鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

第26話 お見合いなんて、させない

次の日。
前日の別れが、まだ胸の奥に刺さったまま、あたしは出社していた。
雪乃先輩には、しっかり勘づかれてしまった。
 
退勤後、居酒屋に連れていかれ、個室に向かい合って座る。
 
四ノ宮の弁護士に言われたこと、それで璋さんに無理だと告げたこと。
雪乃先輩に話してもまだ、現実味がなかった。
 
ジョッキを片手に、雪乃先輩は深く息を吐く。
 
「……なるほどね。璋の「守る」って、そっちに転んだわけか」
 
「雪乃先輩は……知ってたんですか?」
 
「まぁね」

あっさりした返事なのに、その目はまったく笑っていなかった。
 
「四ノ宮の家のことも、璋がどういう立場かも。……ただ、ほーりーに黙ってたのは、璋が自分で言うべきことだと思ってたから」  

その言葉に、胸がちくりとした。
 
「……あたし、重荷だったんですかね」
 
口にした瞬間、喉の奥が熱くなった。
流し込んだビールは、ひどく苦かった。
 
雪乃先輩が、呆れたみたいに肩をすくめる。
 
「違うわよ」
 
はっきり、きっぱり。
 
「璋にとって、あんたは「大事すぎる」の。大事すぎて、怖いのよ」
 
「……怖い?」
 
「四ノ宮の家のこと、あいつは自分一人で飲み込めても、好きな女にまで飲ませるのが怖かったんでしょ」
 
「でもそれ、ほーりーだって同じ。怖いに決まってる」
  
『チャージさせて』
あの時の、縋るみたいな体温。
切なそうに、あたしを抱き締めた腕。

分かってたはずなのに、優しさだと思い込んで。璋さんから逃げて、彼の手を離してしまった。

(……違う。離したんじゃない。離してしまっただけ)
 
雪乃先輩は、あたしの目を真っ直ぐに見た。
 
「でもね、ほーりー」
 
その声は、いつもの軽やかさを少しだけ脱いでいた。
「あたしが育てた堀川葵は、そんなことで折れる子じゃないでしょ?」

涙が、ぽろりと落ちた。
 
悲しいからじゃない。
悔しかった。
信じてほしかった。

あたしの「好き」を――。
 
勝手に「守る」って決めて、勝手に遠ざけられたことが、たまらなく悔しかった。
 
「見くびるんじゃないわよ、って引っ叩いてきな」
 
雪乃先輩が差し出したおしぼりを受け取って、あたしは顔を覆った。
ぽろぽろと落ちる涙は、もう弱さの涙じゃなかった。

「雪乃先輩……あたしの璋さん、取り返しにいきます」 

言い切った瞬間、胸の奥で何かが、はっきりと定まった。
 
もう、逃げない。 
 
***
 
「本題ですが、お見合いは今週の日曜日です」

次の日、仕事終わりに鳥居さんと合流し、カフェに来ていた。 
  
「場所は宝生グループの系列ホテル。個室で行われます」
 
「宝生グループ……あの有名な?」
 
思わず息を呑む。
あまりにも遠い世界の名前だった。
 
「茉白さんは、その一族のご令嬢です」
 
(……璋さんと、同じ)
 
一瞬だけ、言葉を失う。
 
「僕はただの教師です。怖い気持ちもあり、彼女とは釣り合わないと、何度も思いました」
 
それでも、と鳥居さんは続ける。
 
「彼女は逃げずに、僕を選んでくれた」
 
まっすぐな言葉だった。
 
「僕にとって、彼女の代わりはいないんです」

優しく諭すような鳥居さんの声。
  
「堀川さんも、四ノ宮くんなのでしょう?」
 
「…………っ」 

心の奥を、まっすぐに射抜かれる。
逃げたくない。
諦めたくない。 
        
「あたしは……璋さんを諦めたくないです」

小さく、でもはっきりと言う。
鳥居さんが、わずかに微笑んだ。
 
「なら、一緒に迎えに行きましょう」 
 
***
 
お見合い当日の日曜日。
 
「お見合い場所はドレスコード必須」と言い茉尋さんが手配してくれた着物に、袖を通す。
帯を締められた瞬間、背筋がすっと伸びた。 
 
「よくお似合いです」
 
「……ありがとうございます」
 
鏡の中の自分は、昨日までのあたしより少しだけ強く見えた。
それでも、手のひらの汗だけは、どうしても止まらなかった。
 
ホテルに着くと、鳥居さんは迷いなく奥へ進んでいく。
 
「この先が、会場です」
 
重たい扉の前で、足が止まる。
 
(……怖い)
 
足がすくみそうになる。
 
それでも――
逃げたくない。

扉の向こうにいるのは、
あたしが一番失いたくない人。
 
ここで引いたら、きっと一生後悔する。

あたしは小さく息を吐いた。 
 
「……鳥居さん」
 
「はい」
 
「どうして、ここまでしてくれるんですか」
 
少しだけ驚いた顔をして、それから穏やかに笑った。
 
「大切な人を、失う後悔はしたくないからです」
 
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
 
「……あたしも、同じです」

「それと、お節介だとはわかっていますが……」
 
前置きしたあと。
 
「四ノ宮くんに、堀川さんの本音をぶつけてやりましょう?」
 
少しいたずらっぽい笑顔の鳥居さんに、心が少しほぐれた。

(覚悟は……決まった)

「いきます」  
 
あたしは、ドアノブに手を掛けた。
 
***
 
「先に言うとくけど、俺は心に決めたやつおるから」
 
「あら奇遇ね、あたしもよ」

形だけの会話、お互いの温度は冷めていた。 
部屋には俺と茉白の二人だけ。
それでも、この場から逃げ出したくて仕方なかった。 

「……こんな見合い、意味ないやろ」

「せやけど、俺の口で終わらせなあかんから来た」
 
「家のしがらみなんて、そんなものよ」
 
茉白がコーヒーを啜りながら、淡々と返す。
 
「彼女……葵さんだっけ、別れたの?」
 
「……別れてはない。ただ、距離置いただけや」

自分で言って、胸の奥が抉られる。
 
――何してんねん、俺。 
 
「それで守ってるつもり?」
 
「……うるさい、嫌なとこ突いてくんな」
  
図星すぎて、笑えへん。 
茉白は底意地の悪い笑みで、さらに追撃してくる。  

「彼女が嫌われたと思って他の男性になびいたらどうするの?」
 
「……そんな男おったら、正気でおれる自信ないわ」
  
「怖いわね。自分から手放したくせに」
 
「手放してへん」
 
軽く睨みながら、言い返す。

「でも、傷つけたのは事実でしょ」
 
今度はにこやかな笑みで、容赦なく俺を抉る。
 
「独りよがりよね……私なら絶対に手離さないわ」
 
「茉白?」
 
「昔は、あなたみたいな人に惹かれたこともあったわ」
 
「は?……嘘やろ。……って何やねん急に」

茉白は、構わず話を続ける。
 
「でも今は違う。私が欲しいのは、肩書きじゃなくて茉尋なの」

淀みなく幸せに微笑む茉白を、初めて見た。
  
(わかるわ……俺もそう言われたわ、葵に)  
   
「……本気なら」
 
茉白が少しだけ目を細め、俺を正面から捉える。
 
「諦めないで最後まで守りなさいよ」
  
「俺は……」 

言いかけた、そのとき。
 
――空気が、変わった。
 
張り詰めていた静寂が、
何かに押し破られるように揺れる。
 
「はじめまして、宝生さん」
 
凛とした声。
息を呑む音が、場に広がる。
 
振り向いた先にいたのは、
 
――着物姿の葵やった。
 
「……葵?」
 
あまりの衝撃に、俺は手にしていたカップを落としそうになった。
心臓が、止まったみたいに固まる。
 
「なんで来たんや……!」
 
声が荒れたくせに、自分でも止められていないのが分かった。
 
「こんなん……見せたくなかったのに」
 
情けないほど、本音が零れた。
それでも。
葵は、一歩も引かへん。
揺るがない瞳で、真っ直ぐに俺を見ている。
 
「璋さん」
 
葵らしくない、聞いたことのない強い声やった。
 
「……あたしのこと、地獄に道連れにする覚悟もなかったんですか?」
 
言わせたくなかった言葉が、胸を鋭く貫く。
何も言い返せへん。
 
「勝手に守って、勝手に突き放して――」
 
一歩、踏み込んでくる。
 
「……あたしの気持ち、置いていかないでください」
 
葵の小さな手が、俺の腕を驚くほどの強さで掴む。
震えてんのは、葵やない。
――俺のほうや。

その手の熱に、俺の嘘も矜持も、全部溶かされていく。
  
逃げ道なんて、最初からなかったんや。
 
「逃がしません」
 
静かに、でも確かに言い切る。
声が震えても、手だけは離さなかった。
  
「……あたしの璋さん、返してもらいにきました」
 
その瞬間。
張りつめていた何かが、音を立てて切れた。
 
――あかん。
 
もう、戻られへん。
守るためについたはずの嘘が、葵の言葉ひとつで崩れていく。
もう、離す理由なんてなかった。
 
――今度こそ、俺はこの手を放さへん。
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