかす声でささやくから。
「……もう一人で決めへん」
耳元で、低く落ちる声。
「……あたしも、一人で決めない」
「守るよ……一緒に、守ろ」
あたしは、広い背中を力一杯、抱きしめ返す。
璋さんが、安心したのか、少しだけ小さく笑った。
その声が、ずっと凍っていたあたしの心を、ゆっくりと溶かしていく。
「ほんまに奪いに来るとは思わんかった」
「鳥居さんのおかげです。……宝生さんも」
そう口にすると、璋さんが少しだけ目を細めた。
「あいつ、最初から全部わかってたんかもしれんな」
「茉白さんと鳥居さん……幸せになりますよね」
「なるやろ。……あいつもやっと、自分の欲しいもんを自分で選べたんやから」
その声音はどこかやわらかくて、敵だったはずの相手への、静かな祝福みたいに聞こえた。
「俺も、葵のおかげで覚悟できたわ」
腕をほどかれて、向かい合わせになる。
まっすぐに見る瞳には、あの日の揺らぎは消えていた。
「一緒に、四ノ宮のばあちゃんとこ行ってくれる?」
「いのさん……」
嵐山でのあの姿を思い出すと、少しだけ怖い。
でも。
「……はい」
迷いは、もう、無い。
「璋さんが隣にいてくれるから、大丈夫です」
ぎゅっと、手を握られる。
離さない、って言葉の代わりみたいに。
「葵……」
改まって名前を呼ばれる。
「…………触れてもええ?」
もう一度。
さっきとは違う色に気づいた。
「……はい」
その返事を聞いた瞬間、
璋さんの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
重なった唇は
静かで、ただただ優しく。
それでも――確かなものがあった。
(この先がどんな場所でも)
(それでも、あたしは――この人の隣にいたい)
――もう二度と、この手は離さない。
――もう二度と、この心は離れない。


